西洋史学科生たちの四方山話 ~赦しの日~
「メリークリスマス!」
西洋史学科内で一番人当りの良いと思われる学生クリストフは図書館の休憩所の円形テーブルに自分の仲間が座っているのを見ると、いつもと変わらない調子で朗らかに挨拶した。それに対してノワルティ・プラジェトワはモゴモゴと口を動かして挨拶の代わりとし、ロジエに至ってはしかめ面を返しただけだった。
「なぜそんなことを言うんだ?」
ロジエが不機嫌そうに言った。
「なぜ、とは? その質問の意味が分からないね」
クリストフが少し驚いた様子で彼を見た。
「メリークリスマスと言ったじゃないか。なぜそう言ったのか僕はその理由を聞いてる」
「今日が12月25日だからさ」
「12月25日になると君は無条件で『メリークリスマス』と挨拶するのか」
「いけないかい」
「別に。いけないことはないな。ただ、気になっただけだ」
「おかしなことが気になるもんだね」
クリストフにはロジエの機嫌が眼に見えて悪いことは最初のやりとりで分かっていたのだった。しかし、そんなことは日常茶飯事ゆえ彼はそこには眼をつむることにして会話を打ち切ったのである。かばんを下ろすと彼はプラジェトワの隣に座り、フランス語の課題を取り出して取り掛かり始めた。しばらく3人のテーブルの支配者は沈黙であった。ただし、プラジェトワは落ち着かなそうにもぞもぞ動いていたが。彼は気まずさをごまかそうとしてすぐ隣のテーブルに座っている男女が話しているのを見ているふりをしようとし、結局気まずさのほうが勝ったために失敗した。数分してようやくロジエが言った。
「妙なことを聞いてすまなかった。ちょっと虫の居所が悪かったんだ」
そうして2人に頭をぺこりと下げた。
「別に構わないさ。君は2日に一遍はそんな調子だからね」
「むしろ君が訳の分からない質問をしたほうが気になるな…」
「大したことじゃない」
ロジエが首を振る。
「いやあ、聞きたいね。俺には摩訶不思議な質問で気分を害されたことに対するつぐないを要求する権利があると思うね」
「クリストフ… 今のご時世男がクリスマスにわけもなくイライラしてる理由といえば1つしかないと思うな…」
相変わらずの甲高くも覇気のない声でプラジェトワが続いた。そこにはロジエに対する非難と冷やかしが明らかに含まれていた。
「女」
一瞬ののちクリストフは答えを出した。
「なに?」
これには当のロジエが当惑していた。そもそも彼はプラジェトワからそのような冗談めいた言葉が出たことが信じられないようだった。
「どうしてそうなる」
「プラジェトワが言った通りさ。俺たちの年代でこういう日にイラついてるやつは、彼女がいないか、彼女に予定をキャンセルされたかなんかのために街ゆくカップルに対して殺意を覚えるようなやつだからね」
「ロジエがそんなに飢えてたとはなあ…」
プラジェトワがクスクス笑った。ロジエが彼を睨みつけた。
「いつもの仕返しだよ…」
プラジェトワがニヤリとして言った。
「まあいい。どうせ君たちの早合点なんだから、こっちは何を言われても痛くも痒くもないんだ。ここで僕の女性論を語る必要もない」
ロジエが憮然として言う。
「そういうことなら話せよ」
まったく呆れたと言わんばかりにロジエは首を振った。
「なら話すがな、面白くもなんともないぞ。最初にだ、女はまったく関係ない」
「知ってるさ。君の交友範囲の広さからすれば彼女が出来れば俺たちが気づかないわけないからね」
ロジエはフンと鼻を鳴らしただけだった。
「では話すがな、僕は昨日ベッドで寝ながらぼんやり思ったんだ。クリスマスとはなにか。人はその日何をすべきなのか」
「また君の頭はどうでもいいことに飛躍するなあ…」
「そうするとだ、考えがこんがらがって分けが分からなくなった。おかげで睡眠時間は削られ、脳みそはわけもなく疲弊しちまった」
「じゃあ別に君はこの清き日を一緒に過ごす女性がいないから嘆いてるわけじゃないんだね」
