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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第四章 津軽為信、和平を探る 天正七年(1579)田植前
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久慈義勇軍 第一話

 秋田方はすでに兵糧を扇田(おうぎた)城(大館市)に集め始めている。とすれば安東軍はやはり南から矢立(やたて)(とうげ)を越えてやってくるのか……。津軽為信は家来衆らと話し合っている。夕日が差し込む堀越の館。辺りには槌の叩く音が鳴り響く。……柵を新たに建て、土堀を深くさせている真っ最中だが、はたしてどれほどまでに有用かどうかはわからない。いずれ田植えが終わればすぐに攻めてくるだろう。ただしこの堀越も攻撃されるようではすでに津軽家は終わり。ならばとこちらから攻めたてるか……と冗談でいうと、兼平(かねひら)綱則(つなのり)が応える。


「それでは南部勢が攻めてきます。とても防ぎきれませぬ。」



 わかっているさ、もちろん。南部を攻めれば安東が、安東を攻めれば南部がやってくる。その狭間に津軽はある。そのようなことを考えていると、沼田(ぬまた)祐光(すけみつ)が口を開く。


「無論、扇田にコメを集めている以上は、そちら側より攻めてくるでしょう。しかしながらもう一つの道がございます。」



 “もう一つ”とは。


「それは“海の道”でございます。八森(はちもり)から大間(おおま)(ごし)へ、深浦が狙われますと先にあるのは鰺ヶ沢と種里の旧拠。日本海沿いより岩木山へと周り、この堀越より先に本拠である大浦城が狙われる……。この可能性も考えねばなりませぬ。」




 するとどうか。二方面より安東が攻めてくるとなると、こちら側も兵力を分散させねばならぬ。さらには外ヶ浜側より南部が攻めてくることを想定して、浪岡の新領にも対南部で兵を配置。千徳本家は千徳分家ににらみを利かせるために必要である。


 浪岡に最低でも五百、深浦に同じく五百。残り千兵ほどが実際に手元で動かせる数か。水木御所とそれに連なる兵数は五百ほどあるが、敵方にもかつての仲間がいるだろう。なのでどこまで頼りになるかはわからぬが、無理やり出陣はさせる。使える兵が足りなすぎるのだ。


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