⑤錬金術師クロードヴァルド・ザシェール
次の日。
――「ジョルジュ王子からお話は頂いておりますが……Saint-Hilaire様といえども、お通しすることはできません。国王陛下から何人たりとも通すなと命令がありましたので……。明日の夜会では予定通り、“エメラルド”を一般公開する予定です。明日の夜をお待ちください……」
死神の憲兵はそう言って、百合とイレールを部屋へ通そうとはしなかった。国王の命令とあって、イレールも素直にそれを聞き入れる。
「そうですか……残念ですが、引き下がりましょう。お勤めご苦労様です」
死神の憲兵はイレールに敬礼すると、持ち場に戻って行った。
「すみません、百合さん……。そういうことらしいので……」
「明日のお楽しみってことですね」
百合は気にしていないというように、微笑む。
「フフ…そういうことにしておきましょうか。じゃあ今日は!二人っきりで船内をフラフラしませ―――」
イレールが意気込んでデートを申し出ていると、
「これからは僕も混ぜてもらうよ!」
「羽ヶ矢くん!」
どこからか羽ヶ矢が登場して、その言葉を遮った。
「では三人で行きましょうか」
ちょっぴり残念な気がしながらも、イレールはにこやかに歩き出す。三人は最高に仲がいいので、それはそれで良いのだった。
しかし、歩き出して数歩。という時だった。
―――紫の夜会服を着込んだ金髪の紳士と、白髪の仮面を付けたお付きの執事と、すれ違った際、
「―――ッ!!?」
イレールは急に立ち止まった。百合を背に、瞳を吊り上げる。
「イレールさん!?」
百合と羽ヶ矢の二人は焦りの声をあげた。
イレールは戦闘態勢だった。
今にも魔法を発動させようとしているかのように、彼の足元には白い魔法陣が浮き上がっている。
――「気のせいですか……」
真剣な声で言って、イレールは警戒を解いた。心配そうに見ている二人に笑ってみせて、再び三人は歩き出す。
(殺気を感じたのですがね………。それも、鋭利に刺すような……)
イレールは心の中でひとりごちる。そのことは、二人には黙っておくことにした。怖がらせたくはない。
金髪の紳士は、ニヤリ…と、人知れず笑った。
三日間の船旅はあっという間に終盤を迎えて、夜会の夜。
百合達はすっかりめかしこんで、ただっぴろい豪奢なパーティー会場に居た。
「素敵です……」
―――イレールはうっとりとしていた。
「ブローチが曲がってますよ。整えますね」
「あ、ありがとうございます!」
普段通りの彼女が持ち合わせているこのような気遣い。
それさえも、今日は特別に嬉しく思える。
百合は、イレールの胸に輝く、スターサファイアのブローチを取り外すと、綺麗に止めなおした。このブローチは彼と、彼の友人たちにとっても、とても大切な一品だ。
「これでよし……」
百合は華奢な細い両手を遠ざける。イレールはその指先を愛おしそうに見つめた。
その視線に気づいて、百合も頬を染める。
やわらかい雰囲気が二人を包んだ。
今宵の彼女は―――薔薇の花びらを思わせるような、紅いドレスに身を包んでいる。
髪も華やかにまとめ上げて、ミカエラに少し化粧もしてもらっていた。
イレールが先ほどからうっとりとしているのは、このせいである。
会場に美しい旋律が流れ始めた。会場に居た人々は幸せそうに手に手を取りあって、旋律に合わせて、ダンスに興じる。百合とイレールも、視線を合わせて微笑み合うと、その輪の中に溶け込んでいった。
「見とれてしまいます……。とってもきれいですよ。普段の貴女はかわいらしい感じですけど、今日は“きれい”という言葉を冠したいです!」
「あわわ………!」
その言葉に百合の頬も、ますます薔薇色に染まる。パーティー会場にいる他の人々は、微笑ましく見守るような視線を、二人に向け続けていた。
イレールはこの世界では、有名人のような存在だ。
二人の仲を勘ぐるような話を囁かれてもおかしくない場面なのだが、心優しい魔法族たちは、誰もがみな、
