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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第二章 滝本重行、外ヶ浜より追放される 天正七年(1579)正月
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次の標的 第三話

 滝本(たきもと)重行(しげゆき)油川あぶらかわの中心に位置する熊野宮くまのぐうに居を移す。これは本腰を入れて油川の民を南部の手勢と化し、津軽氏への兵力として組み入れようともくろんでの事であった。もちろんこれは(そと)(がはま)代官の奥瀬善九郎(おくせぜんくろう)の意向を無視して行われたことである。


 しかし意気揚々と調練を行おうとしたが、滝本は難題にぶつかった。油川は特に商人が占め、その多くが借家に住まう。さらには用が済んだら他の湊へ向けて旅立ってしまうので……純粋な油川民とすれば全体の二割ほどしかいない。ならばその二割はどこに住まうのか、油川城でわざわざ家屋敷や居住人数を把握するための帳簿などない。ならばこちらで新たに帳簿を作ろうと。これでどこに誰が何人で住んでいるか、何人を兵として用いれるか把握できる。




 ……これまで帳簿が存在しなかったのは、町衆を管理して冥加(みょうが)(きん)をとる必要がなかったゆえ。“自発的”に納めてくる上銭(あげぜに)があればそれでよいという緩い対応で奥瀬氏はやってきたからだ。その返礼として油川の治安を守る。町衆が銭を出している立場であるので、少しでも思わしくないことが起きるとたちまち口うるさく要求を掲げてくる。そうでなくても様々な者らが行きかう港町である。些細な行き違いから発する争いなど日常茶飯事。それを中立的な立場より収めるのが奥瀬氏の役目。さらには門徒宗(=本願寺系)で(じょう)(まん)寺、(えん)(めい)寺(=明行寺)、法源(ほうげん)寺の三寺があり、多くの町衆がこれを信仰している。中央の感覚でいえば、商人の町である堺と宗教都市の石山が同居しているようなものだ。奥瀬氏はこの二つと常時より接しているものだから、正面から対立しても歯が立たぬことを十分理解している。



 その油川の“性質”というものを滝本はわかっていない。慣れ親しんだ大光寺の民、従順で逆らうことの知らなかった浪岡の民。彼らとはまるっきり違うということを。


 ……滝本は堂々と、彼らの尾を踏んだ。


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