③出航
「きゃあああっ、あと出航まで二分です!もうカップラーメンすらできないですよっ!!」
「落ち着いて、百合さんっ!!」
「てっへ♪ごめんっ♪」
「貴方は全力で走りなさい!」
「了解で~す!My Master、イレール!」
イレールに横抱きにされた百合は、腕時計を目にして絶叫した。今現在、イレール達“三人”は全速力で海に面した通りを駆け抜けている。
やっと、豪華客船の巨大な船体が見えてきた。
すかさず、ポォー……と、汽笛が鳴ったのが聞こえた。
――今まさに、出航の時刻である。
「うわぁああっ!!跳びますよっ、しっかりつかまっていてくださいっ!!」
「は、はいっ!―――きゃああーーーーーっ!!」
イレールは百合を横抱きにしたまま地面を大きく蹴って、跳び上がった。
「ひゃっほーーーーう!」
続いてもう一人も。
タンッ!と、甲板に着地する靴音が響くものの、それは港にいる人々と船上にいる人々との別れの声でかき消される。ハ…と、安堵の表情を浮かべたイレールは、百合を大切そうに立たせた。
「ありがとうございます……」
「いいえ……なんとか間に合いましたね」
「いやぁ…職人に、こんなアクティビティをさせるなんて……。ボクの雇主は人使いが荒いなぁ~~」
作業着姿の彼は、額の汗をぬぐう。
イレールと百合の言葉が合致した。
――「「あなたのせいですよ!ロイっ(さんっ)!!」」
「あっは!怒られた♪」
なにしろ、船に乗り遅れそうになったのは、目の前で涼しい顔をしている宝飾職人のせいなのだ。
「貴方が『招待状をなくした』なんて言いだしたときには、本当に慌てましたよ!」
イレールが先ほどの喧騒を思い出しながら、追い打ちをかける。
「結局、ロイさんの胸ポケットから出てきましたよね」
百合は苦笑いした。
「ごめんね~悪気は無かったんだよ~~」
宝飾職人ロイはひょうひょうとした様子で答える。見たところ、よほどの自由人らしい。職人と言っても若い。イレール同様、20代前半ぐらいの見た目だ。
ロイは赤銅色の髪を撫でつけると、百合に向き直って丁寧にお辞儀した。
「さっきは挨拶もろくにできなかったからね。どうも初めまして。イレールの宝石店で、専属の宝飾職人をやってます。ロイ・キリングです」
「はい!よろしくお願いします」
沢山のポケットがついた作業着には、百合が見たことの無い工具が、無造作に放り込まれている。それに気を取られながらも、百合は朗らかに握手に応じた。途端、ロイがニヤける。
「イレールもやるな~~こんなかわいい子をゲットするなんて!」
「……そ、そんな…っ!」
百合が照れて言うものの、イレールは、
「幸せ者ですよ。私は………」
と、照れもせずに笑っている。
そこへ――――
――「イレールに、ゆりちゃあ~~~~~~ん!」
聞きなれたおっとり声が聞こえて来た。
「あ、ミカさ――――――」
百合がすぐにその人物が誰か察して声をあげる。
だが、その瞬間。
――「ミ、ミ、ミ、ミカちゃーーーーーーーーーーんっ!!!!」
ダッ!!!
ロイが目にも留まらぬ速さで、その人物の手を取った。
その人物は「まぁっ!?」と、一声あげたが、すぐにおっとりと微笑んで返した。
「お久しぶりねぇ、ロイ」
「うんうん!ミカちゃんこそっ!」
ミカ――天使ミカエラはやんわりと、包まれた手を退ける。
「あなたが居たほうが、オーダーメイド・ジュエリーの依頼を受けたときに、スムーズに事が進むからよねぇ?頑張ってねぇ~」
「うん!頑張る!頑張りまくり!ミカちゃんにそう言われたら…もう百人力っ!!」
ロイは再びミカエラの手を取った。
しかし、それをミカエラは再び、やんわりと解く。
(ミカさん……強い!)
