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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第十章 南部軍、津軽氏を従属させる 天正七年(1579)旧暦七月十一日夜
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嘗胆 第五話

一、津軽氏は南部家臣となり、名字を大浦氏に戻して忠誠を誓う。


二、浪岡は召し上げ、新しく御所号として山崎(やまざき)氏を戴く。実際に治めるのは堤則景(つつみのりかげ)家臣の白取(しらとり)氏である。


三、かつて浪岡の領民であり希望する者を帰還させ、かつての土地に戻す責務を大浦氏は果たす。



 このあたりが帰着点だろうと奥瀬は話した。為清はその通りだろうと概ね同意。則景にも異論はない。ただし……まさかの沼田が喰いついた。


「私は他国者でございますので、同じ者らの悲惨さというものは重々知っております。そこで彼らを浪岡に住まわせて田畑を与えました。それを追い出せと申されるか。」



 その言葉を聞いて思わずカッとなった則景は机を叩き、沼田を睨みつけて罵声を浴びせる。


「今更何を申される。ならば浪岡より逃げた民をどう思われる。慣れぬ土地に追いやられ、ある者は滝本の苦難を負い、またある者は敵方に属して死に果てた。他国者などどうでもよい。」



 一触即発の事態。ここでまさかの決裂というのもありえるが……奥瀬は慌てていない。落ち着いたままだ。



「両人とも……ならば浪岡の者だった彼らを、代わりに水木(みずき)の広大な土地を与えよう。」



 見知っている場所にも近いし……すでに耕されているので苦労もない。いやいや、水木には水木御所があるのではと沼田は問いただしたが、もしやとすぐに察してしまったので言いよどむ。


「ほう……沼田殿は頭がよろしいの。水木(みずき)(とし)(あき)は死んだので、水木御所を保つ必要はない。いまや無主の土地よ。周りを固めた武者や農兵共に死に果てただろうし、丁度よかろう。」






 利顕のなれの果て。無理やり生かされて、悲惨に死んだ。果たして浮かばれることはあるのか。


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