③獣の牙と、竜の牙
どこかの研究室。
錬金術師クロードヴァルド・ザシェールは、肘掛椅子に足を組んで座って、手の平サイズの“エメラルド”を目の前に、まじまじとそれを眺めていた。
「美しい……―――貴方もそう思いませんか?」
卓上のランプが、たった一つだけ、ユラユラと部屋を照らし出している。
ザシェールが共感を求めた相手は、壁に背を預けて、腕を組んでいた。
深めに被ったローブと顔に付けた仮面で、顔つきは分からない。
しかし、背丈と体つきから子どもであることが、何となく察しが付く。
「グルルゥ………」
仮面の下から覗いた口元が紡いだのは、唸り声だった。
あどけない子どもが出すような、高い声ではない。
それどころか――低い、狼が獲物を見つけたときに上げるような声だった。
ザシェールは、エメラルド越しにニヤリとした。
「そう怒らなくても、約束は守りますよ。
それよりも、私の話を聞いて行きませんか?
錬金術の極意を記した碑文――エメラルド碑文という石が、人間界にはありましてね……。“哲学者の石”の作り方もそこに刻まれていたのですよ……。私がこの奇妙な人生を歩むに至ったのは、この碑文との出会いがあってこそなのですが……
私が手にしたエレメント・コアの記念すべき一つ目が、エメラルドというのは……
―――運命を感じませんか?」
――――「そんなご託はいいッ!!」
ガシャンッ!
少年らしい声がして、ローブがめくれ上がった。
スカーレットの髪が露わになって――鋭く立った二つの獣の耳が、暗闇に浮かび上がる。
「オレはあの二人とは違うッ!!アンタの操り人形になり下がった覚えはないッ!」
――彼は、仮面を乱暴に顔からはぎ取った。
「さァ、さっさとオレの望みを叶えさせろよッ!!!」
喉元に食らいつきそうな勢いで、彼はザシェールに迫る。
黄色い双眼は、ザシェールのオッドアイを射抜くように捉え続けた。
ニヤリ……
「王子への仇討ちと、“育ての親”との再会か……。後者は私が“哲学者の石”を手にする必要があるが、前者はすぐにでも果たせますな………」
ザシェールは椅子に座ったまま、壁の方へと片手を向けた。
ぐわん……
空間が歪んで、壁に――森の奥へと歩みを進めるジョルジュ達の姿が映った。
「行け……親の仇を討ちなさい。“神龍の森”です」
「ここは……母さんと父さんの死に場所じゃないかッ!?」
少年はキッと、瞳を吊り上げる。
「いいよ……。あのヴァンパイアに仇討ちする場所として最高だ……!」
彼の口元には、喜びともとれる含み笑いが広がった。
――シュン……
少年の影は、そのビジョンが浮かび上がった場所へと飛び上がって――消える。
ザシェールはその後ろ姿に言い捨てた。
「どいつもこいつもッ!だから嫌いだ!人間も魔法族もッ!