「当り前だろ。アホらし」
「ならあれかい… 日本人はキリスト教国の民ではないのにどうしてクリスマスを祝うのか、とかそんな疑問かい…」
「それこそ彼女がいない男の常套句じゃないか」
ロジエは軽蔑の眼をした。
「では簡単な答えを提示しよう。クリスマスとはイエス・キリストの誕生日だとのちの人がこじつけた日のことで、その日人々はそのような誤魔化しが約2000年続いてきたことを祝うのさ」
クリストフがにっこり笑って言った。
「そんな答えで満足するとでも?」
「思ってないさ。冗談が通じないとはイライラも相当らしい」
「冗談ならもっとブラックなのが欲しい気分だな」
「では気分転換に先ほどのプラジェトワが言ったことをもう少し考えてみたらどうだ。なぜ日本人はキリスト教の国ではないのにこの日にお祭り騒ぎするのか」
「ものが売れるからだろ。クリスマスがまるで特別な日みたいに騒いでいればみんなものを買う。プレゼントとかケーキがな。企業は得をし、市民は非日常を味わえる。両者がいい思いをするわけだ」
プラジェトワは、それはバレンタイン・デーに文句を言う世の男たちの理論とまったく同じであることを指摘しようとして、やめた。同時に彼は隣のテーブルの男女の会話がかなり白熱してきているのに気付いた。
「それも間違ってはいまいさ。どっちにしろ日本のクリスマスに宗教性は皆無だということには賛成だね。キリスト教の本場の国ではクリスマスよりもイースター(復活祭)のほうが重要視されてるんだ。日本ではまったく聞かないがね」
「プラジェトワはどう思う」
「何かの本の受け売りだが、クリスマスと大正天皇の命日は同じ12月25日なんだ…」
「ほう」
「天皇の命日というのは次の元号の時代には祝日になるだろう。で、次は昭和というわけだ。1948年に法律は改正されてしまって今は違うけども、12月25日はクリスマスであると同時に日本では1947年までのあいだ祝日だったんだ…」
「なるほどねえ、休みともなれば人の心に余裕が生まれ、文化的なことを受け入れる下地も出来てくるというわけだ。家族はどこかへ出かけ、恋人たちはデートができる。そこへクリスマスが本格的に進出してきた、ということだね」
「そんなふうだったと思う」
「そいつは悪かないな。筋は通っている」
3人はそろってうんうんと頷いた。1つ答えを得たロジエはそれなりに満足した様子で多少なりともいつもの調子を取り戻したようだった。これまでの失態を取り返そうとロジエは何か話のタネはないかと思いをめぐらせ、そしてぴったりの話題を見つけた彼はクリストフに尋ねた。
「クリストフ、彼女にプレゼントは買ったかい」
「ああ買ったさ」
クリストフに彼女がいることは2人も知っていた。紹介されたことはなかったが。もっとも、クリストフが2人に自分の彼女を紹介しようとすれば断固拒否されることは目に見えていたのも事実である。
「いったい何を買った」
「うん、実は…」
クリストフが彼女に何をプレゼントするつもりかは結局聞けず終いだった。彼が答えようとしたとき、隣のテーブルでさっきから話し合っていった2人が大ゲンカを始めたのだ。
「なら、わたし帰るから!」
長い茶髪の女性のほうが怒り心頭に発するという調子で勢いよく立ち上がるとそのまま足早に図書館から出て行ってしまった。あとに残された男は最初こそ憤懣やるかたない顔をしていたものの、自分たちが周囲の注目、特に隣の三人組の多大なる注目を引いたことに気づいて、ため息をつきながら椅子に腰を下ろした。それでも三人が眼を離してくれないと知ると、気まずさを隠すようにして彼のほうから三人に話しかけたのである。
「彼女でしてね… まったく女というやつは!」
挨拶を省いてその男は会話を始めた。短く刈った髪と精悍な体つきが、彼が何らかのスポーツをしていることを示していた。おそらく普段は快活なのだろうが、今はすっかりしょげ込んでしまっていた。
