⑤宝石色の”想い” 後編
城の庭園に広がる噴水広場で、クラウンは月明かりのもと、大理石の噴水に腰を下ろしていた。手には一枚のタロット・カード。彼は先ほどからずっと、この一枚を仮面の奥の銀の瞳で、眺め続けているのだった。
「何だそれは?」
突然話しかけられて、クラウンは顔を上げる。そしてニヤリとした。
「エウラリア、お前なら分かるはずさ……。――――ほらっ!」
――ヒュンッ!
その一枚はきれいに、エウラリアの指の間におさまった。
「『タロットNo,17 星』か………」
「分かるだろう?私がなぜこれを手にしているのか」
クラウンの問いに、「あぁ」とエウラリアは短く頷いた。
「タロットの図像学上、星は希望の象徴だ。そして、オマエにとっては別の意味もある。
“暁の星”とも呼ばれることもあったオマエの恋人
――リュシーのことだな?」
「その通りさ……」
クラウンの口調が優しくなる。
「それは世界にとって希望の星であったSanta-Lucia、私にとっては最愛のリュシー……を思わせる、一枚さ……」
彼は愛おしげに夜空を見上げた―――が、その口元が引き下がった。
「今リュシーは、ザシェールによって動きを封じられている。こうやって…何もできない自分が歯がゆくてならないな………」
エウラリアはクラウンにカードを投げて返すと、素っ気なく言った。
「正確にはリュシーの魂だが……。おそらく、手に取られ、傷つけられる心配はないだろう。ザシェールとはいえ、『天上の魂を消滅させる』ことはできないはずだ。物理法則が異なるからな」
「ちょっと待て!その言い方はないだろう!!」
クラウンは声を張り上げて、エウラリアの首根っこを掴んだ。
「なんだ……?ワタシは正論を言ったまでだが?」
シャツを掴まれたまま、エウラリアは鋭く睨み返した。クラウンは彼に食って掛かる。
「まるで“物”に言うような言い方じゃないか!!リュシーは確かに魂だけの存在となってしまった!だが、天上で彼女は“生きている”んじゃないか!!!!!
お前はリュシーが心配じゃないっていうのか!!!!!?」
――ぐいっ!
クラウンの手から、シャツが強引に引き戻される。
「ワタシがリュシーを心配していないだとっ!!?ふざけるなッ!!!!次、ザシェールが姿を見せたとする……!!あぁ!ワタシは確実に好機を伺うだろうな!!ヤツの喉元を切り裂き、呪縛からリュシーを解放するという、絶好の機会をなッ!!!!」
感情のこもった一斉に、クラウンはハッとなった。
「すまない……。頭に血が上ってしまったのさ……」
エウラリアの表情は怒りで満ちて、口元からは尖った犬歯がのぞく。彼は「まぁいい…お互い様だ」と、踵を返してそこを立ち去ろうとした。
それを、クラウンの一言が引き留める。
――「なぁ、エウラリア。もしよかったら教えてくれるかい?お前はリュシーのために自分の命すら捧げようとした……。そこまでするんだ。
結局お前は――――リュシーのことを愛していたのかい?」
エウラリアは背を向けたまま、立ち止まった。しばし、彼は返答に悩んでいるようだったが、
――「さぁ………?」
と、僅かに振り返って言って、行ってしまった。
その背中に、クラウンはクスッと口を押さえた。
「見てるかいリュシー?どうやら私もアイツと仲良くなってきたらしいよ
あんな顔で言われちゃあ………バレバレなのさ、エウラリア」
―――――――
――「ねぇ、羽ヶ矢くん。聞いてもいいかしらぁ?」
「何かな、ミカエラさん?」
城の屋根の上に座った二人は、広大に広がる城下町の夜をゆったりと、眺めていた。
ミカエラは気になっていたことを、思い切って尋ねてみる。
「百合ちゃんのこと……今はどう思っているの?」
「あは…痛いとこつくな~」
苦笑いした羽ヶ矢だったが、切なそうな顔をして、水干の袖からクッキーを取り出した。
――「これは僕と百合さんの思い出が詰まったお菓子だって、前に話したよね?」
ミカエラは頷く。
「えぇ……。あなたが、ゆりちゃんの心の欠片が溶け込んだブラック・オニキスから目覚めたら、毎日作ってくれるって約束してくれたのよね?」
「うん……。だから、こうやって、いつも忘れずにくれるんだ。僕のために作ってくれて……とっても嬉しいよ。―――でも」
「でも………?」
羽ヶ矢は、本当に寂しそうに、言葉を紡いだ。
「このクッキーを食べるたび、どうして僕じゃダメなんだろうって思うよ。どうして百合さんの隣で、彼女が愛おしげに見つめるのが僕じゃないんだろうって………。その視線を一身に集めるイレールさんが妬ましくなる――そんなときも……ほんとうに時々だけど…ある、よ」
「……。そうなの………ごめんなさい。やっぱり聞くべきじゃなかったわ」
純粋な心配から聞いたことだったが、ミカエラは謝った。
「気にしないで。切ない気持ち以上に、今僕は幸せなんだ」
羽ヶ矢は柔らかく微笑んだ。
「百合さんが……幸せそうに笑う瞬間が、本当に、たまらなく好きなんだ。例えそれが、イレールさんに向けられたものでも、好きな人の最上の微笑みってだけで……何でか分からないけど、僕は嬉しくなって、切なさがどこかに行ってしまうんだよ!!
