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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第五章 開戦。安東軍侵攻 天正七年(1579)旧暦六月下旬
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多田の思惑 第三話

 さてと滝本は話す向きを比山と浅利の両人へと変えた。ここからはまともな軍議である。


「ここまでは順調そのもの。津刈(つかり)にてどれほどの抵抗を受けるかと思うたが、全くであった。」



 他の二人は頷く。比山は大将らしく滝本の働きを褒め称え、次の(こと)を促す。


「次に待ち構えるのは唐牛(かろうじ)館、さらに蔵館(くらだて)()目内(つめない)館と続きます。この三つを制した先にはひたすらに広い津軽平野が待ち構えており、為信のいる堀越(ほりこし)もすぐそばです。」




 ……今羽(いまはね)街道(現、羽州街道。国道七号線)を安東軍は北へ進むわけだが、津軽軍と初めにぶつかるのは津刈の砦だった。のちにこの辺りでいかりがせきと呼ばれる関所が置かれるが、これは江戸時代になってからの話。南部側の鹿角かづのへも坂梨峠さかなしとおげを通じて行き来できる交通の要所である。安東側の大館おおだて扇田おうぎだ城から攻め入るには矢立(やたて)(とうげ)を越える必要があり、大館から津刈まで20㎞の内、細い山道が7㎞ほど占める。安東軍を徹底的に防ぐならばこの場所に軍を配置して交戦すべきところを……何もなかった。罠一つない。津刈砦の者は無様に負けただけ。


 津軽側の腹の内を明かすと、津刈はあまりにも南すぎてそちらに比重を置いてしまうと、別方面から敵兵に攻められても対応できないこと。日本海ルートあるいは南部軍の侵攻も頭に入れておかねばならぬ。とにかく安東軍は強い抵抗を受けずに津軽の南端を抑えてしまった。あとは平川ひらかわ沿いに北へと兵を進めるだけ。細すぎる山道というものはないし、谷の真ん中の平野を川伝いに、所々にある拠点を攻め落としていく。

 しかもある程度先の戦の結果は知れていた。これが三人の雰囲気をよくさせる原因だ。険しさは一切なく、安東は勝つべくして勝つのだと信じ切っている。




 ……これを当事者に聞かせてみたら、ぶん殴りたくもなるかもしれぬ。




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