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イレールの宝石店~アナスタシアの聖女~  作者: 幽玄
第三章 囚われた白百合
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③ほどけない糸

「うー……ん」


 百合は、小さく声をあげた。


「ここは………?」


だんだんと意識がはっきりしてくると、かすんだ視界に薄暗く、天井が見えた。

恐る恐る体を起き上がらせてみる。体に痛みはない。


――トン……


お行儀よく、ベッドの傍に並べられていたローファーを履いて立ち上がると、部屋を注意深く見回してみる。



(女の人のお部屋かな……?きれいに片付いてて…外国のお嬢様が住んでいそう……)



そう彼女が思うように、その部屋は女性的な家具で統一されていた。


きっと、この部屋の主人は、上品な淑女かお嬢様と呼ばれるような人なのだろう。



ほのかに香る香水も

アール・デコの天蓋付きの寝台も

ウェッジウッドの化粧台も

古めかしい人形やぬいぐるみも



すべてが、女性的で華がある。





 百合は室内に誰も居ないことが分かると、ドアノブに手をかけた。


ガチャン…!


(やっぱり……閉まってるよね)


僅かに抱いた期待は裏切られ、百合はベッドに力なく座り込んだ。



(みんな……。イレールさん………)



首元のロケットを両手でギュッと握ってみると、少しだけ気持ちが落ち着く。





そのまま百合はベッドに腰掛けて震えていたのだが、突然


ふわ……っ


と、冷たい風が頬を撫でた。



(――――っ!!!?)



そこには――――花瓶を手にした女性がいた。

長い茶髪の、その女性の姿はぼんやりと透けていて、ひどく寂しそうな表情。




『薔薇を…取りに……行きましょう……

枯れない薔薇はいらないわ……。永遠なんて欲しくない……』



ふわ……


その女性は百合には目もくれないで、白いドレスを花弁のように揺らめかせてドアへと歩み寄った。


――カチャ………すう………っ


女性は花瓶を持ったまま、ひとりでに開いたドアの向こうへと吸い込まれていく。



ドアは開け放たれた。



(………行かなきゃ…!もしかしたら逃げられるかもしれない!)


ガチャッ!



百合は思い切ってその後に続いた。


ふわぁ………


女性は真紅のじゅうたんの上を滑るように進み、百合は首元のロケットをギュッと右手に収めたまま、不安げにその姿を追いかけた。廊下のつきあたり、四角い形をした光が見える。




――ひゅん……




光がもれるその場所に程近くなったころ、女性はそこへと吸い込まれるように消える。百合は壁伝いに隠れて、中の様子を窺って、すぐに驚いた。



――――そこは薔薇園だった。

 ドーム状のガラスに覆われ、温室庭園になっているそこは、色とりどりに咲き誇る薔薇で満たされ、頭上には蝶が飛び回っている。光差す庭園の中心。そこには、猫足テーブルと二組の椅子があって、不思議なことに、その卓上の上には、湯気の立つ紅茶や、焼きたてでサクサクの、クッキーやスコーン菓子などが用意されている。



(誰もいない………?)



ぽっかりと人だけがいなくなったかのようなその情景に、百合は不思議な気分になる。

彼女は恐怖を忘れて、薔薇園へと足をのばした。




(きれいな薔薇……。きっと、手入れが行き届いてるんだろうな……)




―――――思わず手が、薔薇へと伸びる。




―――「ダメっ!!!ここはあなたなんかが入っていい場所じゃないっ!!!!」




ビクッ!!


いきなり背後から怒鳴られて、百合は手を引っ込めた。



「イヴちゃん!!」



背後に居たのは―――イヴだった。


怒気を含んだ瞳で、彼女を厳しく睨む。



「ここはお父さまにとって大切な場所っ!!大切な思い出の場所っ!!!あなたが無断で入っていい場所じゃないっ!みんなに愛されてるあなたなんかが………っ―――」



―――パシ…



「……イヴ。やめなさい」



いつの間に現れたのか、突然ザシェールが現れて、イヴが百合へと振り下ろそうとしていた拳を掴んだ。なおもイヴは叫ぶ。


「―――でもっ!」


「でもじゃない。彼女は大切なお客様なんだ。失礼はやめなさい」


涙さえ浮かべるイヴを、ザシェールは淡々と諌める。イヴは悔しそうな目をして

――キッと、百合を睨んだが、踵を返して廊下へと去って行った。



「ふぅ………」


ザシェールは寂しそうな顔でため息をつくと、百合に向き直る。


「本当はいい子なのです。許してあげてください」



(………あれ?)



