①恋人達は花園で生きていた
ざわ、さわぁ……っ!
冷たい夜風が木々の葉を揺らす、ある夜。真っ暗に閉ざされた森の奥でのこと。怪しくたたずむ古城の一室で―――クロードヴァルド・ザシェールは、深紅の大きなソファにどっかりと、座り込んだ。
手には、紅い液体の注がれたグラスがある。
赤ワインであろうか。
しかし、それにしては、紅すぎる―――ような。
――ごくん……
それを口に含んで、彼は目をつぶった。闇夜に光っていたコバルトブルーと深紅の瞳が、その最奥に隠れる。
――「………イヴ、おいで」
口の中の液体と夜の沈黙。
それを、しばし味わって、彼は穏やかに言った。
「はい……」
僅かに開いていたドアの隙間から、少女の顔が垣間見える。
その少女――イヴは、嬉しそうに彼にすり寄った。自らの隣に幼い少女を座らせて、ザシェールは、柔らかいその髪を撫でる。少女も心地よさそうに、目を細めた。
「あぁ、そうだ……」
頭から手が離れて、その手は胸ポケットから何かを取り出す。
「君にプレゼントだ。大切になさい」
「プレゼント……?」
不思議そうなイヴの視線を受けて、ザシェールは微笑む。と、その小さな手を取って、その右中指に―――ダイヤモンドの指輪を通した。
「きれい……」
イヴはうっとりとした表情で、自分の指に光るリングを見つめる。
しかし、その表情が突如として―――
「お父さまっ!これ……っ!」
ひどく、曇りきった。
「そうだよ……………」
―――寂しそうな、微笑
ザシェールはこっくりと頷いた。
――「それはラミーナの物。私が………彼女に、贈った物」
彼のオッドアイの視線が動いた。
その先には、蜘蛛の巣のように細かく表面の割れた
―――写真立てがあった。
仲睦まじい男女が映っていることは分かるのだが、ひび割れがひどい。人物それぞれの顔までは、確認できない状態だ。
――――――――「ああッッ!!!!!!」
突然ザシェールは呻いて、ソファの隣に置いたグラスに腕を振り上げた。
――ガチャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!
――――――――「お父さまっ!!?」
地面に落ちたグラスは無残に砕け散って、紅い絨毯に破片が飛散した。
――「彼女の優しい瞳は偽りだったのだ!あんなに清らかに澄んで、美しかったというのに!!それだけしゃない……。愛していると言っていた言葉さえも……!その裏には終始付きまとっていたのだ、軽薄な強欲というものが…………ッ!!!!」
美しい金髪を振り乱しながら、ザシェールは罵りの言葉を吐いた。
「…………。」
イヴは寂しそうに、もう一度自分の指を見た。
きらり。ダイヤが無垢に輝く。
「私は、ずっと二人を見てたよ……お行儀よく、棚の上に座って。……気持ちの良いあのリビング。外には薔薇園の匂い。ラミーナはときどき私の手に、その薔薇を握らせてくれるの。
……でも、もう戻れない。ラミーナは悪い人だった。
私はラミーナが嫌い。お父さまを傷つけたから」
瞳がキリリと吊り上がる――――
「―――――とっても嫌な思い出!!!
だから、私は忘れたの。
………忘れたことに、しておくの。
どうしてお父さまは、ラミーナの思い出を捨てないの……?
―――殺されかけた相手なのに」
「………イヴ」
たしなめるような口調で言って、ザシェールは首をふるふると横に振った。
「君が大人になったら、きっと分かるよ……」
「………。」
リングの先、セッティングされたダイヤモンドが、愛おしむように撫でられる。
―――イヴはなぜか、自分の指や手のひらをじっと、交互に見つめていた。
しかし、
――「あぁ……!そうか!――瞳、あの瞳だ!!
ラミーナの優しい瞳……!
