⑤宝石色の“想い” 前編
出発を控えたその夜のこと―――
白梟クラースが、城の屋根のどこかで、夜の帳の歌を歌い続ける。
そんな、夜。
百合、イレール、羽ヶ矢、クラウン、ジョルジュ、ミカエラ、エウラリアの、七人は、美しい月夜のもと、思い思いの場所で、それぞれのひと時を過ごしていた。
日常が変わってしまうのは、あまりにも急で、そんなひと時が欲しかった
というのが、それぞれの、お互いに共通した――――思いだった。
⑤宝石色の“想い”
ジョルジュが大きな窓辺の地べたに座り込んで、手の中のアメジストを見つめていた。
「アメジストはクロイツ王家の象徴………か」
ポツリと呟いた一言。
それを、手中に収めたアメジストのブローチは、しっかりと聞いてくれている。そのブローチは、リュシーが彼に贈ったものだ。
彼は目をつぶって、昔を少し思い出してみることにした。
―――――――
――「クロイツ王家、正式なる王位継承者ジョルジュ・クロイツ。ここに、そなたの力を認め、聖ゲオルギウスが龍退治の聖剣、アスカロンを捧ぐ………」
滝の音が遠くに聞こえる。美しい水の滴る神龍の森の奥。
今よりもずっと若く見えるジョルジュは、神龍アーイウルから、銀にアメジストの玉が輝く剣を、大切そうに受け取った。
「………ここに受け取ったぜ!」
――わぁああーーーーっ!!!!
その一言に、背後でその様子を見守っていた彼の恋人や友人たちが、惜しみない拍手を送った。
「ワシら自然龍族はクロイツ王国に忠誠を誓っておる。長く対立してきた神霊龍族と停戦を実現させたバルタザール王に、感謝の意を表明しての事じゃ。今日この日に、それがご子息の――アスカロン継承式に援助を賜ることができたことを、誇りに思う………!」
神龍アーイウルは誇り高く翼を広げ、祝福の咆哮を青空に掲げた。
――「街がさわがしーな」
「良いではありませんの。活気があって!」
アスカロン継承式から一週間がたったというのに、城塞都市グロッジェはお祭りムード。どこもかしこも、ジョルジュへの祝福を込めて、華やかに飾り立てられている。
「いつかオレが、親父から王位を継承したら……。平和な世界を創って、この恩を返さないとな!」
「ふふっ!わたくしも、お手伝いしますわ!」
そんな街並みを、ジョルジュは照れくさく思いながら、デンファレと共に、神龍の森へと足を延ばした。
「おお…!ジョルジュ様、おめでとうございます!」
「デンファレ様も、いらっしゃいませ!」
「アーイウル様なら、今日も最奥にいらっしゃいますよ!」
美しい緑で覆われた龍や、イルカのようなヒレを持つ龍など、様々な龍が、森を歩く二人を出迎える。それに手を振りながら、二人は龍たちの森の最奥を目指した。
和やかな清水の森を抜けて、ひときわ大きな滝が見えてくる。
その事件は、その滝音を聞いたその瞬間に、起こった。
ゴワ………!
――「な、なんだ?」
突然、空が真黒に染まって、
――――ゴォオオオオオオオオーーーーーーッ!!
森が、一瞬にして炎に染まった。
―――「あれは!」
ジョルジュとデンファレが空を見上げると、
そこには―――
骨をむき出しにした漆黒の龍たちが、口から火を噴き、森へと雨のように降りそそいでいた。
――「なんという事を!!」
「アーイウル!!」
ジョルジュとデンファレの手前―――
流れ落ちる滝の豪雨をエメラルドの翼が切り裂いて、アーイウルは空へと天高く飛翔した。
二人はその姿を目で追う。
そこには、紅い目をした不気味な龍が二匹、アーイウルと睨みを利かせていた。
「神霊龍族の者よ、そなたらとは停戦協定を結んでいたはずじゃ!この襲撃をすぐにやめよ!さすれば、我らも攻撃はすまい!」
「何を言うか!」
漆黒の龍が不気味な声で言う。
「バルタザールの出兵のせいで、我らは住処としていた森を失ったのだ!今、我ら神霊龍族はどこに身を置いていると思う!?
