町衆の勝利 第一話 +津軽周辺広域図
この年の正月は、いつもと比べてもたいそう雪が積もった。吹雪こそなかったが、大きい綿のような雪が静かにしんしんと降り積もるのだ。そして門松の上も白く染まって……と思うかもしれないが、油川では門松を飾る文化はない。たまにしめ縄をつけている家もあるが、多くを占めるこの辺りの門徒宗は基本的にしめ縄をつけないらしい。その代わりに大きい屋敷ならば門の柱に紐をつけて松の枝を折った物を結わえておく。大勢を占める借家では松のとげとげしい葉の部分を壁に向かって釘で打ち込む。それが正月を祝う文化であった。
そして日本どこの地域でもあったろうが、寄り合い的なもので大勢の大人たちがどこかの寺や神社に集まって今後の事を話し合う。当然、滝本のことも上がった。言うなれば第一の議題である。どうもこのことに城主の奥瀬様は関与しておらず、”滝本だけをどうにかすればいけそうだ” 誰もが公然と逆らうことを明言している。酒に酔った勢いで彼を罵り、汚らしい言葉で蔑むのだ。
ただしこの時には“抑え役”といえる存在がいて、まあまあと仲間をなだめる。しかしながらその抑え役にしても滝本に我慢しているわけで、次第に些細なたわ言にも同調してしまう。町衆には滝本の悪いところしか見えていない。しかもそれは様々なうわさで増長されている。
……寄り合いが行われていた場所の一つに円明寺がある。(本来であれば当時”明行寺”という名前であったが、呼称を円明寺に統一する。)円明寺では誰かが藁人形を持ち出し、“たきもと”と腹に墨書きし、それを包丁で刺した。周りの者もたいそう酔っているので、止めるどころか喝采を送った。しかしながら酔っているとはいえ仏前である。住職である頼英は厳しく諫めようと人の座るところを分け入り、その者へ対し口で厳しく叱った。すると藁人形を刺した者、“当然の報いだ”と反発し、周りも“そうだそうだ”と頼英をその場より追い出しにかかった。
津軽周辺広域図(自己作成分)
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