二人の幸せに満ち溢れたひと時―――を、台無しにしないよう、静かに微笑んでいるのだった。
曲は終わりを迎える――
「何か飲み物を取ってきますね。ここで待っていてください」
「ありがとうございます」
イレールが一端、その場を離れた。
百合はちょっぴり疲れを感じて、近くの椅子に座る。
そのときだ。
金髪の紳士が彼女に歩み寄って来た。
「綺麗な方ですね……」
「―――っ!?」
第一声が、そんな甘い一言で、百合はびっくりと面食らう。
「どちら様でしょうか……?」
「あぁ…!申し遅れました」
その紳士は「いけない、いけない」と苦笑すると、いきなり百合の右手を取って口づけた。
「………っ!」
西洋風の挨拶なのだが、そんな挨拶になれているはずのない百合は、頬を赤らめる。紳士は構わず、手を取ったまま、丁寧に挨拶した。
「クロイツ王国、議員をしております……
クロードヴァルド・サジェールと申します。
貴女のあまりの美しさに惹かれ、つい、ふらりと……。よろしければお名前を教えてはいただけませんか………?」
彼は真紅とコバルトブルーの瞳を細めて、百合に迫った。
「す、すみませんが……人を待ってるので」
百合は困ったように言う。
ザシェールの勢いに恐怖さえ感じて、縮こまる。
「恐がらないでください。フフ……純情な方なのですね。潤んだ瞳も美しい……」
ザシェールは百合の頬に触れようと手を伸ばした―――のだが、
―――「嫌がっているのが分からないのですか………?」
「ぐ……ッ!!」
――イレールに手を掴まれて、顔を歪めた。
すぐにその手を引っ込めて、キッとイレールを睨む。しかし、すぐに微笑を取り戻す。
「これはこれは……独身貴族で御有名のSaint-Hilaire様ではございませんか。もしや、この麗人は貴方のフィアンセですか?」
刺のある言い方だ。
イレールは柔らかい口調ながらも、厳しい表情で返す。
「貴方には関係のないことです」
「おや、怖い。ここは“一度”手を引いた方がよさそうだ……」
ザシェールは肩をすくめてみせる。そのとき突然、会場全体の照明がパッと消えた。会場からは動揺する声が上がる。
「これは……?」
ザシェールへの怯えと、視界が暗くなったことへの恐怖で、百合は椅子から立ち上がった。イレールは隣に彼女を立たせると、「大丈夫ですよ」と、明るい声で言う。
「お披露目があるだけです……―――繁栄の輝石の……」
そう言ったのはザシェールだった。
―――パッ!
急に、前方のステージにスポットライトが光った。
それを合図に、感激を含んだ、たくさんの歓声が上がる。
――そこには、手の平に乗る程の、美しい“エメラルド”があった。
司会者が陽気に何かそれについて解説しているが、百合の耳には届いていなかった。それほどに、そのエメラルドは美しい輝きを放っていたのだ。
「あれが昨日見に行くはずだったエメラルドですか?」
「はい。あの石は、特別なエメラルドです……。人間界と魔法界という二つの世界に、大地を潤す清らかな水を安定的に供給してくれています……」
その時―――ザシェールがポツリと言った。
―――「やれ……」
――――ドゴォオオオッ!!!バリバリッ!!!
きゃあああああーーーーーっ!!
うわぁああああーーーーーーーーっ!!!
刹那、
黒い雷が会場中を駆け巡った。
人々は叫び声をあげ、落ちてくる照明や瓦礫に体を打たれた。和やかだった会場は一変、パニックに陥る。
「きゃあっ!!!」
「百合さんッ!!」
肩を押さえた百合を抱き込む。
痛々しくも、彼女の華奢な肩を瓦礫が打って、紅い線が走る。
―――(彼女を安全な場所へ運ばなければッ!!)
百合を横抱きにして抱きかかえると、イレールは会場の窓に飛び上がった。
――――パリィイイイーーーーーーンッ!!!!
窓ガラスを蹴破り、
「くッ!!」
ガラス片から百合をかばいながら、甲板へと着地する。
―――「これは………ッ!!」
イレールは目を見開いた。
楽しく二日間を過ごした客船は――――火の海と化していた。