――――――――篠原百合っ!アナスタシアの聖女……っ!!!」
穏やかな表情は、一変した。
「あの方は裏切らない……!お迎えしましょう、この城に!!」
肩を震えさせて口角を上げるその表情は、さっきまでここに居た彼とは、まるで別人だ。
「ハハハハッ!そうです!あのイレールが愛するのも無理もない。
彼女は全ての種族に愛され、導きをもたらす存在
―――アナスタシアの聖女なのですから……!
そこに特別な愛はない!
イレールの彼女への愛は、特別なものではない!
愛される存在をその道理に従い、愛しただけ!別のアナスタシアの聖女が現れれば、そちらにも愛を傾ける!――篠原百合である必要はない!
あぁ!そうだ……!そのはずだ………っ!!
篠原百合を、本当に特別愛しているのは、どうやらこの私だけのようだ!!ラミーナの優しい瞳を、篠原百合に見つけたのだから!!フフフフ……、ハハハハハ……!」
―――狂ったように笑う彼は、イヴに言い放った。
「聖女を迎えに行きましょう……!彼女は私のものです!!」
「は……っ!」
スカートの端をほんの少し持ち上げて丁寧なお辞儀をすると、イヴはザシェールが手を振り上げて出現させた魔法陣に、ザシェールともども消え失せた。
その刹那、
頭を下げたその下で、イヴが口元を
ぎりりッ!
と悔しげに噛みしめた――のを、ザシェールは知らない。
―――――――
ふわ……っ!
晴天の空のもと、風が頬を撫でる。
「行ってきます……」
百合はエウラリアと、自分の家の屋根の上に立っていた。紺とグレーを基調とした、燕尾服のような制服のスカートが風に揺らされて、彼女は少し寂しそうな顔で、その街並みを見つめていたのだが、その視線は――固い決意とともにそこから離される。
「もう大丈夫です。永遠にお別れじゃありませんから……」
決心を固めた彼女は、エウラリアにそう言った。
「あぁ。さっさと終わらせて、戻らなければ。ワタシはオマエの担任をこの一年、受け持つ約束だ……」
頷いた彼は、説明しながらレーヴァテインを腰から引き抜いた。
「これから、オマエに対し呪術を使う……それは黒魔術族にしか使えない高度なものだ。この世界、つまり人間界全体で、篠原百合という存在を封印する。オマエに関する人々の記憶は封じられ、その存在の痕跡さえも、世界に呑み込まれる……。
人間界からオマエの記憶を封印するのだ。
再び、こちらの世界に戻る日が来れば、その封印は解かれるが………
――覚悟はいいか?」
「はい!!」
百合はエウラリアの目を見て、しっかりと頷いた。
エウラリアはニヤリとする。
「危険な世界に恋人ともども、自ら進んで飛び込む!フンっ!なんともおめでたいことだな!もっとも、オマエ達はそうでなくては面白くない……ッ!!」
レーヴァの切っ先が天に掲げられる。
晴天の空を――――巨大な暗雲が包んだ。
―――――――
――「理を正せ。ここに咲き誇る異界の花を散らし、
この世界の真理を引きもどせ。
育む根を休ませ、花をその奥底に秘めよ。
我は、系譜を守る者。
互いに寄り添いし、二つの世界の、制裁者であり、調停者」
カドゥケウスを両手で横に持ったイレールの純白のローブに、
―――ふわぁーーーーあああああん………っ!!!
淡いピンクの花吹雪が舞い散った。
その花吹雪は白い大聖堂の堂内を、宙一面桜色に染める。
「………。」
イレール達幼馴染――クラウン、ミカエラの三人は、少し寂しそうな表情で、巨木の桜が散っていくのを見つめていた。
羽ヶ矢はいるのだが、
何かあったのか。そこにジョルジュの姿はない。
ひら……
ほのかに桜の香、香る聖堂の床に、
――ぐわんっ!
