②絡まった糸
みんなは、リュシーが眠る聖堂から宝石店へ戻ると、宝石店の長い廊下にある、オーク材製の古びたドアの前に立った。
「ここから行くんですか?」
百合が尋ねる。制服姿に戻ったイレールはドアに手をかけながら、答えた。
「はい。このドアは魔法界のいくつかの場所に繋がっています。私が魔力で繋げた場所に限られますが…」
イレールはそう言うと、百合の手を握る。
「……大丈夫ですよ。私がついています」
「え?あ……!」
その言葉で、自分の表情が緊張で固くなっていることに気づいて、彼女は表情を緩めた。
パチン!と気分を変えるよう、空いた手で頬を叩いて、握られた右手をぎゅっと握り返す。
「大丈夫です!」
「フフ……それで良しです」
(……自分でも気づかなかったのに)
百合はそう思いながら、イレールの背中を見つめて頬を染める。
――「では、行きましょうか」
みんなの方に向き直ったイレールは百合の手を握ったまま、ドアを開いた。
―――ギィ………
開かれていくドアからは、あふれんばかりに光が零れていく―――
「きゃ……!」
百合は眩しさで目をつぶった。
――聖…なる………かな、聖…なるかな……
(歌声……?)
百合の五感が、あたたかい微風と美しい歌声をつかんだ。
彼女は恐る恐る目を開けてみる。
「わぁーーーーーーーっ!!!」
そこは、風に花びら舞う、美しい街だった。
白レンガで統一された家々には、色とりどりの花々がベランダに華やぎ、薫風がその花びらをさらっていく。
町を行きかうのは、背中に純白の翼をもった天使たち。
耳におのずと入ってくる讃美歌は、路上で歌う天使の合唱団の仕業だった。
「ソプラノが弱い。まぁ……悪くはないが」
エウラリアはどことなく、機嫌が良さそうだ。
―――それはさておき
ここは一体どこなのだろう……?
百合が小首をかしげていると、それを察したのか、ミカエラの声が後ろから聞こえた。
「ここは天界よぅ、百合ちゃん」
「天界!!?」
歩きながら、百合はその言葉に、目を丸くする。ミカエラは「いい反応ねぇ」と笑って、ここに来た理由を説明し始めた。
「まず、ペリドット・コアのある地獄へ向かうってことになったわよねぇ?でも、地獄は悪魔の本拠地であるとともに、罪を犯した人間が死後落ちる場所でもあるの。だから、亡者が逃げ出さないように、閉鎖的にしてあってねぇ。私達、悪魔以外の魔法族でも、出入りするには許可証がいるのよぅ。」
そこへクラウンが口を挟んだ。
「昔、天使と悪魔は対立していたんだ。それは何となく知っているだろう?」
「はい。天使と悪魔っていうと仲が悪いイメージがあります」
百合は頷く。クラウンは口角を上げた。
「でも今はもう、和解ずみ!地獄へ行くために必要な許可証は、天使の本拠地である天界でしか発行していないのさ!仲直りした何よりの証拠だよ!」
「確かに、街にも悪魔が普通に歩いていますね!」
天使の他に、強面の悪魔らしい者もときたま目に入る。喜ぶ百合の隣で、イレールはこっそりとその首元を伺った。
(ロイは一体、どんな加護を施したのでしょうか?結局、『いずれ分かるよ~♪』とか言って、教えてくれなかったんですよね……)
百合の首元にキラリと輝く、自分とお揃いのロケット・ペンダント。宝飾職人の守護聖人、聖Eroiこと、ロイはそれに何かしらの加護を施したと言っていたのだ。
――「あ、ほらぁ!あそこよぅ、見えて来たわぁ!」
突然、ミカエラが声をあげて、役所らしい荘厳な白い建物を指さした。どうやら、そこで許可証はもらえるようだ。
「さっそく行きましょう。この分だと、今日中には地獄のサタン様に謁見できそうです」
イレールは頭を切り替えると、百合の手を引いてそこへ向かおうとする。が、そこへクラースが手紙をくわえて肩にとまった。
「熾天使セラフィム殿から手紙だ」
「何事だよ?」
ジョルジュが首を傾げる。イレールは「何かあったのでしょうか?」と同意しながら、手紙を開封した。そして、ちょっと驚いた顔をしてみんなに報告する。
「バルタザール王がサタン様に話を通して下さったようです。通常、コアは秘密裏に保管されるべきものですから、取りあってくださるか怪しいところでしたが……。なんと、ここ――役所で、ペリドット・コアとともにサタン様が私達をお待ちしてくださっているとか」
「マジか。親父やるぅ~~!」
「話が早いね!」
ジョルジュと羽ヶ矢がそう言い、みんなは意気揚々と役所の入り口に歩き出した。クラースは留守中の宝石店を守るべく天高く飛び立っていく。そのとき。
――――「あ、あれっ!」
ダッ!