「法学部政治学科2年の伊佐川章と言います。随分お見苦しいところをお見せしてしまいました」
そう言って彼は三人が座っているほうのテーブルに移動してきた。
「ああ、どうも」
三人はめいめいに自己紹介した。西洋史学科の奇妙な慣習について説明したのはクリストフであった。
「なるほど、西洋史ですか。面白そうですねえ。僕なんかは学業のほうはうっちゃって毎日テニスに明け暮れているんですが、たまには真面目に勉強してみるのも悪くはないのかもしれませんねえ」
どこか感慨深そうに伊佐川は言った。
「でも、テニスの実力は相当のものだからいいじゃありませんか、伊佐川さん」
クリストフが唐突に言った。
「どうして僕をご存知なんですか」
「こないだの大学対抗戦で優勝なさったでしょう、大学通信で読みましたし、写真も載ってましたから」
「僕は知らないな。あんなもの読むやつがいるのかい」
ロジエが冷やかした。伊佐川は苦笑しただけだった。
「ええ、そうです。自分で言うのはなんですが、テニスの実力はアマチュアとしてはなかなかのもんだと思ってます。でも…」
「でも、勉強のほうはあまりなさらない。どうやらその辺で彼女さんともめたようですね」
「おや! それは大学通信には書いてなかったと思いますが」
「いまあなた『真面目に勉強するのも悪くない』というようなことを言いましたね、しかもかなり真剣に。それでそうじゃないかと思っただけです」
「参ったな、全部お見通しみたいだ」
「気にしないことです伊佐川さん。このクリストフというのはやれもしないのにシャーロック・ホームズの猿真似をするやつでして。ただのまぐれ当たりですよ」
「いい勝負だと思うけどな…」
プラジェトワの呟きはだれの耳に拾われることもなかった。
「ロジエの言っていることはともかく、とりあえずなぜ彼女さんがあんなに怒ったのか聞かせてくれませんか。話すだけでもすっきりするかもしれませんし」
「はあ。構いませんが。僕もつかみ損ねている話ですけど」
「どうぞどうぞ」
伊佐川はコホンと咳払いして話し始めた。
「僕の彼女というのは新戸藍菜と言うんですが読みは変わっていて「ランナ」なんですけども本人はあまり気に入らない読み方らしく、周りには別の読み方で「アイサ」と呼ぶよう言っています。僕は「ランナ」もすごくいい名前だとおもうんですけどねえ。ご覧になったでしょうが綺麗な髪をしてましてまるでシルクのような手触りですよ。目鼻立ちも整っていてしかも頭のほうも所属している工学部数学科内でもトップクラスのピカイチでして。それにしっかりとものを言いますから同期生の信頼が厚いのはもちろんのこと、先輩や教授方も彼女には一目置いているようです。まだ2年生なのにです。そんなすごい彼女がどうして僕のようなテニス馬鹿の彼女になってくれたかと言いますと、あるテニスの大会でプレイした僕のバックハンドがたいへん美しかったから、とこれだけなんです。でもそれからお互いのことをより知るようになって、僕としてはますます彼女のことが好きになったんですよ。あなた方もちょっとは見ましたよね、あの透き通った眼! あの眼に浮かんでいたのが怒りでなければよかったんですが、それはそれで美しいですし…」
「素晴らしい彼女ということはよーくわかりましたよ」
ロジエがふて腐れ気味に言った。
「おっと、すいません。まあとにかく僕は彼女にまいってるわけです。彼女の方もそうだと僕は信じていますが。それでですね、アイサはなんと今日が誕生日なんです」
「おやおや、産声は『メリークリスマス!』ではありませんでしたか」
伊佐川が困った顔をしたのを見てクリストフが助け舟を出した。
「ロジエ、君のともすれば無礼な言い種に一般の人は慣れていないことをそろそろ知るべきだね」
「あー、すいませんでした」
彼は素直に謝った。
「いえ、気にしてません。話を続けても?」
「もちろんです」