と、漆黒の魔法陣が広がった。
―――「お帰りなさい」
イレールは背中に流れる美しい飴色の髪を、優美に風にのせて、
その穏やかな微笑を、背後へと傾ける。
「これでコイツは人間界を離れることができる。感謝しろ……」
「ただいまです、イレールさん」
エウラリアと百合がそこに立つ。
彼らはたった今、人間界から、戻って来たところらしい。百合は手に必要最小限の荷物を手にしていた。
「力が戻ったようだな……?ワタシと互角にやり合えるほどには、魔力を感じる」
イレールの聖職者然とした姿、そして、彼らの魔力の強さを確認して、エウラリアは口角を上げた。
そう不敵に笑う彼も、身に纏っているのは、袖口に金の刺繍が走る漆黒のコート型のローブだ。
「No,2は嫌なのでしょう?お望みなら、張り合ってみせますよ……?」
「言うな…?毛頭、そのつもりだが……?」
白魔術師イレール
黒魔術師エウラリア
凛とした気品漂う、”白”と“黒”の聖なる姿で、二人は不敵に視線を合わせる。
だが、その様子は楽しげだ。
――「あれ……?陛下さんはまだ来てないんですか?」
その場にジョルジュがいないことに気づいて、百合がキョロキョロと周囲を見回す。ミカエラが頷いた。
「そうなのよぅ……。リュシーの桜は……。……散らせたから、陛下ちゃんにも魔力は戻っているはずなのだけど、来ないのよねぇ……」
リュシーに捧げている魔法界には咲かない、桜という、彼女が好きだった花。その花を自分たちの魔力を犠牲にして咲かせ、彼女に捧げていた彼ら。ミカエラは、その花を散らせてしまった寂しさを押し殺しながら、ジョルジュを心配する。
「陛下、無理してる感じだったからね………。少し心配になるよ」
クラウンもそう、心配そうに言った。
「どうしよう…?探しに行ってみる?陛下さん、デンファレ姫様が着いていたから、元気を取り戻してるとは思うけど……」
探しに行こうか、ここでしばらく待つか、彼らの中で相談が始まった。
そのときだった―――
パッリィイイイイイイイーーーーーンッ!!!
―――「うおぉおおおおおおーーーーーーーーっ!!!!」
「あ、あれっ!!!!!??えぇーーーーーーーーっ!!!?」
百合が天上を指さす。
イレール達は、ほぼ同時に叫んだ。
――――――――「陛下っ!!!!!」
パラパラパラ………スタ……ッ!
「悪ぃな!身支度してたら、遅れそうになっちまってよ!一か八か、デンファレにブン投げてもらったんだ!……ちっとイテェけど、大成功だな!!!」
聖堂のステンドグラスを突き抜けて現れたジョルジュ。
彼は華麗に地に降り立つと、ニヤッとフランクに笑った。
「おや?―――いやに、かっこいいじゃないかい!!!」
クラウンが冷やかし交じりに、ニヤケる。
「だっろ~?」
ジョルジュは、両腕を大げさに広げてみせた。
なぜなら、その姿はいつもの夜会服姿ではなくて、王族が式典で身に着けていそうな、豪奢な式典服だったからだ。将校を思わせるようなその服は、アメジストのブローチと共に、沢山の勲章が胸に光って、彼が過去にどれほどの功績を上げたのか、一目にして分かる。
ジョルジュは誓いを立てるように、こぶしを握って胸に当てた。
「残念だがよ!恨まれるなんてことは、王族には付き物だ!だけど……、オレはそれさえも受け止めなきゃな!逃げるなんてしねぇーーーぜ!!!恨みを買ったとしても……その人々と真摯に向き合って、国民として大切に治める。これは、王族にしかできないことだからな!!!!オレは、誇りをもってやり遂げるぜっ!!」
普段の彼が奥底に秘めている王族の気高さが、一気に開花した瞬間だった。
今現在、忙殺されています……。帰宅時間も遅く、課題も山積み……そして、今月いっぱい土曜日も、講義が入っています。資格取得のための(学芸員)授業なのですが、それで土曜日が一日つぶれてしまいます……。
OH……
なるだけ、三日以内に一話ずつは投稿していこうと思います。六月に入ったら、スケジュールが落ち着いてくると思いますので……