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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第三章 安東愛季、津軽征討を決断する 天正七年(1579)雪解
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堤氏復帰 第四話

 外へ通ずる襖は開け放たれた。そこには長身の男、上品さというものはあまりないが、武骨すぎることもない。外ヶ浜で生まれ育ったのだなと感じさせてくれるような、強い風をあまり受けぬように目は細くなり、寒さを耐えるために顔をくしゃっと真ん中に寄せるためか顔立ちは彫深くなる。


 表情はにこやかであった。久しく見る(みょう)(せい)へ照れくさそうに会釈をする。妙誓は少しだけ慌てるものの、座ったまま頭を少しだけ下げた。……その男、堤則明(つつみのりあき)は襖を閉め、彼女のそばにすわる。火鉢の周りを円で囲むように奥瀬おくせと妙誓、則明がいる。




「……このたび、則明殿は堤氏の遠縁として横内よこうち城主とそとがはま代官の職におさまる。」


 奥瀬はこう説明した。“則明”という人物は死んだことになっているのだから……。でも、うれしい。妙誓の心は晴れやかだ。しかし則明はというと明るい表情とは裏腹に、言葉は全く違う。






「南部のしたことは忘れぬ。家族をすべて殺したのだから。」




 ……肝が冷える。


「こうして、奥瀬殿に私だけ助けていただいた。だからこその今がある。南部のためには尽くさぬ。奥瀬殿のために尽くす。」



 堤氏は大浦家と縁戚であったために、為信決起の際に疑われて誅殺された。則明の妻は為信の義妹、大浦の戌姫いぬひめの妹。当然、妻は殺された。子供らも殺された。兄弟や年老いた母親も。恨むなというほうが無理だ。……奥瀬としても一人匿うだけで精いっぱいだった。……則明は言う。


「私はこれより“堤則景(つつみのりかげ)”として生きる。“明”の字を捨て、“景”だ。あくまで顔立ちの似た遠縁の男、武者修行帰りの。」






 日の当たる明るいところは消えうせ、陰日向かげひなた、いやすでに太陽は沈んだので“(かげ)”なのか、日が当たらぬから“(かげ)”なのか。


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