雨に濡れゆく腹の虫
今日もまた、雨が降っていた。ここ1週間、一度も青空を見ていない気がする。雨、ということは、いつものごとく頭痛に付き纏われるということで、僕は今週に入って既に数回、保健室のお世話になっていた。
「今日も、か? 今週もずっと雨だな」
「うん……一日くらい、晴れてくれればいいのに」
「あとはもう、神頼みしかないんじゃないか」
「雨乞いならぬ日乞い?」
「新しいな」
僕の言葉に、彼が吹き出す。それはいつも通りのようで、でも少しだけ違っていた。うーん、気遣われてるのだろうか。そこまで心配しなくてもいいのにな、と思うけれど、今は甘えておくことにした。
「何度も言ってるが、無理はするなよ」
「ん、わかってる」
「もし立つのも難しくなったら、保健室まで引きずって行ってやるよ」
「辿り着く頃には保健室じゃ処理しきれない事態になってそうだから遠慮するよ」
「なんだ、つれないな」
「つれなくて結構」
「これでも心配してるんだぜ?」
「はいはい……でも」
そんなにたいしたことじゃないよ。そう言おうとして顔を上げたら、世界が歪んでいた。点滅しながらぐるりと回る。
「っえ」
がたん、と椅子が倒れる音と、大きくなる頭痛と、それから、友人の慌てた表情がぐにゃぐにゃと混ざり合う。眩んで、傾いで、声を出すこともできないままに、僕の視界は暗転していった。
***
「うあー……」
がんがんと、相変わらず元気に自己主張する痛みに頭を抱えながら、体を起こす。ここは、保健室……?
「お、起きたか」
「オハヨウ」
「はいはい、グーテンモルゲン」
「ぐ……?」
「おはようってことだ。夕方だがな」
「え」
夕方? さっきまで朝だった、のに? ということはまさかこいつはずっと僕に付き添ってたのか?
「案ずるな、お前の分も授業は受けてきてやった」
「あぁ、そう……よかった」
「お前は俺をどんな奴だと思ってるんだよ……」
はぁ、と彼がひとつため息をつく。いつもの仕返しとばかりに、僕は笑顔で言ってやる。
「幸せが逃げたね」
「新しい幸せを生み出すからなんら問題ないね」
「さすが」
とても早い返しをいただいた。なんというか……まだまだ修行が足りないな、僕。どんな修行を積むべきなのか皆目検討もつかないけど。
「で、体調はどうだ?」
「頭痛い」
「だけか?」
「……お腹すいた」
「そりゃ、昼飯食ってないからなぁ」
そう言って友人は笑うけど、僕にとっては笑い事じゃない。食べないと、動けない。
「今日は部活は休んで、念のため病院にも行っておけ、とのことだったぞ」
「休む、って、でも、大会」
「気持ちはわかるが、今日くらいは休んどけ。焦って無理してストレス溜めて、また体壊したら元も子もないだろ」
そう、真剣な表情で言う友人の言葉には、確かに思い当たるところがあって、僕はそれ以上反論できなくなる。こいつに諭される日が来るなんてなぁ。ほんの少しだけ悔しい。
「……わかったよ」
「ならよし」
「そういえば、先生は?」
「会議中」
「そっか。じゃあ、君はその会議が始まる前からここに?」
「おう。授業が全部終わってから様子を見に来たら、ここに居てくれって頼まれてな」
うわ、それじゃあ結構長いこと、こいつはこの部屋にいたのかもしれない。
「ごめん、時間、大丈夫?」
「気にするな。それよりも、無理するなってあれほど言ってただろ? そっちに関して、なにか一言欲しいところだがな」
「う……」
無理をしているつもりはなかったんだけど……でも、こうして倒れてしまったわけだから、気づかないうちに無理をしてたんだろうな。それに、先程言われた、ストレスも。
「……ごめんなさい」
「ん、よし! じゃあ後はゆっくり休め!」
「お言葉に甘えて」
そう言って、もう一度横になろうとしたところで、腹の虫が鳴く。しかも、盛大に。
「ふはっ、まずは飯だな」
「ちょっ、笑うな、忘れろ!」
「ははは、誰が忘れるか。ちょっと待ってろよ、お前の荷物、教室から取ってくるから」
「うう、了解……」
恥ずかしさで顔を伏せた僕の頭を何度か軽く叩いて、友人が保健室を出て行く。一瞬の沈黙が訪れて、それから再び腹が鳴る。まだ鳴くのか、このやろう、と腹の虫に対して悪態を付きながら、ベッドに寝転がって白い天井を見つめる。雨音が耳に届く。次に太陽が顔を出すのは、いつだろうか。その日まで、僕は彼に心配を掛けるのだろうか。そう考えると、自然とため息が出る。でも、今の僕には逃げた幸せを追いかける体力もない。何せ、腹の虫がさっきから、時計の針や雨の音と絶妙なコラボレーションを繰り広げているんだから。あぁ、お腹すいた。
「腹が減っては……」
そこで一度言葉を切って、深呼吸して、それから続ける。
「体調不良も、治らない」
だから、まずは、腹ごしらえ。