廃屋の連なるゴーストタウンだ!
そこのなんと粗末なことか!!」
周囲では自然龍族と、神霊龍族が争いを始めている。
「くっそ…!デンファレ、アーイウルに手を貸してくる!隠れていてくれ!」
「は、はい…!わかりましたわ!」
―――ジョルジュは、満月を見上げた。手には、透明度の高いアメジストのブローチ。
「あの時、オレが傷つけたつがいだよな……。あいつが言っていたのは」
アーイウルの背に乗ったジョルジュは、漆黒の龍のうち、体の小さな雌の翼の付け根を切り付けた。
―――「ギャアアアアアーーーーーー!!!」
その龍は、真っ逆さまに地上へと落ちていく。
「キサマァーーーーーーーッ!!!」
――斬ッ!!
「くは………ッ!!」
次いで、特攻してきたもう一方の黒龍も切り付ける。
「アーイウルっ!」
「うむ、地上にて話をつけよう!」
――「ぐ………う…ッ!!」
地に落ちた二匹に、アーイウルとジョルジュは、戦意を捨てて歩み寄った。
「ま、待て!その刃は……やめてくれ!廃屋に子を残しているのだ!我らが居なくなってしまっては……!その子は、路頭に迷ってしまう!」
雄の龍は体に走った傷をかばいながら、慌てたように言った。
「……安心しろよ。もうアスカロンの出番は終わりだ」
ジョルジュは剣を腰の鞘に納める。二匹は体を苦しそうに震わせていたが、アーイウルに謝った。
「もう良い……。ここから南東に、龍族が住まうに心地よい巨大な森がある。そこへ行ってはどうかのう?ここは先祖代々、ワシら自然龍族の森じゃ……明け渡すわけにはいかんのでな」
お互いに頭を下げ合い、龍同士の和解も済む。
「さて、森を元通りにせんとのう。エメラルド・コアの力を借り給わん………
――――ギャウウウウウウーーーーーーン!!!」
燃え盛る森に、すみ渡るような咆哮が響き渡った。
――ポツン……ポツン……
ザザァ……!
森には澄んだ雨が降り始め、それはどす黒い炎を収める。
「では……すまないことをした。バルタザール王が出兵するのも民を守るためだと、心では分かってはいる……」
「我らも気が立っていたのだ……戦乱に巻き込まれて……」
二匹がジョルジュたちに別れを言い、天へと飛び立った。
その跡には、痛々しいほどの血痕が残されていたのだが
―――その大量の出血は、その雨で流されきってしまった。
―――――――
(オレの記憶にあるのはここまでだ……。あの後……あいつらは死んでしまったのか。
オレの………。
オレの……ッ!――――アスカロンが原因で……ッ!)
ジョルジュは思わず立ち上がって、アスカロンを窓の外へ投げ捨てようとした。
「何をしていますの!!!」
「――ッ!?デンファレ!!?」
投げ捨てる。
まさにその瞬間、デンファレは後ろからその腕を掴んで止めさせた。
「ダメですわ!」
そのまま半ば強引に、ジョルジュの手からアスカロンをもぎ取る。
「くッ!何すんだよ!」
デンファレの怪力に表情を歪めつつも、彼はアスカロンを取り戻そうとした。
「返せよな、デンファレ!もうオレには必要な――――っ!?」
ジョルジュは―――黙ってしまった。
なぜなら――――
ポロ……ポロ……
「ジョルジュの馬鹿………っ!」
デンファレの瞳から、涙が零れていたから。
「わ、悪かったよ………」
泣いているデンファレの背中に腕を回して、抱き寄せる。
「怒って悪かった…………」
細い背中を撫でて、彼女に詫びる。
「それで泣いてるんじゃありませんわ…っ!」
首を激しく横に振るデンファレに、ジョルジュは困り果てる。
「じゃあ何で泣いてんだよ……」
胸に顔をうずめてきた彼女は、嗚咽をもらしながら言う。
「………どうして…っ!わたくしを…っ、頼ってくれないんですの……?ジョルジュはいつだってそうですわ!わたくしの前では、カッコいい王子を演じて…!今夜だって、そうやって一人で辛さを押し殺して!