私の言葉に耳を貸そうともしない!特に魔法族は、錬金術を人間のいかれたオカルトだと思いやがってッ!!―――ゴホッ!ゴホ…ッ!!」
ザシェールは突然、せき込んだ。
「お父さま……っ!」
ブルネットの髪をした幼い少女が駆けつけて、彼の肩を支える。
――「ハァ…ハァ……ありがとう、イヴ。
君だけだよ……私に優しくしてくれるのは。
あぁ早く……―――――“哲学者の石”を作らないとね……」
ザシェールは苦しそうに胸を押さえながら、少女に優しく微笑んだ。
少女――イヴは、愛おしそうに頬を染めてそれに応える。
「でも、ダメなんだ……君は、人間でも、魔法族でもないから……」
「………。」
イヴは寂しそうな顔をしたが、ザシェールは気にもとめていなかった。
「やっぱり……あの子が欲しい。アナスタシアの聖女が………」
―――ギリリ……
人形のような端正な顔をしたイヴ。彼女は苦々しげに、唇を噛んだ。
――――「あの子………キライ」
―――――――
「百合さん。そこ、滑りやすくなっていますから、気を付けてください」
「きゃっ!は、はい!」
百合たち一行は、のどかな小川が流れる美しい森を歩き続けていた。
木々の間には時々、ドラゴンが身を休める姿が垣間見えて、歩いているだけでも楽しい。
「懐かしいな……。この剣、アスカロンを賜ったのはこの場所だった」
ジョルジュが、木立の間からのぞく日の光に、アスカロンをかざしながら言う。
「そうなんですか?」
「あぁ」と、ジョルジュは百合に、短く答える。
「あれは、オレが学校を卒業した頃だったな……。
アスカロン継承式。
あれは、オレにとっての通過儀礼だった。これはクロイツ王国の宝刀だからな……。この剣を得るにふさわしい者か、王位継承者として試されたんだ。
襲いかかる龍たちを退けて、
この森の最奥――神龍アーイウルのもとへたどり着くこと。
それが試練だった」
「デンファレ姫も最奥で待っててね。最奥にたどり着いた時の陛下は、デンファレ姫の抱擁を受け……まるで………っ!王子様だったのさ!」
「いや!オレ正真正銘、本物の王子だから!!」
クラウンにジョルジュがつっこむ。
そんな和やかな空気を保ちつつ、一行が森の奥を目指していると――
バリバリッ!!!
突然、
巨木が折れて、ジョルジュ目がけて天から降り落ちようとした――
「ちッ!――あっぶね――」
ジョルジュがアスカロンを振り上げた。その時だった。
―――「危ないですわぁーーーーーーーーーーっ!!」
ボカーーーーーーーーーーンッ!!!!
一同は、唖然とした。
目の前で、ピンクの物体が巨木に突っ込んでいき、その太い幹を、真っ二つにへし折ったのである。
――「ふ……なんのその、ですわ!」
――「デンファレ!!」
煙の中から現れたのは、デンファレ姫だった。
今日も、ピンクのツインテールと、クラシカルロリータ・ファッションが良く似合っている。
「お前!自分の国に戻ったんじゃなかったのかよ!?」
彼女はジョルジュのもとへ、ニコッと笑って、駆け寄って行った。
「ジョ~ルジュ~~!心配で来てしまいましたわ~~!
あ!―――イレール様もお久しぶりですわ~~!!」
「ど、ど……どうも。こんにちは。はい、ご無沙汰しております」
百合の後ろに回って、イレールは身を震わせている。
(あはは…逃げるタイミングを逃したんですね……)
百合は、珍しくどもっているイレールを微笑ましく思う。
―――――――
デンファレ姫を加え、しばらく歩くと、ミカエラが声をあげた。
「まぁ~~綺麗ねぇ~~!!」
――「わぁ!ほんとです!すっごく綺麗!!」
百合は、野道を歩いた疲れが、一気にふき飛んでいくのを感じた。
沢山の滝が交差するように流れ落ち、それに伴って、青空には虹が、幾重にも広がっていたのだった。
――「あの先だぜ!神龍アーイウルが居るのはよ!」
ジョルジュが一際大きな滝を指さす。その時だった。
――「ここで、アンタを地獄に落としてあげるよ!」
「―――きゃっ!」
―――ギャアアーーーウッ!!!バサッ!タタタッ!!
デンファレを不気味な姿をした龍と、虎が取り囲んだ。
その二体は、体の骨がところどころむき出しになっていて、体中が影でできているかのように真っ黒い。
「デンファレ!!―――っ!?」
ジョルジュが駆け寄ろうとするものの、何者かが斧を振り上げた。彼はすかさず後ろへ飛びのいて、かわす。
ガンッ!!
標的を失った斧は、まっすぐに地面に突き刺さった。
「貴方は!ザシェールの配下に居た!!」
イレールが百合を背にかばいつつ、声をあげる。
―――丈の長いフード付きのローブが、乱暴に脱ぎ捨てられた。
彼らの目の前に、スカーレッドの小さな狼が立ちふさがる。
「アンタたちは関係ないけど……ここで消えてもらうよ!!」
イレール達を、漆黒にうごめく獣たちが、ぐるりと威圧的に取り囲んだ。