それに、
イレールさんにだって、幸せになって欲しいんだ。
僕が今ここに居るのは、イレールさんのおかげだから……
それで、その思いがまとまったからかな……?
――僕の夢は、百合さんとイレールさんが幸せになるのを、見届けることなんだ!!」
ミカエラもフッと優しく笑った。
「わたしも同じ気持ちだわぁ………」
いつの間にか、彼女の手には、ハープが握られている。
「わたしにはもう一つ夢があるのぅ。いつか芸術を司る大天使になって……二人の結婚式で、このハープを演奏するの。祝福を芸術の調べにのせて、届けるのよぅ……」
「わぁ……!素敵な夢だね」
「うふふ…一曲いかがかしらぁ?このハープは、古代ケルトの三位一体神、エスス、タラニス、トゥタテスっていう、再生と豊穣の神の加護が宿った聖なる弦楽器。心が癒されるわよぅ……?」
「ぜひお願いするよ!」
―――その瞬間、美しい指先が弦の上を滑って、優しい夜を歌う旋律が、クラースの歌に混じって辺りを優しく包んだ。
―――――――
「さ、できたよ!がんばれーーー!玉砕覚悟だイレール!!」
「玉砕はしたくないですが……フフ……特攻はしますよ。ありがとう、ロイ」
イレールは城の一角で、ロイから何かを、受け取った。
それはイレールの手の平でチャリン…と、音を立てる。
「じゃ、ボクは今夜中にここを立つから。――次は、ぜひとも、エンゲージリングを作らせてくれよ~~!!」
「……っ!!い、言われずとも!!!」
去って行くロイの背中に、イレールは強がって叫ぶ。完全に姿が見えなくなって、イレールは歩きながら、頬を染めた。
(結婚、ですか……)
それを考えるだけで、心が華やぐ。
(彼女は今、18を迎えたばかり……。まださすがに結婚は早いですよね……確か、彼女の国では20歳が成人の歳だったはず……)
イレールは微笑を浮かべたまま、百合の部屋のドアノブに手をかけた。
(彼女が成人を迎えたら………申し込んでもよろしいでしょうか?左薬指に、誓いの指輪を捧げることを………)
――「ニヤニヤと気持ち悪いな」
「ニヤケてるんじゃありません。これは幸せの微笑み―――って、エウラリアーーー!!1」
いつの間にか背後に立っていたエウラリアに、イレールは飛び上がった。
「百合に会う前に、オマエに話がある」
エウラリアは真剣そのもので、
「何でしょう……?」
イレールもグッと表情を引き締めた。
「旅に百合を連れて行くのだな……?」
「はい、あの子とともに時を歩むのです。それが互いにとっての、望みですから」
「なら一言忠告する。ワタシは別にオマエたちと慣れ合うためにここに居るのではない!」
エウラリアの口調が鋭くなった。
「すべて、白百合。百合のためだ……!アイツには恩義がある。もしもだ………。アイツが命の危機を迎えるような目に合わせてみろ……?ワタシはキサマを恨み、再び憎しみを持って刃をその喉元へ向けるだろう……!」
「………この身に刻みつけておきましょう。その言葉……」
誠意を持って、イレールは頷いた。
「それにな……。もう一つ、どうしても言っておきたいことがある……!」
「何でも言ってください……!“黒”である貴方の言葉は、私の短所をさらけ出してくれますから……!」
イライラと不満そうに眉を寄せるエウラリアに、イレールの身がさらに引き締まる。
「では、この際はっきり宣告しておいてやる。ワタシはこの一か月、キサマの行動を傍観していた。あまり口を挟まず、大人しくな……?その結果、ワタシの中である思いが騒めきはじめた……」
「えぇ……」
イレールは緊張しながら、言葉の先を待つ。
突然、
エウラリアは流暢にだが、苦々しくつらつらと吐き捨てた。
「昔から密かに思っていた!
やはりワタシは
――――――キサマのような八方美人が大っ嫌いだ!
あぁ、思い出すだけでイライラする!!黒魔術族であるがゆえ、あまり目立ったことはできんと耐えてはいたが……!!
なぜ、ワタシが学校でナンバー2に甘んじなければならなかったのだ……!
別に成績にこだわっていた訳ではないが!
八方美人イレールの下というのが、いやに―――――腹立つのだッ!!!」
―――(えええええええーーーーーっ!!?)