その表情は驚くほど優しげで、彼女は目を疑った。肩に優しく手を回されて、部屋を出るよう促される。


「“彼女”が鍵を開けてしまったようですね……まぁ、いいでしょう。こちらへどうぞ。お茶を用意してあります」


あっけにとらわれて何も言うことができず、彼女は促されるまま、廊下をザシェールと歩き始めた。



コツ……コツ…コツ…


長い廊下に二つの足音が響く。



コツ……。


ザシェールは紫の貴族的なローブを翻しながら百合の前を歩いていたのだが、不意に、壁に掛けられた一点の絵の前で立ち止まった。



「この絵は私の半生、その全てを表している………」


「この…絵……?」


百合が見たザシェールの横顔は俯きがちで、表情は分からない。しかし、その口調は淡々としていながらも、憂いを秘めたものだった。




百合もじっとその絵を探ってみる―――それは白黒の銅版画。


粗末な部屋には、炉やふいご、見たこともない実験道具。屋外には子どもを連れ、そこを足早に離れる夫人の姿がある。屋内にいる数人の男性たちはみな、忙しそうに散乱した器具に手を付けて、実験に没頭していた。



「これは錬金術師たちの末路……。家族に逃げられ、術の確立に躍起になり、その醜態を世間に笑われる。同胞であるはずの人間には空想を追う者と罵られ……また、魔法族には取るに足りない人間のカルト的悪あがきだと見下され、錬金術を詳しく知る者などいない……」



「ザシェールさん……?」



百合は俯いたままのザシェールの様子を窺った。目元を見事な金髪で隠した彼の、その口元は下がり切っている。


「ここを見なさい……」


力なく彼が示した版画のその部分には、学者らしき人物が、本の中の、ある一文を指さしていた。



―――「アルジェ……ミスト……?」



百合はなんとか、その言葉を読み上げる。



Alghe(アルジェ) Mist(ミスト)~すべては無価値という意味だ。


錬金術師~Alchemist(アルケミスト)と掛けている……。

錬金術は無価値だと……この画家は風刺しているのですよ。


あなたなら―――――分かってくれるでしょう?

錬金術師が……。つまり、私、が………どんな思いで生きてきたのかを」



ガタ…!


寂しそうな微笑をして―――ザシェールは顔を上げた。

すがるようなその瞳に、百合は視線を離せなくなる。


ザシェールはフッと視線を離して、ローブをサッと翻すと、再び廊下を歩き始めた。




―――――――




 明るいテラスに出したテーブルに、紅茶とスコーンが並ぶ。


「ご苦労。さがれ」


仮面を付けた壮年の男性――おそらくニコライは、ザシェールの命令に従って席を外す。

(狂った人だったけど……これは哀れすぎるよ……)

