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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第二章 滝本重行、外ヶ浜より追放される 天正七年(1579)正月
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次の標的 第一話

 しばらくして……そとがはまに残った浪岡衆は荷造りの準備を始めた。油川の北畠仮殿に残る武門はしかり、横内に無理やり集められた民らも。雪が積もり始めた頃、山の向こうに土地があてがわれたという報がもたらされた。これは信直派の奥瀬善九郎(おくせぜんくろう)と九戸派の七戸(しちのへ)隼人(はやと)での話し合いによって決着を見る。


 大東海(だいとうかい)(=太平洋)に面するところに寂れた土地があり、普段は放牧を行っている。砦周りを浪岡衆に与え、開墾をさせようと。その話は彼らに希望を与えた。どのような場所かは実際に見てみないとわからないが、滝本(たきもと)重行(しげゆき)という地獄の鬼のような人物から離れることができる。これで我らは救われるのだ……



   “あちらは雪が積もらないらしいぞ”


   “それはまことか、さぞ素晴らしいところなのだろな”


 と勝手に夢を膨らませてしまう。

 そして旧暦の十一月だろうか、老若男女の多くが平内ひらないの山を越えて糠部(ぬかのべ)(南部地方)へ、細い道を百人以上が延々と歩く。当然ながら現代のように舗装された道ではないし、幅も1間(1.8m)にも満たぬ狭さ、やっとで荷車が通れるくらいだ。さらには周りに所狭しと雑木が生い茂るので、道へも枝がはみ出してくる。進みにくいことこの上ないのだが、当時としてはこれが普通。そんな悪路を民族の大移動が如く東へと進む。


 さて……さまざまな歩みの者がいるし荷もたいそう多いので時間がかかり、結局着いたのが四日後。80kmもの距離を誰も欠けることなく歩き切った。途中で小川原おがわらと呼ばれる大きな湖もあったので、田に水を引き入れるのも困らないだろうと安心していた。しかし……。いざ着いてみると、だだっ広い灰色の草原に砦ひとつ。大きな山もなく、海が目の前にひたすら広がっている。村らしい村もなく、家も小屋もない。人もどこにいるやら。寒い海風もそのまま自分たちに吹付ける。……これが雪の積もらぬわけか、強い風が積もる雪をどこかへとばしてしまうのだ。ある意味で横内よこうちよりひどい。




 それからというもの、浪岡衆は新たなる苦難をその土地で過ごすことになる。彼らはその場所を“淋代(さびしろ)”と名付けた。名の通りさみしい場所だからだ。枯れた草原という意味合いを持つ。そして平成の世においてかの地に”浪岡”の名字は多い。(現、三沢市淋代)


 のちに彼らの土地より結びつけて、本来の領主のいなくなった浪岡周辺を誰かが”淋城さびしろ”と呼んだ。浪岡御所は浪岡城という名前もあるので……”代”を”城”に変えただけ。淋代と淋城、ともに今の住所に残っている。

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