④女優アシリエル
――「とぉりぁーーーーっ!!」
ジョルジュは西洋風の長剣であるアスカロンを、軽やかに振るう。
カタカタ……
目の前ではマネキンが、人と変わらない滑らかな動きで、彼に刃を突き出している。彼は、練習用のマネキンを相手に、剣を振っているのだった。戦いのカンを鈍らせないようにするためだ。
やがて――
「ふ………」
白いTシャツ姿の彼は――動かなくなった相手を前に、汗を拭って一息ついた。
彼の燃えるようなワインレッドの髪が、うっとうしそうにかき上げられる。背中には、彼をヴァンパイアたらしめる鋭い翼が広がって、体を動かした後だというのに、高貴な雰囲気が漂う。
パタン……
――「フィットネスクラブで鍛錬とは……。相変わらず王子らしくないことだ。」
「お……?」
突然、個室のドアが開くと同時に声がして、ジョルジュはそちらへと気を取られる。すると、彼はニヤッと口角を上げた。
「来たんだな――エウラリア!てっきり来ないかと思ってたぜ?人ごみ嫌いそうだからな!」
「あぁ。来ないつもりだったんだがな……」
訪ねて来たのはエウラリアだった。
彼はそっけなく肩をすくめてみせる。ブラックスーツ姿の彼は、この場に合わない。しかし、彼は平然とした顔をして、ジョルジュに歩み寄った。
「怪力プリンセスは別行動か?」
「おう。デンファレは百合のドレス選びに付き合ってんだ。この船が王都グロッジェに着く前日の夜――明後日の夜だな。親睦パーティがあんだろ?野郎のオレはここで大人しく待ってんだ。女の買い物ってなげーし!」
「そうか……。では―――」
エウラリアは、一瞬フッと微笑んだが、おもむろにレーヴァテインを手にする。
「王立合唱団の公演、特別シートS席を手配してもらった礼に、少し付き合ってやる……
それに
――ついさっき、陛下の耳に届けておきたいこともあったのでな」
真剣な表情になって言うエウラリア。
「お、おう!」
ジョルジュは不意を突かれて返事が遅れるものの、同じく真剣な表情になって、アスカロンを構える。
―――二人の鋭い視線がぶつかったのを合図に、
ギギギッ!!
銀の刃と漆黒の刃が、金属音をあげ始めた。
二人は鍔迫り合いをしながら、何やら話し込んでいる。
――「マジか……」
「ワタシは警告したからな?これからどうするのかはオマエたちに任せる」
「あぁ……感謝するぜ」
ジョルジュは良質なアメジストのような紫の瞳を、厳しそうに、細めた。
その頃、百合は、というと―――――
――「えっ!?じゃあ、この船はデンファレ姫様の船なんですか?」
「はいですの!この船は『プリンセス・デンファレ号』という名前で、わたくしの成人祝いにお父様が作ってくれたのですわ~」
無邪気にそう話すデンファレは、黄色いドレスに身を包んで、薄ピンクの髪をツインテールにして、それを可愛らしく揺らしている。
ミカエラがドレスを抱えて来た。
彼女も、ここで選んだらしい大人っぽいシンプルな空色のドレスを、身に纏っている。しかし、ブロンドの髪と女神のような美貌のおかげで、充分に華があるのだった。
「はい、ゆりちゃん。これなんかどうかしらぁ?」
――「わぁ………!かわいいしっ!かっこいいっ!!」
百合の瞳が輝く。
「今日一番の反応ねぇ。これにするぅ~~?」
百合は、ミカエラが新しく持って来たドレスを、大切そうに受け取った。
「はい!これにします……!」
嬉しそうに頬を染めて、彼女はそのドレスを胸に抱き寄せる。
(私はまだ高校生で…子どもだけど………。ミカさんみたいに、大人っぽくなりたいな……今の私じゃ…大人なイレールさんに…つり合ってない気がするから……)
『そのドレス』を選んだのは―――ちょっぴり切ない、そういう理由だった。
「そのドレス、きっと百合に似合いますわ!――あぁっ!百合はイレール様とお付き合いしていますのねっ!ちょっぴりうらやましいですけれど……。お似合いですわぁ~~!
お二人の事ですもの!
難なく、このままゴールインしてしまうはずですわっ!」
デンファレはうっとりと手を組む。
「ゴ、ゴールインって…!いわゆる…けっ、けっ……!」
あわあわ……
「うふふ、耳まで真っ赤よぅ!ゆりちゃん!」
ミカエラが口元を押さえて微笑んでいると、
「ドレスも決まったことですし、お二人にお願いがありますの!
