沈静
列車が、来て、去って。
雑踏の波が寄せては返して。
合唱部長の笹原駆と、部員の水橋結菜は、そんな駅の騒音の、片隅に佇むベンチに、二人して座っていた。
「ありがとう、正直に話してくれて。」
「……私、嘘つきですよね?」
「うん。だけど、まだ敷島に迷惑は掛けてないし」
「……ゆかりんに……ゆかりんは、なんにも悪くないのに……私……」
「大丈夫大丈夫、まだ間に合ったよ。」
「……でも……でも……」
「やっぱり敷島に謝りたい?」
「……そんなの、当然じゃないですかぁ……」
「じゃあ、謝りな。全部話してさ、それで謝ってみたら?」
「……」
「たぶん、隠し事して一番悲しいのは自分だから、ね?」
「……うん……」
小さくうなずいた水橋は、鞄から携帯を取り出した。
「……ん?」
「ゆかりんに、明日、話したいことがあるって……」
「……ゆっくりゆっくりね」
「……え?」
「敷島に話すときも、ゆっくりゆっくり、その……つまり……大丈夫だから。うん。」
「先輩、意味不明ですね」
「……と、とにかくだな、テンパっても焦っても泣いても、ダメになるでしょ?」
「……それ、今日の私……」
「……なんかごめん」
「……別にいいですけど」
水橋はぴょんと立ち上がると、ぐぐっと大きな伸びをした。
その拍子に制服のシャツの裾が捲れ上がり、笹原は小さく苦笑を漏らす。
「……なんか、今の、子供っぽいぞ?」
「えー、先輩、そんなこと言うんですかぁ」
「……ごめん」
「先輩こそ、女の子にティッシュとか、何か違うんじゃないですか?」
「……ハンカチはあんま綺麗じゃないかなと」
「そこは格好よく白ハンカチとか」
「……持ってないな」
笹原は頭を掻きながら立ち上がる。
「はいじゃあ、明日の昼、部室の前でね。一人で帰れるか?」
「子供じゃないんですから」
「あー、はいはい、また明日」
笹原が跨線橋の階段に消えていくのを目で追って、水橋は、思わずその背中を追いかけたくなった。
しかし、笹原の姿は、すぐに人の波に溶けていって、見えなくなった。
※※※
「……ということで」
「はい」
翌日、昼休み。笹原と水橋は、部室の前で集合した。
「今から、音楽科準備室を訪ねて、顧問に報告します。」
「はい」
「中崎先生には、俺が言おうか?」
「いや……私が言います。」
「そうだ?敷島には言えた?」
「……今朝、全部話して、謝りました。」
「はい、よく頑張りました」
「まーた、子供扱いしてぇ」
「いやお前、昨日の調子だと絶対ダメなやつ……」
「……むぅ」
水橋は、リスのように頬を膨らませた。
笹原がその頬をつつく。
「うん、一晩寝て整理ついたか?」
「そうですね、もう万端ですよぉ」
「はいはい、行きますよ」
「はーい」
※※※
合唱部の顧問、中崎裕一先生は、まだ三十路前半であろう若い音楽教師で、ひょろっとした体型と裏腹に情熱的なイケメンである。
笹原は音楽科準備室の丸椅子に座り、水橋が事情を説明している間、ぼんやりとそんなことを思っていた。
「うん、事情はわかった。鍵の紛失は……笹原、二度目だな?」
「……3年ぶり二度目ですね。僕が知る限りでは」
「お前も大きくなったなぁ……」
「……連れてくる立場になりましたからね」
「教師冥利につきるよ」
「ありがとうございます。紛失届は今、書きましょうか?」
「いや、用紙だけ渡すから、明日、記入して持ってきて。親御さんには自分で言えるか、水橋?」
「……はい……もう言いました……」
中崎先生が、水橋に向き直る。
「鍵を預かったとき、僕に言われたことは、まだ覚えてる?」
「はい。……鍵を預かる生徒は、責任をもってその鍵を管理し、紛失しないこと、部の活動のために使うこと、です」
「大筋はあっているね。では、なぜ責任をもって管理しなくてはいけないか、わかるか?」
「……えぇと……そう決まっているから……ですか?」
「水橋、部室の鍵は何のためにある?」
「……えぇ……えと……」
「質問を変えよう。何故部室には鍵を掛けるのか。」
「……えぇと……その……」
「じゃぁ、鍵を掛けるとどうなる?」
「……入れなく、なります。」
「部室に鍵を掛けると、どうなる?」
「……えぇ……」
「「質問を変えよう。何かに鍵を掛ける、という行動の目的は?」
「……えと……」
目を白黒させる水橋に、横から笹原が声をかけた。
「落ち着け、水橋。小学生でもわかるぞ」
「……そ、そうですね」
水橋の目が、中崎先生の目と合った。
「どうして物に鍵を掛けるのか、水橋、わかるか?」
「……侵入されたり、盗まれたり、しないように、ですか?」
「そうだな。それじゃあ、部室に何故鍵を駆けるのかというと?」
「部室に、侵入とか、泥棒とか、無いように、ですね?」
「うん。その通りだ。そこで、鍵をなくしたらどうなる?」
「……ええと……」
「その鍵はどこにいくんだ?」
「……わかりません」
「そうだな。わからないな。だから、鍵をなくしたらいけないんだ。」
「……?」
「知らない誰かが、部室の鍵を持っているかもしれないだろう?」
「……そうですね……」
「だから、鍵をなくしたらいけないんだ。部費の返上の話は、笹原、説明した?」
「はい。10%を返上する、ということで良かったですよね?」
「ああ。あれは、罰というより、鍵の交換費用。すぐに取り替えないと、鍵を掛ける意味がなくなるからな」
「……ごめんなさい。」
「なに、わかれば良いんだ。学校はそういうところだからな。大人になってからは、誰もこんなこと教えてくれないんだ。」
昼休みが残り5分になったことを知らせる、予鈴が鳴った。
中崎先生は立ち上がると、机の引き出しからクリアーファイルを出し、一枚の紙を出して水橋に渡した。
「よし、紛失届は、ここに必要事項を書いてな、明日持ってきてくれ。」
「はい。」
「次の授業、遅刻するなよ。」
「はい。」
中崎先生は扉を開け、二人を廊下に出した。
「ああそうだ、笹原、放課後、書類を取りに来てくれ。忘れずにな」
「あ、はい。」
覚えがない、と思いながらも、笹原は返事をした。