百合は心の中でひとりごちる。イレールはクスッとふき出した。ミカエラはロイから発せられている熱烈な視線を受け止めつつも、彼を傷つけないよう優しく受け流す。
それでもロイは気にしていないようだった。
熱烈なラブアピールを送り続けている。
「今日も純白の羽根がきれいだよ、ミカちゃん……!」
「それは天使だからよぅ~~」
二人のやり取りにばかり目がいっていた百合だったが、
―――「あっ!!こっちですよ~~~~!」
こちらに歩み寄って来た者たちの存在に気づいて、手を振った。
(この気配は…………っ!!!!)
その瞬間――イレールの顔が青ざめる。
「ミカエラ……事前にお願いしていたとおり、これで彼女にドレスを」
「えぇ、了解よぅ。親睦パーティがあるものねぇ」
こっそりと、ミカエラはイレールからクレジット・カードを受け取った。彼女はイレールが顔色を変えた理由にすぐに察しがいったようだ。イレールはこの場を去るべく、続いてロイに話かける。
「すみません、ロイ。あちらで仕事の話をしましょう……!」
「えっ!?――あぁ……なるほど!」
イレールが視線をやっている先を探り終えて、ロイはニヤッと笑った。
合点がいったのだ。二人はその場からサッと姿を消す。
「お久しぶりです~~~~」
百合は無邪気に、イレールが青ざめる“原因”に手を振っている。
「よっ!」
「どうもですの~!」
そこへ現れたのは、ヴァンパイア二人――ジョルジュ王子とデンファレ姫。
二人が視界に完全におさまった頃、百合はやっと、その場の人数が減っていることに気づいた。
(あれ?イレールさんとロイさんがいない)
きょろきょろ。
――(ま、いっか♪)
―――――――
百合が呑気にのほほんと、デンファレ姫とはしゃぎ始めた頃―――
船内の巨大なコンサートホール。
そこで声楽曲を聴いていたエウラリアは、ふらりと一人、そこを跡にした。
彼は厳しい表情をして歩みを進めていた。
腰には、黒き刀――レーヴァテイン。そこに手を沿えて、抜刀に備える。
まるで――何かを警戒しているかのような。
ここは豪華客船だ。
巨大ショッピングモールやフィットネスクラブ、パーティー会場や、カジノなど、色々な娯楽施設が集まっている。
客室も満室だ。どの通路も人通りは多いはずなのだが、彼が歩いている通路は狭く、そして人気がまるでない。何かが飛び出して来そうな不気味さがある。
彼は気配を消したまま、足音さえ立てず歩いていた。
しかし―――
――「………ッ!?」
急に駆け出して、しゃがみ込んだ。
そこには死神の憲兵が三人うつ伏せに倒れていた。
エウラリアはそのうちの一人の脈を確認する。
「………眠らされているだけか」
小声でつぶやくと、彼は立ち上がってドアに歩み寄った。かすかにドアは開いていて、隙間から薄暗い室内が窺える。
誰かが――――いる
―――キッと、エウラリアの目が吊り上がった。
次の瞬間!
タッ!!―――――チャキッ!!!
エウラリアは室内に飛び込んで、レーヴァテインを差し向ける。
その切っ先が捉えていたのは――仮面を付けた小柄な女性の喉元だった。
「武器を離せ」
エウラリアが冷たく脅す。
黒い刀身は、女性の白い首筋に、今にも突き刺さらんと伸びている。
カチャチャンっと、その女性は、指の間に構えていた数本の投げナイフを手放した。赤いじゅうたんの上に落ちたそれらは、薄暗い室内で、鈍く光を反射させる。
「呪術発動の思念を感じたが……キサマか?それは黒魔術族のものだ。他種族がおいそれと使うべきものではない……ッ!」
ギロリとエウラリアが彼女を睨んだ刹那、女性が素早く動いた。
――ザザッ!!