「で、彼女は今日が誕生日なんですよ。だから当然何かプレゼントをしようと僕は前々から思ってたんです。ですが、僕も彼女もサプライズというものはあまり好まない性格でして、僕は1週間ほど前にはっきり聞いたんです。『誕生日にはなにが欲しい?』って」
「へえ。最近はとかくサプライズとやらが流行っているからな、その点新戸さんとあなたの考えには好感が持てるな」
「彼女は何て答えました…」
「その前にもう少し彼女の性格をお話ししておかないと。僕が彼女にぞっこんだってのはわかってもらえたと思います。でも、彼女にも欠点というか悪い癖のようなものがありまして」
「聞いた限りではこれ以上望めないパーフェクトな彼女さんですけど」
とてもそう思ってはいないような口調でロジエが言った。
「はあ。僕もこれを欠点と言っていいかどうか… なんというか彼女、クイズ狂なんですよ」
話をする伊佐川以外は思わずポカンとしてしまった。
「別にいいじゃありませんか、クイズくらい」
「そんなに悪い癖には思えないけどな…」
伊佐川が首を横に振る。
「いえ、そんな生易しいものではないのです。例えばデートの待ち合わせ場所だってクイズで伝えてきます。多くはちょっと頭を捻ればわかるなぞなぞですが、何らかの知識を必要とする問題だったときは僕なんかお手上げです。そして、分からなかったとき彼女は毎回こう言うんです。『バカねえ、簡単なのに』って。そりゃあ僕は彼女に比べれば知ってることも少ないですよ。僕の専門であるはずの政治分野でも彼女のほうが詳しいくらいなんですから。でも、僕だってプライドがないわけじゃありません、そう言われて腹が立たないわけないじゃないですか」
「それはまあ、仰る通りですね」
クリストフが頷いた。
「だが、それと今回の話と何の関係が…?」
「つまりですね、僕が『誕生日のプレゼントは何がいい』って聞いたら彼女はこう答えたんです。『またクイズにして出すから、当ててみてよ』って」
「なるほど」
「彼女は言いました。『わたしの欲しい、というか食べたいものはね、料理なの。わたしの名前にも誕生日にもぴったりで、数学者のわたしが尊敬するある人に関係してるある食べ物を使って適当な料理をあなたに作ってもらいたいの。でもこの問題、あなたには難しいかもね。けれどもしわたしたちが本当に愛という強い力で惹かれあっているならできるかしら』、とこんな感じです。もちろん最初僕は自信満々に『できる』と答えました。ところがいざ取り組んでみてもさっぱりわかりません。1週間あれば楽勝だろうと高をくくっていたのが間違いで、あっという間に今日になってしまったのです。僕は正直に敗北を認め、答えを教えてくれるよう彼女に頼みました。けど…」
「彼女は教えてくれなかった」
ロジエが引き継いだ。
「そうなんです。なだめすかしても、ちょっと怒ってみてもぜんぜん教えてくれないのです。最後には僕の方が我慢できなくなって、いちいちクイズにはつきあってられない、そんなことなら今日はもう知らない、僕は一人で過ごす、そんなにクイズが好きならクイズとデートすればいい、とつい言っちゃったんですよ。そしたらご覧のありさまです。『不勉強なのがいけないんでしょ!』と言われてしまいました」
「そいつは災難でしたね。女の人が怒るとなだめるのはなかなか大変ですからね」
クリストフがまるでわがことのようにしみじみと言った。
「というわけで僕はほとほと困ってるんです。何かいい解決策はないでしょうか」
伊佐川は三人の顔に答えが書いてあるかのように彼らの顔を何度も見た。
「かくなるうえは答えを導きだすしかないと思うな…」
プラジェトワが呟いた。
「賛成だね。誠意を見せるしかないでしょう」
「でも僕にはさっぱりわからないって言ったでしょう」
「我々も考えてみよう」
「だが彼女のクイズはなかなか強敵のようだな。名前と誕生日にぴったりで、数学と関係がある食材か」
「この場合名前は「にいと らんな」で誕生日は12月25日だね」