百合はそれを複雑な思いで見送った。



「あぁ、あの男に自我はもうありません。私の配下として優秀に動いてもらっていますよ」



平然と意地悪そうに言うザシェールからは、先ほど感じた優しさや憂いは全く感じられなくなっている。百合は心細さが甦ってきて、視線を落とした。


「帰してください………」


「もちろん。お断りします」


ザシェールは紅茶のカップに口を近づける。百合は思わず声を荒げた。



「どうして私を連れて来たんですか……っ!?これから私をどうするつもりなんです……っ!!?私を人質にとって、イレールさん達を脅すつもりですか…ッ!!!?」



怖くて、涙が滲む。

それでも、百合はザシェールを睨み続けた。彼はニヤリとしてそれを受け止めると、テーブルの上で強く握りこぶしをつくっていた彼女の手を取って、口元に近づけてみせる。



「貴方の優しさが欲しかった。それだけです」


「………!?」



本当に愛おしそうに言われて、百合は一瞬だけ目を見開いてしまう。取り繕おうと、すぐに表情を引き締めるが、ザシェールの変貌に頭が着いていかなかった。



「意味が分かりません……!止めてくださいっ!」



半ば強引にザシェールの手を払う。と、



「私は本気ですよ……」



彼は立ち上がって――――百合の足元に片膝をついた。

百合はもう一度目を見張る。ザシェールは、丁寧な物腰で、胸に片手を当てた。




「貴方の心には、もうすでに想い人がいらっしゃるのは分かっています。ですが……、私が抱く貴方への想いも負けてはいない。貴方の持つ優しげな瞳に惹かれ、その純粋な内面に癒しの輝きを見たのです……


どうか私とお付き合いしてくださいませんか?必ず、幸せにします」




丁寧で、誠実な言葉だった。

(嘘じゃない………?)

それを、百合の純粋な心は感じ取ったものの、首を振ってきっぱりと断る。



「それはできません。私にはもう心に決めた人がいるんです。それが私をここへ連れて来た理由だとしても……。応じるわけにはいきません」




――――穏やかだった表情が一変する。




「イレールの愛は本物ではない―――それでも、ですか……?」




ぞく…っ!



冷笑しきった表情。



それはあまりにも恐ろしくて、百合は椅子から跳び上がって、後ずさる。しかし、ザシェールはじりじりと、彼女を壁に追い詰めた。


ガタン……!


背中に、ひんやりとした壁の冷たさが触れる。恐怖に怯える百合を、ザシェールは冷たく見下ろした。



「……イレール。貴方以外の女性を愛したことはないそうですね?彼は、女性も男性も分け隔てなく愛情をもって接するような博愛主義者。おかしいと思いませんか……?そんな聖人イレールが、たかが平凡な人間の小娘に心酔し、寵愛に落ちるなんて?」



「おかしくなんてありません……っ!!私とイレールさんの関係を笑わないでください……っ!!!私達の間にあった大切な思い出。それが…イレールさんが私を愛してくれる理由です……っ!!」



百合は首元のロケットを握りしめる。ザシェールは冷酷に口角を上げながら、やれやれというように目を細めて言った。



「まぁ……いずれ分かりますよ。


貴方は私を選んだ方が幸せを得ることができると。

イレールの愛は中身の伴わない、虚無の愛。つまりは、本当の愛ではない……ということが」




――ズキン……!



キッと、百合はザシェールをまっすぐに睨む。


「そんなこと……!分かる日なんて来ません……っ!!!私の心を惑わせようとしているのなら、無駄ですっ!!」



信じない。

だが、その言葉は少し鋭利すぎた。




「まったく……強情な方だ。では、真実をお教えしましょう……」




(かぶり)を振ったザシェールは―――そっと、百合に腕を回した。



「――――っ!!!」



表情や口調とは裏腹に、あまりにも優しすぎる抱擁だった。再び百合は呆気にとられる。その一瞬のスキをついて、ザシェールは耳元でささやいた。



「もし、貴方が万人に愛される神として生まれ、それが故に、イレールの愛を得ているとしたら……貴方はそれで満足ですか?信仰という行為に近いその愛を……本物の愛だと感じ満足できますか?」



――「いやっ!!」



バタッ!!!


百合はザシェールを拒絶して、激しく彼を押しのけた。



(何を言っているの?その言葉は本当なの?―――いや、嘘だよね…?ただ、私の心を揺さぶりたいだけ。でも……でも…!そういえば……神龍アーイウルさんが聞いてきた。万人に愛されないかって…!これは…偶然なの………っ!!!?偶然だよね!?私が神ってどういうことなの……っ!!!?)



混乱する頭を押さえながら、百合はしゃがみこんでしまった。ザシェールは励まそうとでもいうのか、隣に片膝をついて、彼女の肩に手をのせた。



「部屋に戻って休んでください。

どうせ貴方は―――ここから逃げられないのですから……」



口角を上げ、優しく言う彼は、満足げに目を細めた。




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