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キライな人  作者: 太陽
第3章 ジュリエットの気持ち
39/43

6ー3

 わたしは原田に自分の考えを語った。

 原田は黙ってわたしの言葉に耳を傾けていた。


「これがわたしの答え。わたしが考えたジュリエットの気持ち」


 わたしはそう締めくくった。

 原田は無言だった。

 わたしは目をそらさずに原田をじっと見つめた。原田も目をそらさなかった。まるで睨めっこでもしているかのように、ただお互いの顔を見ていた。原田の目には困惑の色が浮かんだままだった。


 わたしは、原田がわたしを見る目は嫌悪や侮蔑以外の何でもないはずだとずっと思い込んでいた。

 でも、実際は違った。

 原田自身も悩んでいる。

 わたしと同じで、どうしたらいいか分からなくて困っている。


 小学校時代、わたしは確かに被害者だった。

 正当ないじめなんてこの世に存在しない。

 原田がわたしにしたことは間違っていたと思う気持ちに、変わりはない。


 でも、中学に入ってからはどうだったろう。中3で同じクラスになってからは――。

 わたしも原田を無視した。どっちが先に無視したのかなんて分からない。知らないうちに、わたしも原田を傷つけていたかもしれない。


 ほんの少しの勇気。

 目を合わせる勇気。

 それさえあればもっと早く気付いていた。


 力一杯人を殴ったら自分の手も傷つく。痛みを感じなかったとしたらそれは痛覚が麻痺しているから。

 同じように、言葉で人を傷ついたらきっと自分自身の心も傷つけているはず。もし、痛みを感じなかったとしたらそれは心が麻痺しているから。


 原田の目には『痛み』があった。

 原田の心は麻痺してなんかいなかったんだ。


 心がすっと軽くなった。

 がんじがらめに縛り付けていた鎖がぷつりと切れたような開放感を感じた。


 原田の表情が変化した。困惑を通りすぎて、混乱しているようだ。

 どうしてだろうと考えて気付いた。

 わたしは笑っていたのだ。

 心の底から、晴れ晴れとした気持ちで微笑むわたしに、原田は混乱したのだ。


「原田」


 原田がわずがに身体をこわばらせた。


 あの日の放課後、わたしは勇気の出し方を間違っていた。

 いや、勇気を出し切れていなかった。


 求めてばかりだったわたし。

 相手の動きを見るまで、自分から動こうとしなかったわたし。

 傷つくのがこわくて、逆に人を傷つけていたわたし。

 相手の答えを聞くまで自分の答えを見つけようとしなかった。

 でも、もう待たない。

 原田がどう思おうとわたしの気持ちは一つだ。


 わたしは、あの日わたしが言うべきだった言葉を口にした。


「原田、わたしはもう、嫌いじゃないよ」


 自分の声ではないように聞こえた。

 強がりじゃない、本心からの言葉。

 わたしは、こんなふうに話すことが出来たんだ。


 原田は一瞬何を言われたのか分からなかったようで、眉間にしわをよせた。

 そして、その意味に気付き、目を大きく見開いた。

 そんな様子を見て、わたしはもう一度笑った。

 体育館では2組の練習が終わったのか、ざわざわとし出した。

 そろそろ、わたしたちも準備をしなくてはいけない。

 わたしは原田を見たまま一歩後ずさった。


「頑張ろうね、明日。絶対成功させよう」

 原田はまだ信じられないという顔をしていた。

 言うことは言った。

 わたしは満足げにうなずくと、体育館の方へきびすを返した。


 ジュリエットの気持ちが分かった今、早く演じたくて仕方がない。

 ラストの台詞のあと、ジュリエットがどうなったのか。

 落とした短剣を拾って自殺したのか。

 それともロレンス神父に見つかって、罪を認めて処罰をうけたのか。

 それは観客の想像にゆだねた。

 わたしの言葉を、どう受け取るかも、原田にまかせる。


 足取りは軽く、昨日までの憂鬱感は嘘みたいだ。

 田中月夜として、原田陽介に立ち向かった。

 今度はジュリエットの番。

 頑張ろう、ジュリエット。



 いざ、体育館へ入ろうとしたその時だった。


「田中!」


 一瞬、使命を果たした充実感から幻聴でも聞いたかと思った。

 立ち止まって後ろを振り返ると、原田がさっきと同じ場所に同じ体勢で立っていた。

 やっぱり幻聴かな。

 首をかしげて前を向こうとしたら、原田がもう一度「田中」と呼んだ。


 今度はわたしが驚く番だった。原田に名前を呼ばれたのは何年ぶりだろう。

 いや、名前どころか、最後に話しかけられたのも遠い記憶の彼方だ。

 原田は動かなかった。わたしも動かなかった。

 体育館から教室に帰っていく2組の子たちが、ただならぬ雰囲気のわたしたちを横目で見ながら通りすぎてゆく。

 原田は気まずそうにちょっと下を向いたけど、すぐに顔を上げるとわたしを見た。


「頑張ろう」


 たった一言だった。

 大きくも小さくもない声。

 それでも、わたしにとっては大きな意味のある一言だった。

 原田にとって、わたしはもう「いない」存在ではない。

 もしかしたら、嫌いでもないかもしれない。


 わたしを嫌いじゃない原田。

 原田を嫌いじゃないわたし。


 当たり前だと思っていたことは、こんなに簡単に変えることが出来るんだ。

 わたしはずっと「過去」に縛られていた。

 過ぎ去った過去を変えたくて仕方なかった。

 過去は変えられない。

 でも、「今」は変えることが出来る。

 ほんの些細な言葉一つで、ちょっとした勇気一つで。


 自分の口元が、自然とゆるんでいくのが分かる。

 わたしは、右手をぎゅっと握りしめた。





「うん、頑張ろう!」





(3章了)



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