わたくしがこの城に今夜…っ、泊まっている意味が分かりまして!?
あなたが心配だったからですわ!でも、ジョルジュったら…!わたくしからこうして出向かないと辛さをさらけ出してくれないんですもの……っ!
お願いですわ!そんなに…格好ぶらないで……っ!!」
「………っ。そうか……ほんとに悪かったな」
デンファレの腕がジョルジュの首に回る。その腕は、怪力な彼女とは思えないほど弱々しくて、ジョルジュは辛そうに目を伏せた。
「じゃあ……聞いてくれるか?」
「はい……もちろんですわ。少しでも……ジョルジュに何かしてあげたいのです」
二人は抱擁を解くと、寄り添い合って窓辺に腰を下ろした。
―――――――
――「誰かから殺したいほど恨まれるって……こんなに恐い事だったんだな」
「それは……。誰だってそうですわ……」
触れ合った肩から震えを感じて、デンファレは腕にしたアスカロンを抱きしめながら、頭を震えているほうへと傾けた。
「オレはさ……イレールやエウラリアみたく“強く”ねぇーから……。次あいつと向き合う勇気が、イマイチでねぇーんだ……。怖い。怖くてたまらねぇ……。明日リュシーの桜のもと、本来の力が戻って来ても、たぶんこの恐怖は薄れねぇと思う……」
「ふふ……」
デンファレは、おしとやかに口元を押さえた。ジョルジュも、クスリと、笑う。
「何だよ…笑うなよな。人が真剣に悩んでんのによ」
ローズクオーツを思わせる髪色の、デンファレのツインテールが微笑みで揺れる。
「そんなことありませんわ。ジョルジュは“強い”……ですわよ」
「剣舞のことか…?確かに体が鈍らねぇようにはしってけど……」
「ふふ!ちがいますわよ」
デンファレはふんわりと微笑んだ。ガラス越しに差す月明かりが、二人を優しく包んで、優しい、けれど神秘的な夜の時間が流れていく。
「わたくしがあなたを好きなのは、その“強さ”があるからですわ……」
ドキリとしたジョルジュも、柔らかい表情に変わる。
「なんでそう言ってくれんだよ……?」
デンファレはジョルジュをまっすぐに見つめて、言った。
「あなたは王族ですけれど……傲慢や傲りたかぶりに走らずに、まっすぐに弱さと向き合えるのですわ。あなたの“強さ”はこれですの……。あなたが将来背負うこのクロイツ王国。ここの国民はみんなジョルジュを慕っていますわ。でも、その理由に王子っていう地位はあんまり関係していませんのよ。
みんな……
ジョルジュっていう王子ではなくて、ジョルジュっていう“人”を慕っていますの……。人一倍『自分は弱いって思っている』ジョルジュだからこそ……人を大切にできるのですわ」
「―――っ!」
ジョルジュの目の前に、デンファレはアスカロンを差し出した。重なっている視線に、彼女は優しく頷いた。
「あなたといると、大事にしてくれているということが……温かく実感できますの。
―――愛していますわ、ジョルジュ……
さぁ…!
その手の中にあるブローチをつけて、この剣で……“人”としてあの子の痛みと向き合ってあげてください……!」
ジョルジュは拳をぎゅっと握り、デンファレの手からアスカロンを受け取った。
「ありがとな、デンファレ……
オレもお前のこと………世界で一番愛してるぜ」
彼の手の中で、アメジストが月明かりに強く瞬いた。