「うーむ」
ロジエが唸った。
「おいどうしたロジエ、いつもの冴えがみられないじゃないか」
「それは西洋史に関係のあるときだけだ。僕らの専門なんだから」
伊佐川が意見を述べる。
「誕生日っていうのはつまり今日、クリスマスですね。じゃあどうです、サンタクロースは関係ないでしょうか」
「サンタクロース? プレゼントとは関係してますがね。それと関係ある食材っていうとなんですか… トナカイ?」
「トナカイなんて調理できるやついるのか」
「それに名前にも数学にも関係ないですよ。サンタクロースはどうこねくり回しても新戸藍菜にはならないでしょう」
「そうですねえ。まあ思いつきですから」
「クリストフ、君のほうはどうだ」
「俺の考えかい。うーん、クリスマスっていうのはすなわちイエス・キリストの誕生日だね。どうにかつなげられないだろうか」
一同うんうん言いながら考えたものの、こじつけさえ思い浮かばなかった。
「プラジェトワは。なんか思いついたかい」
彼はただ首を横に振って否定を示しただけだった。
「なにかヒントはないのか。八方ふさがりだ」
ロジエが呻いた。
「ヒントを出したとしたら、さきほどの会話の中だと思うんだがな」
「なぜだい」
「そりゃあそうだろう。1週間のうちに伊佐川が問題を解いていたら途中でヒントを出す必要はないから」
「そんなら一番最初のときにヒントも教えてくれそうじゃないか」
「いや、彼女は出題と同時にヒントを出しはしません。解答者が分からないと認めて初めてヒントを教えてくれるのです。ですから、さっきの会話の中にもしかしたらヒントを織り交ぜていたのかもしれません」
「伊佐川さん、思い出せますか、さっきの会話を。あなたが降参だ、と言ったとき彼女は何て言ったか覚えてますか」
「ええっと、ちょっと待ってください。あー、僕が分からないと言うと彼女はハアと大きなため息をつきました。それで次の言葉が、こうだったと思います。『そうよね、人の気持ちは計算できないものね』ええ、こう言いました」
ロジエが眉を吊り上げて言った。
「そりゃほんとにヒントかい。それに僕はさっきから思ってたんだがな、新戸さんの奇妙な言葉のチョイスは彼女が数学者だからなのか。どうも違和感があるんだがな」
「どういう部分に」
「例えば『愛という強い力で惹かれあっているなら』とか、今の『人の気持ちは計算できない』という部分だな。いかにも数学者らしいじゃないか」
「僕はあまり気になりませんでしたよ」
伊佐川はけろりと言ってみせた。
「我々は文学部でして。変なところが気になったりするんですよ」
そのときだった。
会話には少ししか加わらず、皆の話を聞いていたプラジェトワがハッとした顔をしたのだ。
「あ、ああー」
「どうした、ついに壊れたか」
「違う違う、分かったんだ!」
「このクイズの答えがか」
「そうだよ。でも… これを何も知らない、しかも政治畑の人間に解けっていうのは酷だよ。伊佐川さん、彼女に抗議すべきです」
「えっ、ほんとですか。教えてください、答えはなんなんです」
「いえ、まず僕がどうやって答えにたどり着いたかその理由から説明しましょう。実は解く手掛かりはほとんどみんなが与えてくれたようなものなんだ」
興奮のために声は上ずり、いつものボソボソ声はどこかに行ってしまったようだった。
「まず12月25日は何の日か。これは普通に考えればクリスマスです。クリストフが言ったようにイエス・キリストの誕生日です。が、ロジエ、クリストフ。伊佐川さんと話す前に話していたことを思い出してくれ」
「うん? なぜ日本人はクリスマスに騒ぐのかとかそんなことか」
「そうそう。僕はそれについて大正天皇の命日の話をした。で、僕は思ったんです。12月25日は別にキリストの専売特許ではない、と。大正天皇のようにその日亡くなった人もいれば新戸さんのようにその日生まれた人もいる。なら別に12月25日をクリスマスという色眼鏡でみる必要はないでしょう」