「百合さん!?どちらへ?」
百合が声をあげて、イレールの手から離れた。
「馬鹿者!勝手な行動は慎め!」
エウラリアが素早く諌め、みんなも慌てて後を追いかける。百合は役所の、長方形に長い入り口の端へと駆けて、そこに腰かけた。
彼女の隣には―――泣きじゃくるブルネットの幼い少女。
「どうしたの……?」
その少女のことが気になって、百合は思わず駆け寄ったのだった。
「……う……えぐ…っ」
少女は嗚咽をもらすだけだったが、百合に真っ赤に泣きはらした翠玉の目を向けて、
「パパと…はぐれちゃったの………」
と、小さく言う。
「そう……」
百合は目じりを下げると、イレール達に訊ねた。
「この子を送ってあげてもいいですか?ちゃんとここに戻ってきますから……」
エウラリアが首を振った。
「ダメだ。ここが魔法界だということを忘れるな。単独で行動されては困る。放っておけ」
「でも…っ!」
「じゃ、僕が着いて行くよ。護衛も兼ねてね。それならいいでしょ?」
すかさず羽ヶ矢が助け舟を出して、百合に駆け寄った。イレール達も、じーっとエウラリアに何か言いたげな視線を集中させる。彼は渋々了承した。
―――「……変な視線を向けるな。――いいか?必ず夕刻までには、ここに戻れ!」
「はい!ちゃんとご飯までには戻ります!―――じゃあ、行こっか!」
「……うん」
百合は、少女の手を取るとさっさと歩きだす。その後に羽ヶ矢も楽しそうに続いた。
――「夕刻…つまりは、“夕飯までには帰って来なさい”ということ……っ!」
エウラリアは、イレールの声にハッとする。
「いいねぇ~~!保護者だねぇ~!エウラリア!」
クラウンたちもエウラリアの保護者っぷりに、ニヤニヤが止まらない。
「…………。」
ズモモモ………
――チャキ…………ッ!
不服に眉を寄せたエウラリアは漆黒のオーラを放ちながら、ゆらりと、レーヴァテインの鍔を親指で持ちあげた。
「アァッ!!!」
ギラッ!!
「うっわ!暴力反対だぜ!」
「問答無用ッ!!」
ゴゥッ!!
「あっ、危な…っ!」
迫りくる黒い炎の嵐を避けながら、イレール達は文字通り、逃げるように役所の入り口をくぐった。
―――――――
「名前は何て言うの?」
「………イヴ」
「そっか!イヴちゃんは、この道に見覚えがあるんだね?」
「……うん」
町はずれの道を百合と羽ヶ矢は、イヴという幼い少女の父親を探して歩く。三人は寂れた風貌のアーチをくぐった。
「羽ヶ矢くん、道覚えてる?」
「うん、たぶん……」
二人はだんだんと人通りの少ない、街の外れまで来てしまっていて、何となく役所まで戻れるか不安になる。
「次は、あっちの道……あの家、知ってる気がするから……」
イヴはそんな二人にはお構いなし。先ほどから細い裏路地を
「こっち……」
右へ
「次は、こっち……」
左へ
指さした先へと、二人を誘う―――
だんだんと日もかげってくる。そして、白いレンガも薄暗く染まっていき、夕刻が迫ったころ
――「あっ!お父さま……っ!」
「わっ!」
不意にイヴの手が離れ、彼女は路地の奥へと駆けて行った。
「イヴちゃん!」
百合と羽ヶ矢も後を追う。
三人が駆けた先は行き止まりで、イヴは少し離れた所で、金髪の男性に抱き着いて甘えていた。その男性も二人に気づいたようで、こちらに顔を向ける。
「ここまでイヴを送って下さったんですね。ありがとう………」
薄暗くて顔はしっかりと見えないが、穏やかな声だった。
「いえ、見つかって良かったです。じゃあね、イヴちゃん……」
百合は別れの挨拶を言おうと、イヴのもとへ歩き出す。しかし、それは、
――「ダメだ!百合さんッ!!」
羽ヶ矢の一声で妨害される。
彼の表情は険しく変わって、薄闇の奥の男性をギリリと睨み、手にした弓矢の矢じりは真っ直ぐに男へと、差し向けられていた。
「羽ヶ矢くん………?」
百合は彼のただならぬ雰囲気に、息を飲んだ。無言になった二人は、薄闇の奥に気を張り続ける。
――クク……ハハッ!