―――これ、一緒に見に行きませんこと?」
デンファレは肩にかけていたバックから、チラシを取り出した。
二人が覗きこむ。
――「舞台女優Ashiriel。
どこか儚げな雰囲気と美しい美声が売りの若手女優。
彼女がオフィーリアを演じるシェイクスピアの名作『ハムレット』。3番ホールで以下の日時に開演。ですの!わたくしこの子のファンで、ぜひ観に行きたいのですわ!」
デンファレが目をキラキラさせながら読み上げる。
「面白そうですねぇ~もちろんお付き合いしますよ」
「舞台ですか!見てみたいです!」
ミカエラは丁寧な言葉使いで答え、百合も頷いた。
ただ、何となく百合は―――その女優の顔に引っ掛かりを覚えた。
――どこかで見たことがあるような。
(目が赤くて……肩につかないくらいの黒髪を、毛先だけ水色に染めた女の子か……。特徴的な髪型だし……会ったら覚えてると思うんだけど……)
自分と同じくらいの歳に見える、女優アシリエル。
百合は小首を傾げる。
――「さぁ!さっそく行きますわよ!」
「あ。は、はいっ!」
デンファレに急かされて、百合は我に返る。もうすでにデンファレは駆け出していて、慌て彼女も駆け出した。
買った物は従業員が部屋まで届けてくれた。そこのところは、さすがは豪華客船である。三人は一度甲板に出て潮風を受けると、3番ホールに続く廊下を抜けた。
何故だか、ホールの巨大な扉の前には、人だかりができている。
――「こっちにもくれ!」
「はいよー!」
「お道化ものさん、こっちにも~!」
「おっ!ぜひおいで、小さいレディ!」
「あっ!―――クラウンさんっ!!」
人だかりの中心に居るのは、良く見知った者だった。
百合が駆け寄って行くと、その人物――クラウンもすぐに気づいたような顔をした。手にしていた赤いシルクハット――中には鮮やかに包装されたクッキーが詰まっている――から、赤とピンクの包みを、おもむろに取り出す。
「百合じゃないか。君にもお一つあげよう!私が団長を務めるお馴染みのサーカス団、『Cirque de magiciens』の、お土産品で売っているクッキーだよ!」
「わぁ~~!ありがとうございます!」
「いいってことさ!この後3番ホールで公演をするから、ぜひ見においで!」
クラウンは白い簡素な仮面からのぞく口元を、ニカッと吊り上げる。
肩と腰には奇抜な配色のスカーフが巻かれ、その下には真っ赤なスーツを着込んだ人目を引く格好だ。スラリとして長身な体つきに、銀糸のような長い髪が背中に流れる。
見た目には、華やかな道化師だ。
しかし、お調子者のその仮面の下に、れっきとした冷静さをも持ち合わせている。そんなことを感じさせる雰囲気があるのが彼だ。
百合はクラウンの言葉に引っ掛かりを覚えた。
「あれ?3番ホールって言いましたよね?この後公演されるのはアシリエルって女優さんが出る『ハムレット』だって聞いたんですけど……」
「あぁ!それなんだが……」
クラウンは思う所があるらしく、手をポンッと打って言う。
「アシリエルの体調がすぐれないってことで中止になったんだ。それでその空いた時間を私達が埋め合わせようって話になったのさ」
「そうなんですか……」
「そうなんだよ……」
――「そんなところで何やってるの……?」
突然、ドスの効いた女性の声が、二人の耳に届いた。途端、クラウンの背筋がビクッと伸びあがったのを百合は目撃する。
「30分後に開演なのよ?初めて公演する場所なんだから、ちゃんとあなたも立ち位置なんかを確認しておかないと……。以前、大火炎車に巻き込まれたのを忘れたの……?それともなに…?白魔術族と死神族のハーフであるあなたには、魂が二つあったりするの?そうね……。そうだったら、一度くらい死んでも大丈夫、ね………?」
「レ、レディ~……」
情けない声をあげて、クラウンは百合の方へと後ずさり始めた。彼の背後には、彼が恐れるマーメイド、レディー・アーレイが、冷たい視線で彼を見据えている。
「つまりね、お菓子を配ってる場合じゃないの!―――分かった?!!!」
――ドゴッ!
「ぐはっ!!」
バタ……。
「あ、はは……お大事にです。クラウンさん……」
「じゃあね!百合ちゃん!」
クラウンの背中に綺麗な手刀が入って、ノックアウトした彼はホールの中へと引きずられて行く。百合はレディー・アーレイに手を振り返すと、開演が中止になったことをミカエラとデンファレに伝えるべく、二人のもとへと踵を返そうとした
――のだが、
――「きゃっ!」
彼女は少女とぶつかって、お互いに尻餅をついた。
「きゃあ!ごめんなさいっ!!」
ぶつかって来た少女はいち早く起き上がると、百合に手を差し出す。
「大丈夫……?」
「うん……こちらこそ、ごめんね」
その少女は白いワンピースに、つばの広い、これまた白い帽子をかぶっている。サングラスをかけているが、なんとなく気弱そうな子だ。見た目には、百合と同じくらいの年代に見える。
百合は、ハッとした。
少女の肩にかかるほどの黒髪は――毛先だけが、水の色に染まっている。
百合が体制を整えたのを見届けると、少女は後ろを振り返った。ミカエラとデンファレがこちらに駆けてくるのが見える。
サングラスの向こう。少女の紅い瞳には、その光景が映っていた。
――「あなたは誰かの優しさに囲まれて生きているのね……。
昔……。
楽しく一族で暮らしていたあの頃に戻りたいな……。
わたしが種族に囚われずに、誰かに心を開いていたら、
あの痛みを乗り越えられたのかな?
錬金術師に捕まることも………なかったのかな?」
―――「え?」
百合が少女を振り返った時には、少女の寂しそうな微笑が見えて、彼女はホールの中へと行ってしまった。