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キライな人  作者: 太陽
第3章 ジュリエットの気持ち
36/43

5-2

 原田は、昔からぶっきらぼうだったけど、基本的には優しいヤツだった。

 前にりえちゃんが言っていたこともまるっきり的はずれという訳ではないのだ。

 誰か困っている人がいればさりげなく手を貸して見返りを求めたりしない。

 そういうヤツだ。


 わたしは小5の時、木から落っこちて気を失ったことがある。

 そもそもなんで木になんか登ったかというと、学級劇で使う衣装を風で飛ばされてしまって、それが木にひっかかってしまったのだ。あいにく近くに人はいなくて、自分で登って取るしかなかった。取ることは取れたのだけど、足を踏み外して真っ逆さま。それほど高いところから落ちた訳ではなかったから、大けがはしなかったけど、落ちてからしばらくの記憶がわたしにはない。



 気付くと、誰かに肩を支えられて歩いていた。頭はくらくらするし、目の前は最後に見た木の葉の緑色がちらついていて、視界がはっきりしなかった。

 あの時の記憶はひどく曖昧だったけど、ただ、肩を支えてくれている手の甲にあった2つのほくろがぼやけた視界に何度も映ったことだけははっきりと覚えている。


 保健室の前に来ると、その子は手を放して無言で立ち去ってしまった。

 わたしはお礼を言おうと思ったけれど、まだ体がふらふらして素早く動くことが出来ず、なんとか壁で体を支えて振り返った時には姿は見えなくなっていた。

 後日、理科の実験の時、原田の手の甲にあの時見たほくろとそっくり同じものを発見した時は驚いた。普段格好つけている原田の不器用な優しさに、心惹かれた。


 金村さんにあの頃の話をした時、いじめのはじまった日、わたしと原田は「たまたま目があった」と言った。

 でも、本当は違う。目があったのは偶然ではなかった。

 あの頃わたしは、よく原田の方を見ていた。

 5年が終わって、小6になって、それでもあの時のお礼は言えなくて。

 初めは、お礼を言いたいだけだったけど、だんだん、見つめることが目的になっていた。

 いつも目で追って、遠くから見つめることに喜びを感じていた。

 目があっても不思議ではなかったのだ。


「見るなよ」


 あの瞬間に受けた衝撃は並々ならぬものだった。

 相手が原田じゃなかったら、わたしはあんなに気にしなかったかもしれない。

 実際、今にして思えば、原田がやっていたことはそれ自体は大したことではなかったのだ。

 別の人から受けたものだったら、「ガキだな」と思って軽く受け流せたかもしれないものだった。


 でも、相手が原田だったから。

 大好きな人だったから、辛かった。


 好きな人に悪口を言われること。

 無視されること。

 バカにして笑われること。


 すべてのことが辛かった。


 なんで、なんで、と考えても心当たりはまったくなくて。

 原田は優しい人だから、そんな原田がわたしを嫌うからには何かわたしに否があるに違いない。でも、何が悪いのか分からない。分かれば直しようもあるけど、何が原田の気に障ったのか分からないわたしは直すことも出来ない。


 そうなると、出来ることなんて限られていた。

 そう、わたしの中では選択肢は二つしかなかった。


 一つは、嫌われていてもいいから好きで居続ける。

 もう一つは、どうせ嫌われているのならわたしも嫌いになる。


 乱暴に思うかもしれないけど、わたしはこの二つしか思い浮かばなかった。

 そして、結局わたしは後者を選んだ。「好き」という気持ちで両想いになれないのなら、「嫌い」という気持ちで両想いになろう、そう思った。


 その選択が間違っていたのかもしれない。

 でも、あの頃のわたしは前者を選ぶ勇気がなかった。好きな人に嫌われていることも、自分を嫌っている人を好きでいることも、どちらも人が想像する以上に心の負担が大きいのだ。


 わたしは自分に言い聞かせた。

 わたしは原田が嫌いなんだと。


 人間の思い込みと言うのは、案外バカに出来ない。毎日自分に言い聞かせ、友達に公言することで、次第に本当に嫌いなような気になってくる。心の底から原田を憎んで、「なんであんなヤツ好きだったんだろう」と思うようになるのに時間はかからなかった。


