心配
「中崎先生、笹原です。」
「ああ、入っていいぞ」
放課後、合唱部長の笹原駆は、音楽科準備室の扉を叩いた。
顧問、音楽科教師の中崎裕一先生の声に促されて、笹原は扉を開ける。
昼休みと同じく、笹原は丸椅子に腰かけた。
「それで、先生、書類とはなんの書類でしたでしょうか?」
「いや、それは口実だから」
「あ、はい。」
機先を制され、笹原は困惑の色を浮かべた。
「つい、水橋のことが心配になってな。笹原と話をしておこうと思って呼んだだけだ。」
「……何だか、2年前の自分を思い出すようですね。」
「そうだな……あのときはお前が鍵をなくして、柿沼に連れられて来たんだったな。」
「もうずいぶん前の事ですね。」
「大人から見るとあっという間だぞ。」
「そうですか」
「そうだ。」
ややあって、中崎先生が先に口を開いた。
「それで、水橋はお前に、どう報告したんだ?」
「……昨日の放課後、最後に施錠するときにはじめて言われました。」
「音楽室でか?」
「そうですね。駅まで歩く間、それから駅でしばらく、話を聞きました。聞いた内容は、昼にご報告したのと大差ありません。」
「それに、どう答えたんだ?だいぶ信頼されたみたいだが」
「それはないですね」
「……即答か」
「即答です。僕みたいなポンコツを信頼されたら困ります。」
「……そうか」
「そうです。」
またもや沈黙。
「それで、水橋と敷島はなんで二人で来なかったんだ?」
「敷島にも反省を促したいところではありますけど、水橋が、自分のせいだから、と思い詰めているようなので、別途明日辺り、敷島を連れて来ます。その方が水橋のためにもいいでしょう、」
「……そういう事情か。」
「どうも、水橋の方が、敷島のせいにしたくないと思っているようなので。敷島の方は……どうでしょうね……」
「そうだな……明日、昼休みを開けておくから、連れてくるように。」
「はい。」
「部活時間外の解錠はやむを得ない時だけにしてもらいたい、と伝えておいてくれ。」
「はい。」
※※※
笹原が出ていき、中崎先生一人になった音楽科準備室。
壁一枚隔てた音楽室から、吹奏楽部のウォーミングアップが聞こえてくる。
「笹原も大きくなったものだなぁ……」
そう呟くと、中崎先生はスタンドに立ててあったトロンボーンを取り上げ、スケールを一往復吹くと、準備室を後にした。
※※※
音楽科準備室を後にし、階段を降りようとした笹原は、踊り場に人影を見つけた。
「……」
「あ、先輩!」
「おう」
渦中のその人、水橋結菜である。
「水橋、どうしたんだ?こんなところで。」
「その……つまり、先輩、を、待って、いました……あぅ……」
尻すぼみに声のトーンが落ちる水橋。
「え、待ってもらわなくてもよかったのに」
「……その……話したいことが……」
「うん、そう言うことは早く言おうか。ね。」
「……むぅ……」
「あーはいはい、それで?」
笹原は階段を下りながら先を促す。
上から、吹奏楽部の合奏が聞こえてきた。
「先輩、今、中崎先生のところに居たんですよね……?」
「うん、そうだけど?」
「……その……怒られたりとか……」
「あ、それはないよ。単に書類を取りに行って、軽く話して、それだけ。」
「……えっと……」
「別に、水橋が泣いたとか、そういうことは何一つ言ってないよ?安心してもらって構わないけど」
「いや……それは安心ですけど……そうじゃなくて……その……」
「ゆっくりゆっくり、ね」
水橋は、浅い深呼吸をした。
昇降口をくぐり抜け、校門を通りすぎて、二人は駅へ歩いていく。
「……ご、ごめんなさい。私が、なくしちゃったばっかりに……」
「お、今日はちゃんと『なくした』って言うんだな。」
「……むぅ……」
「そんな機嫌悪くすんなって……ごめんごめん……」
「そうそう、先輩、明日出すあの書類、部長が名前書く欄もあったので、朝、先輩の教室に行きますね」
「うん、3-1だな。二階の一番手前だけど、わかるか?」
「わかりました。明日の朝、行きます。校門から見て、ですよね?」
「うん。」
駅の改札を抜けて。
「それじゃ、また明日。」
「お疲れさまでしたぁ」