深めに被ったフードつきのローブの裾から、数本のナイフが投げられる。それはエウラリアの首へと突き出るが、彼はすかさずレーヴァテインで切り落とす。耳に残る金属音が響いた。
「――――ッ!待てッ!!」
その隙に、仮面を付けた女性はヒュン……と闇に溶け込むかのごとく姿が透け、姿をくらます。
あっという間の出来事だった。
「チ…ッ!」と舌打ちをしたエウラリアだったが、気配が完全に消えたのを確認してレーヴァテインを鞘に納める。
「………ッ!?」
彼は―――
この部屋の中央に安置されていた“物”に目がいった。
「あれは……ッ!!」
すぐに駆け寄ると、驚嘆の声をあげる。
「これは、元素の核――エレメント・コアかっ!!?ここにあるのは、聖なる輝石の一つ“エメラルド”………。ということは、“水”のエレメントを生み出す……。
この船がこのような物を乗せているとは…ッ!!」
彼は真紅のルビーを思わせるその二つの瞳で、じっと目の前のそれを見つめた。
――目の前にあったのは、大きなエメラルドだった。
その深い緑の内側には水がたまって、気泡がキラキラと輝きながら、神秘的に瞬いている。
人の手の平に乗るほどに、大きな宝石が、立方体型のショーケースに安置されていたのだ。
(考えすぎかもしれぬが…あの女はこれを狙っていたということか……?呪術に属する……眠りへと誘う術を使って、憲兵どもを眠らせたのもこのためだというのか………?)
エウラリアは、ドアの前に倒れ、眠らされている憲兵たちを仰ぎ見た。
(“アイツら”に忠告すべきか……。調停者の出番が必要か…?これは個人が手にするべきものではない。死神を出し抜くほどには……あの女もできるヤツらしいからな)
真剣な表情になったエウラリアは踵を返すと、部屋を跡にした。
その背後では、“エメラルド”が内に流れる水をサラリと清らせて―――瞬いた。
―――――――
「助かりましたよ……」
「まだ苦手?デンファレ姫さまのこと」
「はい、彼女だけはどうも……。嫌いではないんですけどね……」
イレールはロイと共に船内の廊下を歩きながら、ぶるっと身を震わせる。
「何だっけか?姫さまに抱き着かれて、怪力の餌食になったんだっけ?」
「えぇ…あばら骨を十本、複雑骨折いたしました……」
イレールは青ざめつつ、古傷が痛むというように、胸を押さえた。
ロイはへへっと、少年っぽく、はにかむ。
「姫の怪力は有名だからね~~!この間は転んだだけで、地割れが発生したらしいよ!あっはっはっ!」
「笑い事じゃないですよ……っ!うわぁ……っ!やっぱり怖いっ!!」
仕事とは全く関係のない話をしていた二人だったが、急にイレールが頬を染めて尋ねた。
「……で、お願いしていた“例の物”は明後日に間に合いそうですか?」
ロイはひょうひょうと、頭の後ろで腕を組んだ。
「もっちろん!百合ちゃん、誕生日なんだってね!――お揃いのものを用意するってやるじゃないの~~!」
イレールは目を細めて、俯く。
彼の脳裏には百合の笑顔があって、自然と微笑を浮かべてしまうのだった。
「こっそり――あんな物を持ち歩いてくれていたのです……今度は二人で、です」
「そっか、そっか!」
ニカニカ歯を見せて笑うロイは、「そういえば」と続ける。
「この船……クロイツ王国が所持してる“エレメント・コア”、そのうちの“エメラルド”を一般公開するらしいよ。ボクらですら、めったにお目にかかれない代物だし、一緒に見に行ったらどう?人間にとっては、さらに見る機会なんてないと思うし……。きっとジョルジュ王子に頼んだら、取り次いでくれるんじゃない?」
イレールの顔色が変わる。
「それはすごい……!ぜひ輝石を観に行きましょう!人間界も、魔法界も、あの石のおかげで繁栄しているのですから!」