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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第五章 開戦。安東軍侵攻 天正七年(1579)旧暦六月下旬
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多田の思惑 第四話

 安東軍が駐留している古懸(こがけ)不動尊より北西2㎞先に唐牛(かろうじ)館がある。山の裾野にある津軽方の拠点であり、館を囲むように平川(ひらかわ)が蛇行している要塞でもある。ただし館主は……(かろ)(うじ)氏と申し、浪岡北畠の管領家であった多田氏の分家である。形式的には為信の傀儡政権である水木(みずき)御所(ごしょ)に属する。


 津軽・安東双方に旧浪岡北畠の面々が散らばっている現状に、安東についている旧浪岡の(いし)(どう)(より)(ひさ)は危惧していた。もともと同じ志を持った者らである。意見の対立はあれど、結果的に離れ離れになるに至ったが、仲間同士血みどろに相争ってはならぬ。今や津軽軍と安東軍は戦争状態へと突入し、目前には唐牛館。彼はれっきとした北畠系の家柄ではないか。ここが無事に降伏しても、先に進めば多田本家の()目内(つめない)館がある。……ちょうど多田家は津軽平野へと入るための経路上に領地を占めている。多田氏が為信に従っている以上は……安東は多田を(せい)せなくてはならぬ。


 そこで石堂は戦になる直前まで津軽に潜入して裏交渉を続けた。多田氏へはもちろんのこと、他の諸氏にも接触したらしい。そして水木御所へも。



 しかしながら水木御所は浪岡御所の後継であるが所詮は権威だけの存在で、為信によって手足をもがれている。持つ力もわずかなものであるし、踏ん切りというのもつきにくい。それでも水木御所の一角である多田氏が安東に付くとなれば、ほぼ無傷で安東軍は津軽平野へと駒を進めることができる。為信不利であるし、水木御所も考えざるを得まい。


 そして……多田氏当主である多田(ただ)(ひで)(つな)。自らの家を残すため、難しい決断を下した。石堂は真夜中に唐牛館を訪ね、多田氏の主要な者らと密談をするのだが……もともと一か月前に決まっている。予定通り唐牛館はある程度戦うふりをした後、中の者は退散する。安東軍は()目内館(つめないかん)をわざと素通りをする。


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