 ただ、わたしの嫌いという気持ちはしょせん後づけでしかない。

 わたしが原田を嫌いな理由――、いじめられていたからとか、彼の人格とか、そんなものではない。

 原田がわたしを嫌っているから。それだけでしかない。


 好きな人に嫌われた、その事実から逃げるためにわたしは原田を嫌いでなければならなかった。無駄にプライドが高かったんだ。

 わたしも原田が嫌い――、その思い込みだけを支えに、わたしはあのいじめを耐え抜いた。

 格好悪くて、情けない、わたしの過去……。



『ジュリエットの気持ちを考える参考になるかと思って……』


 ……ならないよ、金村さん。

 だって、わたしが原田を嫌いな理由は、

「原田がわたしを嫌いだから」なんだもの。

 原田がわたしを嫌いだったから、わたしも嫌いだった。

 こんなのなんの参考にもならないよ……。嫌いだから嫌いなんて……。





 その時、何かがひらめいた。




 『嫌いだから嫌い』




 わたしは慌てて飛び起きると、机の近くまで飛んでいた台本を拾い上げた。

 そして、ベッドの上に正座すると何かにとりつかれたかのようにページをめくった。


 舞踏会で出会った二人。

 ロミオに笑いかけるジュリエット。

 ジュリエットを睨みつけるロミオ。


『失礼な人ね』


 ロミオとは反対に優しく接してくれたマキューシオに惹かれるジュリエット。

 そんなジュリエットを軽蔑の目で見るロミオ。


『嘘よ、あの人がロミオだなんて!』

『俺とジュリエットが結婚?馬鹿な!』


 そして、バルコニーで一人愚痴をこぼすジュリエット。

 それを聞いて怒りを覚え嫌みを言うロミオ。

 言い返すジュリエット。

 立ち去るロミオ。

 その背中に向かってつぶやくジュリエット。


『大嫌い…あなたなんか大っ嫌いよ』





 そうか……もしかして。

 わたしははやる気持ちを抑えながらさらにページをめくった。


『ああ、ティボルト。あなたは優しいのね。それに引き替えロミオは……。あの人はわたくしを愛していない。ううん、憎んでいるの。あの人との婚約は間違っていたのかしら?』

『あなたが嫌いよ。この世で、誰よりも、一番……大嫌い』

『嫌いだから嫌いなのよ!理由なんてそれだけで十分だわ』





 今までに起こった様々なこと、生まれた感情、言われた言葉……いろんなものが頭の中を一気に駆けめぐった。


 小5の時触れた原田の優しさ。

 小6のあの日の衝撃。

 自分に言い聞かせた絶望の日々。

 くじを引き当てた時の逃げ出したいような衝動。

 鏡の前で演じた醜いわたし。

 みじめだったあの日の放課後。

 美砂にした八つ当たり。

 そして、金村さんと神くんに言われた、言葉。



 ……分かってしまった。ジュリエットの気持ち。


 わたしはとんでもない思い違いをしていた。

 劇のメッセージ性そのものをくつがえしてしまう突飛な解釈だと思う。

 でも……、これならすべてに説明がつく。


 なんて悲しい人なんだろう、ジュリエットは。

 愚かで、過激で、思い込みが激しくて、負けず嫌いで、利己的――。

 でも、誰よりも一途だった。


 たしかにこれは悲劇だ。

 素直になれないその性格のせいで、自分で可能性をつぶしてしまった女性の悲しい物語だ。

 ジュリエットには他の道もあったはずだ。

 だけど自分が可愛くて、相手に真っ正面から当たって砕けることができなかった。

 みじめな思いをしたくなくて、無様で醜い方法に出た。

 ……わたしと一緒。何もかも、わたしと一緒だ。


『原田くんは、田中さんが思ってるほど田中さんのこと嫌いじゃないと思う』

『陽介も知ってるよ。田中さんがいいヤツだってこと』


 わずかな可能性……。

 わたしはまだ間に合うかもしれない。


 ジュリエット、あなたが本当に望んだのはあんな結末ではなかったんだよね。


 わたしは、ジュリエットの二の舞になってはいけない。

 わたしは、今度こそ逃げない。

 だから原田……、



 あなたも、逃げないで。




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