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キライな人  作者: 太陽
第3章 ジュリエットの気持ち
26/43

2ー1



 6日前、金村さんからラストシーンについての提案があった。ジュリエットがロミオに思いの丈をぶちまけるシーン。ロミオもジュリエットに、自分の気持ちをすべてさらけ出す、言葉通りの「クライマックス」。

 金村さんは、ここのシーンの練習は舞台練習までしないと言った。


 実はこのシーン、ずいぶん前から一向に練習にとりかかる気配がなくて気にしていた。ロミオとジュリエットが初めて真っ正面から向き合う、つまりわたしと原田が唯一接触する場面だ。だから出来ることならなるべく先延ばしにしたかったし、金村さんもその辺はよく心得ていて、他の人には上手く言い訳をして夏休み中には一度も練習することはなかった。


 それでも、いくらなんでも本番3日前まで練習しないと言うのは無謀すぎる。

 なんと言っても劇はラストが肝心だ。一応『ロミオとジュリエット』を下敷きにしているとは言え、8割方創作に近いこの劇が、成功するか失敗するかは、このクライマックスにかかっている。

 わたしのわがままで劇全体を台無しにする訳にはいかない。

 劇をはじめたばかりの頃は、原田の隣に立つだけで震えそうになっていたけど、今では大分免疫がついてきた。今なら2人だけのシーンだって乗り切れそうな気がした。


 だから、金村さんには「気を遣わなくてもいい」と言ったのだけど、彼女は「違うの」と言って、首を横に振った。


「これが最善だと思うから、こう決めたの。妥協してる訳ではないよ」

「でも……」


 金村さんはわたしの言葉をさえぎった。


「田中さんは『怖さ』に馴れることが出来ないタイプなんだと思う。むしろその逆。繰り返せば繰り返すほど恐怖心が増して、悪い方へ悪い方へ考えてしまう――そうじゃない?」


 たしかに、言われてみればそうかもしれない。


「嫌なことはスパッと短期間で終わらせちゃおう。何度も繰り返したところで、成果が出るどころか、泥沼にはまるのが関の山だよ。前の台本の時がそうだったしょ」


 ……まったく返す言葉がない。


「嫌なことが我慢出来るのは『3回』が限度。最小限にとどめるべきだよ」

「でも……練習なしでタイミングをあわせるのは難しいよ。つまったり、台詞がかぶったりするかもしれないし……。たった2回の練習じゃ……」

「大丈夫、大丈夫。田中さんたちなら」


 何を根拠に。


 他の人が言ったのなら、確実にそう罵倒していた。

 不安げなわたしに、金村さんは楽天的に笑って見せた。


「ほらほら、『火事場の馬鹿力』って言葉があるでしょ。人間いざとなったらどうにかなるものだよ。とにかく、ラストシーンは本番3日前の舞台練習まで二人であわせるのはなし!それまでに各自台詞は完璧に覚えること。それと、この時のジュリエットの気持ちを自分なりに考えておくこと。てことで、よろしくね」


 本当に、そんなに上手くいくのだろうか。これまで金村さんの指示に従ってきて、間違えたことは一度もなかったけど、それでも今回ばかりは不安な気持ちが募るばかりだった。


 とりあえず、金村さんの期待に応えるため、家でラストシーンの練習をすることにした。と言っても、夏休みに台本をもらってすぐに毎日台本読みを繰り返していたおかげで、実はもうすでに台詞は頭に入っている。

