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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第一章 北畠残党、秋田へ向かう 天正六年(1578)晩秋
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限界 第五話

 ところであの滝本ならば脱走に気付きそうなものを、みすみす見逃しているのだ。これはどういうわけかというと……実は奥瀬(おくせ)が絡んでいた。すでに浪岡衆が逃げるだろうことを知っていたし、それも仕方ないだろうと憐れんでいた。滝本の厳しいやり方に奥瀬も積弊(せきへい)していたが、強く止めることがどうしてもできない。立場は己の方が上なのだが、滝本へは浪岡を守れなかったことでの負い目がある。


 だからこそ浪岡衆の思うがままにさせてやろうと。いくら敵方に逃れようと目をつむる。……外ヶ浜、特に油川は来るものも多いが去る者も多い。去る者をわざわざ追わぬ。



 奥瀬は滝本以下の諸将を横内から油川に呼び寄せ、何度も宴会を行った。浪岡衆のうち逃げたい者らはこの間隙を狙えばいい。……大船は何処にいるだろうか。頭の中で思いながら、滝本の盃に酒を注ぐのである。そんなとき横内から遅れて使いの者がやってきた。


 浪岡衆のうち二十名ほどがいなくなったと伝えるためだ。滝本は当然の如くいきりたち、もともと感情の起伏が激しい性質(たち)ではないのだが、特に酒に酔っているので怒りは相当なものだ。しいて言うならば彼はどこか弱い人間であり、その事実を隠すために“怒る”ことでおぎなっている。それに横内(よこうち)だって正しくは己の城ではないし、土地を奪われたという意味では浪岡衆となんら変わりない。対外的にも弱い存在なのだ。だが彼自身には主君の仇である津軽為信を討ち、大光寺城を取り戻すという名分がある。強い存在にならねばならぬ。それがために己の物に出来るなら己の物にするし、人も使う。後がどうなれ進むしかないのだ、どのような軋轢あつれきを生もうが。





 ……さすがに酔っているので自ら追うことはできまいし、船に乗っていれば場所すら知らぬ。地団駄(じたんだ)を踏むしかなかった。


 三日月みかづきは、高いところよりめた輝きを見せる。


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