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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第五章 開戦。安東軍侵攻 天正七年(1579)旧暦六月下旬
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多田の思惑 第五話




 多田(ただ)は泣き面で感情のすべてを表に出して、石堂(いしどう)の体を懸命に揺さぶるのだ。すると部屋に置く皿上のロウソクは思わず落ちてしまう。慌てて家来衆が板間に燃え広がらぬように素手で拾い上げる。とても熱いが……館に燃え広がるよりかはましだ。





「このたび我ら多田は、難しい決断をした。石堂殿、わかっていてほしい。」


 ほぼ完全なる暗闇であるので、相手の表情はわからぬ。しかし想像は十分につく。


「わかっている。安東の兵を水木みずき様の兵にぶつけぬことだな。」




 多田はいっそうのこと、石堂の体を前後に強く揺さぶった。


「本当か、本当なのか。」


「ああ、本当だ。」


水木みずき様のたもとに私の息子である玄蕃げんばもいる。私は安東に、玄蕃は為信に付く羽目になった。間違っても水木に矢の一本も放ってくれぬな。」





 多田は津軽より安東へと裏切る。これに間違いはない。ただし条件は演技つきである。あからさまに寝返ってしまうと息子の玄蕃の立場を悪くする。津軽諸氏の陣中にいるのだから、父親が寝返ったとなると当然ながら疑いの目で見られる。これは水木御所全体にもいえることで、代表的な北畠系の一家が裏切るのだから、水木全体で安東方へ通じているのではないかと勘繰られてしまう。すべての企みが水泡に帰す。


 そしてもうひとつ、多田は石堂へ伏せていることがある。これはすでにありえないことだろうが……安東が為信に負けてしまった場合のことだ。その時は多田ただ秀綱ひでつな自らが自刃して……玄蕃は為信に忠誠を尽くしたわけだから多田家は生き残る。領地は減らされようが、家と家来らの居場所はある。



 そこまで考えて……多田はさらに病む。もともと精神を患っていたのがさらに悪くなり、一応は石堂に対して平静を保って話しているつもりだが、やはり普通ではない。揺さぶる頻度が増えて、無理やり家来衆に引きはがされる始末。


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