 わたしは鏡の前に立つと、頭に原田の姿を思い浮かべた。


 愛する人を死に追いやったロミオ。憎くて憎くてたまらないロミオ。とにかく、「嫌い」という感情を前面に押し出して台詞を言った。


 殺したい。


 自分を貶めることになっても、決して許すことが出来ないくらい憎い相手。


 あの頃の――小6の頃の原田の姿を思い出すだけで、感情は膨れあがって、自分でも驚くくらいジュリエットとわたしの心はシンクロした。


 今思えば、鏡の前で意気揚々と罵っている姿は、端から見たらひどく醜かっただろう。

 その時わたしは、自分の姿に酔っていた。今までぶつけることの出来なかった原田への気持ちを全て吐き出せた、その喜びに酔っていた。



 うん、いい感じ。


 わたしは一通り台詞を言い終えると、鏡の自分に向かって満足げに微笑んだ。

 この調子なら今すぐ練習をしても大丈夫なんじゃないかな。明日、金村さんに大丈夫そうだって言ってみよう。

 わたしはそう決心するとベッドにこしかけ、本番の様子を思い浮かべながら台本を初めから黙読しはじめた。


 舞踏会で生まれて初めて感じる淡い恋心。

 それを砕かれた絶望感。

 バルコニーでのロミオとの応酬。

 愛する人の死。

 深い悲しみと憎しみ、そして殺意。


 これまでの練習でのキャストたちの演技を想像しながら、演技の世界に没頭した。

 そして、ラストシーンにさしかかり、最初の台詞にたどり着いた。

 実際にはまだ一度も演じたことのないシーン。本番、目の前にはロミオがいる。大嫌いなロミオ。

 頭に思い浮かべたロミオの姿はもちろん原田陽介。

 初めの台詞はロミオからだ。


『生きていたのか?』


 その時、わたしはあることに気付いて、思わずあっと叫びそうになった。


 大嫌いなロミオ。

 意気揚々とジュリエットを演じる鏡に映った自分の奥に透けて見えていたロミオの姿。

 原田陽介の姿。

 でもそれは、小6の時の原田陽介だった。


 わたしは頭を振ると、気持ちを落ちつかせてもう一度イメージし直した。

 目の前にいるのは原田陽介。中学3年生の、「今」の原田陽介。


『生きていたのか?』

「あなたの方だったの……」

『何?』

「あなたが生き残ったのね?ティボルトは……あなたを殺さなかったのね……」


『……お前のしわざだったのか!お前が仕組んでティボルトを?』


「そうよ!あなたを殺してもらおうと、死んだふりをしたのよ。ティボルトはわたくしを愛している。わたくしが死んだと聞けば必ずここへ来ると思ったわ。だからあなたに手紙を出してここで2人が鉢合わせするように仕組んだのよ。あなたは来るはずだから。ティボルトを愛しているあなたは絶対に来るはずだから」


『そこまで知っていて……。なぜだ、なぜそこまで俺を憎む』

「あなたはマキューシオを殺した!」

『確かにマキューシオは死んだ。でも、殺したのは俺か?あの時戦っていたのはティボルトだ』

「本当はあなたが戦うはずだった。そうでしょう?ティボルトはあなたに戦いを挑んだはずよ。なのにあなたは逃げた。あなたが戦っていれば、マキューシオは死ななかった」

『好きな相手と戦える訳がないだろう』

「それだけじゃない。あなたはティボルトを愛するあまり、ティボルトを庇った。マキューシオはティボルトを庇ったあなたの脇の下から刺されたと聞いたわ。あなたが殺したも同然だわ」

『……それは』


「あなたはあの時死ぬはずだったのよ。たとえあなたが死なずにティボルトが死んでいたとしても、あなたは殺人犯として街を追われていた。死ぬのはあなたかティボルト、どちらかでしかなかったはずなのよ。なのに……、なんでマキューシオが死ぬのよ。そんな筋書き、わたくしの頭には一行もなかったのよ」


『……なんだって?もしかして、あの時の決闘も、お前が仕組んだのか。お前がティボルトをけしかけたのか』


「……」


『答えろ。返答次第では生かしはしないぞ』



 ここで、ロミオはジュリエットに剣を向ける。

 そして、たっぷり間を開けてジュリエットは微笑むのだ。



「そうよ」


『なぜ……、なぜ、そうまでして俺を殺そうとするんだ。なぜだ、答えろ!』


 そう迫るロミオに、ジュリエットは真顔で答える。



「あなたが、嫌いだから」



 ……あれ?



 小6の原田を想像していた時、この台詞を言うのはとても気持ちよかった。

 微笑んですらいたかもしれない。

 なのに今の原田を思い浮かべると、なんでこんなに胸がざわつくの?


「あなたが嫌いだから」


 もう一度、強い口調で言ってみた。

 台詞が空滑りしているのが自分でも分かった。

 すごく、痛々しい……。

 口調が強い分、余計に強がっているようにしか聞こえない。


 おかしい。


 原田はわたしが嫌い。わたしは原田が嫌い。

 それは変わらない事実。

 あの頃ははっきりと断言できた、『原田が嫌い』だと。

 あの頃と変わらず、今でも原田が嫌いなんだから、ためらう必要なんてないのに……。


 「嫌い」だと言えるはずなのに…… 。




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