その緊張を破ったのは、不気味な笑い声だった。
「……平和的にお迎えしたかったのですがね。どうしても貴方には、邪魔な信者が付きまとう。でも、それもさすがと言うべきか」
「あなた……変な気配だ。つかみどころがなくて不安定な…澱んだ気配がするよ」
冷淡に威嚇するように、羽ヶ矢も言い返す。
――コツ……
薄闇の中で、男性は一歩前に歩み出た。
「ある意味正解です。私に残された時間は残り僅か………」
コツ……コツ…―――コツ。
歩みが止まった、その、刹那―――――
「だから―――――貴方が、欲しいのですッ!!!」
――シュルッ!!ザザッ!!!
細い糸が路地の様々な方向から二人を襲って、茨のように二人を襲った。
「きゃっ!!」
「百合さん!―――くッ!!」
矢じりで百合の体に絡んだ幾重の糸を断ち切る。しかし、羽ヶ矢も迫りくる、怒涛の糸に、あっという間に動きを封じられた。
「このままじゃ……ッ!」
胸を締め付けられる痛みに耐えながら、羽ヶ矢は天に数本の矢を一緒に放った。
ザザザッ!!!
それは、百合に絡みついた糸を断ち切り、彼女の身を救う。しかし、その隙に―――
―――斬ッ!
羽ヶ矢を銀に光る、鋭利な糸が鋭くかすめた。
「ぐあッ!!!」
「は………ばや……く…ん……」
羽ヶ矢の肩から胸の水干が赤く染まっていくのを、消耗した百合はうすっらと見る。
――「きゃ……あ…ッ!」
ギリリッ!!!
再び、体に痛みが走る。羽ヶ矢と百合の体は完全に捕らわれ、二人は抵抗する力を失って、地に投げ出された。
コツ……
男性は無機質な音を立てて、百合のもとへ立った。
「イヴ………よくやりましたね」
「はい。光栄です……」
「あ、あなた……はッ!!」
羽ヶ矢は叫んだ。
――――「クロードヴァルド・ザシェールッ!!」
暗闇から現れたのは、ザシェールと、感情をまるで感じさせない表情に変わったイヴだった。イヴの両手には、何重もの糸束の先が握られている。
ザシェールは気を失って地に倒れた百合を抱き上げて、体を拘束した糸束を解いた。
「やはり美しい………」
目を閉じた百合の額に顔を近づけて、彼は愛おしそうに言う。
「く……ッ!彼女に触るなッ!!――ぐあぁッ!!」
体を拘束する糸が、再び、羽ヶ矢の体をギリリときつく引き締めた。羽ヶ矢も気を失い、傷は開いて、ますます深手を負う。
「イヴ、もう放っておきなさい。無駄な殺生ごとは好きではない」
ザシェールは百合を横抱きにしたまま、タッ!と靴音をさせて、屋根の上に跳び乗る。
「はい」
タンッ!
イヴも屋根の上に跳び乗った。その場を後にしようとした二人だったが、
――「おや……」
キラキラ……
突然、百合が首にかけたロケット・ペンダントが―――光り始めた。ザシェールは「ほぅ…」と言って、眼下の羽ヶ矢に視線を下ろす。
「お父さま……これは?」
「聖人の加護を感じる……あとは、この方自身の癒したいという想い。このペンダントは想いの受け皿となって、その想いを魔力に変えている。どうやら、この方は癒しの力を自由にコントロールできるようになったようだ……」
「では、あいつが目覚める前に」
羽ヶ矢を拘束していた糸束の先を放り出すと、イヴはザシェールを急かした。
「そうだね。あぁ…!この方のこの力さえも、今はもう私のもの……っ!」
羽ヶ矢を冷たく一瞥すると、二人は月が輝きを増し始めた天界の屋根から屋根へ、その姿を溶け込ませていった。
今月は、資格取得で特に忙しいので、更新遅れ気味となります……。それに加え、私生活でかなりショックなことがありまして……ここ数日しょんぼりしてました。だいぶ元気になりましたので、ここまで停滞することはもうないと思います。本当にすみませんでした……!
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