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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第一章 北畠残党、秋田へ向かう 天正六年(1578)晩秋
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受難 第一話




 浪岡北畠氏が崩れ、逃げ去った場所の一つに油川(あぶらかわ)がある。南部氏の(そと)(がはま)地域を治めるための拠点で、平城であるものの南方には川に伴う浅瀬が広がり、そちらより水をうまく引き込むことにより守りとなす。


 町はというと城よりも海側にあり、大いに栄えている。奥州・羽州・松前街道と呼ばれる大きな三つの街道が交わる”三叉の地”であり、人の往来が激しい。湊は(ひら)け商店も多くひしめき、間口は九尺(約3m)、奥行は二間(約4m)というあたかも江戸時代の長屋のような小さな木造建築物が所狭しと並んでいる。夜も遅くになると寝床にも変わる。……しかも一家族がそこにずっと暮らしているわけではなく、入れ替わりも相当激しい。海より船に乗って商いをしにくるので、仕入れた品物がなくなれば既にその場に用はなく、あっさりと引き上げるのだ。これとは別に在地の商人も一定数いるが、やはり借り商店と比べたら軒数は少ない。商店の数は併せて千軒あるという噂だ。


 そして彼らの六割方は日本海側の湊からやってくる。遠くは若狭、越前、加賀……このような場所から商人らがやってくるので、自然と油川の地にも門徒宗もんとしゅうが根付いた。本願寺や一向宗のことなのだが、かの地では“門徒宗”と呼ばれることが多い。


 商人は自分の利益のためならなんだって口を出すし、門徒宗の主張する力も相当なものだ。油川という土地は易々と治まる場所ではない。




 その土地の領主であるのが奥瀬善九郎(おくせぜんくろう)。武勇を好む南部家中ながら珍しく、柔和な考えの持ち主だった。(民と接しているうちに、そうならざるを得なかったともいえる。)こうであるので滝本(たきもと)重行(しげゆき)などのような偏った人物、目的意識が強すぎて周りが見えなくなっているような者を卑下(ひげ)してしまう。もちろん表に出さないようにはするが。



 このたびも何か言ってきたようだ。はなはだ迷惑しているというのに……。


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