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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第四章 津軽為信、和平を探る 天正七年(1579)田植前
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避けるために 第五話

 津軽家中には、商家の豊前屋(ぶぜんや)を潰せとの意見がある。元々は(あじ)(がさわ)の商家長谷川の勢いを削ぐために招いたのがきっかけであった。当時大きいところの商家は長谷川しかなく、不当に値を釣り上げても誰も文句を言えない状況。しかもその裏には(まん)次党(じとう)と呼ばれる浮浪集団が存在し、積極的に他国者や不埒者を取り込んで勢力を拡大させていた。その勢いを削ぐために一定の役割を果たしたのが豊前屋であった。豊前屋の登場により二大商家は利を争わざるを得ない。次第に値は下がりゆき、民の暮らし向きも改善されたという。


 ただし豊前屋の本店は秋田にあり、安東氏の意を大いに受けている。万次党も津軽家中に取り込めた今となっては、敵方安東の拠点がおひざ元にあるというのは至極危険なこと。最悪のことを考えれば、戦う前に大浦城が火の海になることだってある。兵らを密かに送り、手薄になった隙でも狙って放火しまくればいいのだから。




 ……かつて為信も似たような手を使ったことがある。浪岡攻略戦において商家長谷川と手を結び、あらかじめ浪岡へ進出させた。そこを津軽家の拠点として大いに利用し、賭け事にはまった亡き御所号(ごしょごう)北畠(きたばたけ)(あき)(むら)を捕えたのはかの屋敷だった。



 だからこそ豊前屋を潰せという。同じことをされてはかなわぬ。


 だが、為信は強く拒否した。



“我ら津軽家が滅び去ろうとも、民草はそのまま同じ場所に残る。豊前屋を潰してしまえば商家長谷川は昔のように値を釣り上げて、民の暮らし向きを圧迫するだろう。ならばと別の大きな商家を求めて、例えば油川から招くなど論外だ。




 ……もちろん、こちら側の話が筒抜けにならぬよう、堀越に本営を移そうと思う。攻めてくるとしたらそちら側だろうし、ならば急いで改修しなければならぬ。


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