「そう言われれば確かに」
「次に伊佐川さんの話です。新戸さんの名前は藍菜で読みは「ランナ」でした。でも本人は『アイサ』と呼んでもらいたがると仰った」
「ええ、そうです」
「それは何故です?」
「いや、理由までは知りません。本人の気分じゃないですか」
「いえ、僕はそうは思いません。おそらく理由があるのです。するとどうもこれは「ランナ」より「アイサ」で考えたほうがいいのではないかと思いました」
「ニイト アイサ、というふうにか」
「ああ。そして彼女が数学者だということがあります。数学者の新戸さんが尊敬する人物とは? それもまた数学者だとするのが妥当ではないですか」
「そうかもな」
「するとですよ。彼女が尊敬している人物というのは12月25日に生まれたもしくは亡くなった、名前が『ニイト アイサ』に近い数学者ということにはなりませんか」
「うーん… だれだ?」
「最後にロジエが疑問を持った彼女の言い回しです。『愛という強い力で惹かれあっているなら』。僕も言われてみれば奇妙だと感じました。ですが、これも問題文の一部だったとしたらどうです。『愛という強い力で惹かれあっている』すなわち、愛というのはあなた方を『惹き合う力』なんですよ」
ため息が漏れた。ついに答えにたどり着いたロジエとクリストフのため息だった。
「なるほどね」
「これはこれは。見事にしてやられたよ」
一方の伊佐川は未だ何のことかわからない。
「さっぱりですね。『惹き合う力』とはどういうことです」
「『惹き合う力』、つまり『引き合う力』。引力です」
「ええっと。引力ですか」
「はい。引力です。そして一般的にすべての物質の間にはたらく引力のことを万有引力と言いますね」
「ばん… あっ!」
プラジェトワが満面の笑みを浮かべた。
「そうです! ニュートンです! 万有引力の法則を発見したことくらい、我々科学に疎い者でも知っているあのニュートンです!」
「アイザック・ニュートンか。そしてニイト アイサ。まあ許容の範囲だな」
「しかも新戸の新を英語に直せばニューになる。ニュート アイサだね。もっともこれは蛇足かもしれないが」
「でもニュートンは12月25日生まれなのですか」
「まったくその通りです。ただ、暦の違いはありますが… そこは大目に見て頂きましょう」
「だが、この言葉はなんだい『人の気持ちは計算できない』」
「ニュートンの言葉だよ。『天体の動きはいくらでも計算できるが、人の気持ちは計算できない』。実はそれが最大のヒントになったんだ…」
「プラジェトワ、もし僕が帽子を被っていたら脱帽していただろう。そのことだけは知っておいてくれ」
ロジエが混じり気ない賞賛を示した。プラジェトワの顔は柄にもなく元気に話したのと褒められたので一気に真っ赤に染まり、彼はテーブルに突っ伏してしまった。
「ということはですよ。彼女が僕に作ってもらいたい料理というのは…」
「もちろんリンゴを使った何かでしょうな。ニュートンといえばリンゴ、リンゴといえば万有引力です。この逸話の真偽はともかく、この関係は断ち切れないでしょう」
ロジエが自分でも納得しながら言った。
「リンゴですか… 何を作ったもんでしょう」
「アップルパイとか、リンゴのタルトとかですかね」
「なるほど、なるほど、ありがとうございます。これですっかり判りました。こんな難しい問題だったなんて!とても私だけでは解けなかったでしょう。彼女に文句の一つでも言ってやらないと。でも、それはともかく、彼女のほうが機嫌を直さず、赦してくれなかったらどうしましょう。思えば少し酷いことを言ったかもしれません」
「赦してくれますよ。ですからあなたも彼女の悪い癖をそう咎めず赦してやったらどうでしょう」
ロジエが断言した。
「やけに自信ありげだね、ロジエ」
クリストフが少し驚いたように言った。ややあってロジエが答えた。
「当り前じゃないか。今日はクリスマスなんだからな」