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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第三章 安東愛季、津軽征討を決断する 天正七年(1579)雪解
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トサームを求め 第四話


 石堂頼久(いしどうよりひさ)北畠(きたばたけ)(あき)(うじ)に説得を続けた。しかしながら彼は首を横に振るだけ。彼が動けば各地に散らばる旧浪岡北畠氏の者らを糾合(きゅうごう)することもできようし、北畠同士が戦場でぶつかるわけにはいかぬので……水木(みずき)御所、すなわち津軽為信の設けた傀儡政権の面々も考え直す。後は我らと裏で手を結び……どこかのタイミングで安東へ寝返ればよい。北畠の御家門が自ら戦場に立つとすれば、あちらは必死にそれを避けようと動くはず。そのきっかけとして顕氏が表に立つことが必要なのだ。



 だが顕氏は応じず。そのうち……安東軍の先遣隊は比山(ひやま)氏が動かすことに決まり、勝ちが見えてきた時点で安東(あんどう)(ちか)(すえ)も津軽へ乗り込むことになった。北畠は本隊におらず。それだけならよい。秋田に逃げてきた旧浪岡北畠氏の意志は統一されず、添えの軍勢としての合力……。一応は浪岡奪還が名目なのだから、戦場にいなければならない。ただし頼りにはされていない。


 ……あくまでそれだけならよい。それは……冬が過ぎ去ろうかというときに起きた。まさかというべきか、お前は南部家臣であったろうに。






 滝本(たきもと)重行(しげゆき)は安東愛季の元へはせ参じた。


 愛季はたいそう喜び、滝本もそれに応えた。



“南部家臣の中には主家に対して不満を持つものも多い。津軽為信に領地を盗られてより奪い返すのを待ち望んできたが、いよいよもって主家は動かず。安東氏の元で領地を取り戻してやると保証しさえすれば、南部家臣という立場を捨ててでもはせ参じる者はきっと多いはず……”



 さて滝本の呼びかけに応じて、南部領より脱して多くもの将兵が秋田へとなだれ込んできた。彼らで一軍をなし得るほどに。






 滝本が秋田へやってきたことに一番驚いたのは顕氏であった。油川(あぶらかわ)で仲間らは彼に“調練”という名目で苦しめられて、こちらへ命がけで逃避行したというのに……。また会う羽目になった。


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