イレールは、理不尽な悪口に身をのけぞらせた。
「何ですかそれ!!?確かにこの一か月……『エウラリアって時々毒を吐くけど、子どもの頃のイメージ通り、基本は大人しくて閉鎖的なんだな』って思っていたんですよ!!?それなのに、私に対して、こっそりそんな、情熱的な鬱憤を溜めてたんですか!!?」
「あぁ!!ワタシはキサマの下に見られるのがともかく嫌いだ!よって、キサマをいじってこの鬱憤を晴らそうと思う!ハハ…!覚悟するがいい!!」
「ド、ドS発言です!酷い!!」
二人が廊下で騒いでいたのを聞きつけて、百合は、こっそり部屋のドアを開けた。隙間から、ばれないように、二人の様子を窺う。
―――「もしかして……あの時…!」
イレールが目を吊り上げた。
「百合さんが手につまんでいたクッキーを、その手から直接口で奪ったあの時!うらやまし――ではなく。貴方、ニヤッとして、私のほうを見ましたよね?あれはもしかして、私への嫌がらせですか!?」
エウラリアが意地悪く笑う。
「あぁ。それ以外に何があるというのだ……?」
「エウラリアーーーーーーッ!!!!とうとう、本性見せましたねーーー!」
ガチャ!
――「仲良くなったんですね、二人とも!私、二人がこうして仲好くしてる瞬間が見たかったんですよ~~~!!」
そこへ百合が乱入してきた。二人は大人しくなって、言い争いを止める。エウラリアはニヤリとした。
「ワタシは邪魔だな……ここは身を引こう」
「あ、お休みなさいです!エウラリアさん」
「あぁ……」
二人に背を向けて、エウラリアは憑き物が落ちたような顔をして去って行った。
――「ふぅ……えらい目に合いました」
気を取り直して、イレールは百合の手を取る。
「少しお話ししませんか?渡したいものがあるんです……」
―――――――
城の五階に割り当てられた彼女の部屋。
そこには、広いテラスがあって、二人はどこかから聞こえるハープの旋律を聴きながら、肌寒い月夜を見上げた。
「何ですか?渡したい物って……?」
「はい、こちらです……」
イレールは百合の後ろに回ると、
「少し、失礼しますね……」
――カチャ……
何かを、百合の首にかけた。
―――「わぁ……っ!これ、ロケット・ペンダント……!」
百合は首にかかったそれを、手に取った。そのロケット・ペンダントは、円形で、アカンサス文様に、ユリ、鳩の模様が、細緻に彫り込まれている。
ふたを開けると、いつの間に撮られたのか、自分とイレールが笑い合っている写真が入っていた。
「お揃いですよ」
照れくさそうに、イレールは首元から同じペンダントを取り出す。
「貴女が以前、こっそり持ち歩いてくれていましたよね……だから、今度は、“二人”で、持ちましょう」
「あはは、恥ずかしですけど、嬉しい……です。大切にしますね……!」
百合は両手の中に、そのペンダントを閉じ込めた。すると――
――ぎゅ……
「きゃ……!」
後ろからイレールの腕が回ってきて、百合は後ろから抱きしめられる。
「すみません……本当に、貴女が愛おしすぎて……」
「………っ!」
耳元で言われて、百合はますます頬を染めた。
「それは誕生日プレゼントなんです……。遅くなりましたが、誕生日おめでとうございます。今、貴女とともに生きていること……本当に、幸せですよ」
「……私も、例えようがないくらい…幸せですよ……!」
百合は心が温かくなるのを感じながら、イレールの腕に両手を沿えた。抱擁が強まる。二人とも入浴後のシャボンの匂いがして、イレールは心地よさから、百合の横顔に顔を寄せた。
「改めて伝えておこうと思います。私は魔法族で、しかも、この世界の調停者として生きています……。つまりは、“普通”ではありません。そんな私を…貴女は選んでくれました。
本当に、感謝しきれません
……選んでくれて
愛してくれて…………ありがとう、百合さん」
「イレールさん……!」
耳に優しく伝えられたその言葉は、幸福が過ぎて、
百合は体を動かして、彼の正面からその胸に飛び込んだ。
「私、イレールさんとともに生きていきたいんです……!イレールさんがどんな種族で、どんな立場にあったっていいんです!好きになったその瞬間から、そう思っていたんですよ………!!自然と、全く苦痛にも感じなくて………!」
イレールは微笑んで、百合の左手を持ち上げて――――
その左薬指に口づけた。
優しく、甘いその口づけを、月が神秘的に映し出す――――
(これは黙っておきますが……
そのロケット・ペンダントの模様……。アカンサスは“永遠”を、ユリは言いようもなく、“貴女”を、鳩は“愛”をそれぞれ意味しています。
このロケットが意味するのは“永遠の愛”。
きっと、いつか貴女のこの指に、指輪を贈る日が来る
―――そうなる日を、今は少しずつ、手繰り寄せていきましょう………)
唇が離れて行くその刹那―――
イレールはそう、目の前の少女に誓って、火照った彼女を再び、優しく抱擁で包んだ。