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キライな人  作者: 太陽
第2章 ロミオの戸惑い
21/43

5-1


 今日の5時間目の授業は国語だった。


 先週作らされた俳句の発表をするらしく、ランダムにあてられた生徒が一人ずつ前に出ては下手くそな俳句を披露している。どうせ全員発表しなくちゃいけないのだから名簿か席順であてればいいのに、なんでこんな面倒くさいシステムをとったかと言うと、順番にあてると発表者以外は内職するからだそうだ。


 先生も分かってないな。突然その場で詠むならともかく、あらかじめ用意している俳句を詠むのに緊張なんかしない。ましてや、クラスメートは別のことで頭がいっぱいでろくに聞いてやしないのだから、なおさらだ。あたったその時さえしのげれば、あとは楽しい内職、もしくはお昼寝の時間だ。もっと経験を積んでから出直すんだな、新米先生よ。

 俺は3番目にあてられていたから、もはやすることもないと窓の外をぼんやりと眺めることにした。


 9月に入って、8月の暑さが嘘のように涼しい毎日が続いている。

 北国は、これだからいい。たとえ1年の半分が雪に覆われて寒さに耐えなくてはいけないとは言っても、春と秋の快適さを思えばそんなものたいした苦にならない。わずかに開いている窓からは涼しげな秋風が入り込んでいる。


 窓の向こうは、ほとんど快晴と言ってもいいくらい澄み切った青空。

 1つ2つしかない雲がゆっくり流れていく。

 風のおもむくまま、大きさや形を変えていく雲。


 俺は小さい頃、雲の上を歩くのが夢だった。

 こんな話をすると笑われるから誰にも話したことはないけど、風に流されるままに姿を変える雲に乗ったらきっとスリリングで面白いんだろうと思っていたのだ。もちろん今では雲は水蒸気が集まったもので乗るどころか触ることすら出来ないことを知っているけど、こうして眺めているとあの頃のわくわくした気持ちを思い出す。

 そう言えば、あの頃は、なぜかスイカが怖かったな。緑と黒の皮と、中身の赤がグロテスクにでも見えていたのだろうか。スイカのなにがそんな怖かったのかさっぱり思い出せない。子どもと言うのは不可解なものだ。


 不可解……。


『ジュリエットってなんでロミオのこと憎んでる訳?』


 そうだ、10年前の自分の気持ちすら分からないんだから、他人の気持ちなんてそう簡単に分かるものではない。ましてや、女。しかも劇の登場人物の気持ちなんて分かるものか。


 あの後、俺はやいやいとうるさいカイたちに曖昧な相づちを打ちながら、台本を読み直した。それで分かったことは一つ。台本を読んだだけでは、ジュリエットの気持ちは分からないと言うこと。演技から推し量ろうにも、肝心のラストシーンはしばらく練習はない。


 一度気になり出すと頭も胸もモヤモヤして気持ちが悪い。


 なんでジュリエットはロミオを?

 嫉妬だとばかり思っていたけど、どうやらそれは違うようだし。

 じゃあ、なんで?

 うーん……。


 って、なんで俺はこんなことばっかり考えてるんだ!


 ただ雲を見ていただけだと言うのに、なぜか意識は劇の方へいってしまう。たとえ主役なんかに持ち上げられようとも、こんな面倒くさいことに本気で関わるつもりは毛頭ないのに。

 ロミオ役からは逃げられない。そうなると必然的に練習も出なくてはいけない。でも、練習以外の時間まで劇に支配されるつもりはさらさらないのだ。


 もうやめだ。ジュリエットがロミオをどう思おうがどうでもいいじゃないか。俺の知ったことか。

 俺は劇のことをきれいさっぱり忘れて寝てしまおうと顔を机にふせようとした。



「次、田中さん」

「はい」


 劇の練習のせいで、最近やけに耳慣れしてしまった田中の声が廊下側から聞こえた。

 がたんと椅子を引く音がする。

 俺はゆっくりと顔を上げた。

 小柄で華奢な田中が、ノートを手に教卓の前に立った。


 田中の容姿でまず一番初めに目がいくのは、なんと言ってもまっすぐな黒髪。ストレートパーマをかけている訳ではなく、天然の直毛らしいが、それをあごのラインでまっすぐ切りそろえていて、まるで市松人形のようだ。

 次に目を引くのは、インドア派だと一目で分かる白すぎる肌。目は一重まぶたで、眼鏡のせいか、真面目で大人しそうな印象を与える。まっすぐな黒髪、白い肌、一重まぶた……まるで平安貴族みたいだ。


 こんなにまじまじと田中を見つめたのは何年ぶりだろう。いつからだろうか、絶対に俺の方を見ないと確信出来る、こんな機会でもないと、俺は田中の顔を見ることが出来なくなっていた。



 おそらく、後ろめたさが原因だと思う。

 あの「涙事件」以降も、「格好悪い」、ただそれだけの理由でいじめをやめられなかった自分。

 中学に上がって、クラスも別れて、過去を清算する絶好のチャンスだったと言うのに、俺は廊下ですれ違うと必ず、通り過ぎざまに田中に「キモイ」と言った。小6の時のダチが一緒だったからだ。悪口を言い続けることが果たして格好いいことなのか、なんであの時疑問に思わなかったのか不思議だ。とにかく会えば悪口を言ってしまうのだから、俺はなるべくあいつに会わないように気をつけることにした。


 努力のかいがあってか、中2の時はほとんど顔をあわすことがなかった。その頃には小6時代のダチも俺と田中の確執なんて忘れていたし、俺もだんだんとあいつの存在を忘れかけていた。実際、もう一度同じクラスにならなければ、「そんなヤツもいたな」と思いながら卒業することが出来ただろう。

 でも、現実はそう甘くなかった。



 3年のクラス発表で田中が同じクラスになったと知った時、「やっちまったな」という気持ちと「なんでいまさら」という気持ちがごちゃまぜになって俺を襲ってきた。


 俺は同じクラスになったヤツらと談笑しながら、クラス割の紙を見上げる田中を横目でそっと盗み見た。

 那須と同じクラスだと喜んで笑っていた田中の顔が突然固まった。細い目はだんだんと大きく開いていき、横いっぱいに広げて笑っていた口元は小さくしぼんでいく。そしてその口が「うそ」と動いた。

 田中はじっと睨みつけるように紙を見つめていた。

 その表情は驚愕だったのか、怯えだったのか……。

 俺の中では終わっていた田中と俺の関係。

 田中の中ではまったく終わっていなかったのだと知った。


 終わりにしてしまいたいという俺の気持ちはただのエゴでしかなくて、あいつは今でも傷を負っている。

 俺がはじめたゲーム。

 飽きて勝手にやめてしまったゲーム。

 田中は俺がむりやり引っ張り上げたゲーム盤の上に一人取り残され、次は何が待ち受けているのかとじっと順番をまっている。

 俺がサイコロをふればゲームは再開だ。

 田中は俺がサイコロをふるのを、今か今かと怯えながら待っている。


 ……ああ、そうか。


 俺は唐突に気付いた。

 なんで田中の顔を見られないのか。


 俺はサイコロをふりたくないのだ。

 でも、あいつと目があって、その時あいつの顔に怯えた小6のあいつを見つけてしまったら、俺はゲームを再開させなくてはならない。……きっと、再開させてしまう。


 だから見ないのだ。

 見なければ、俺はあいつを傷つけた過去から逃げることが出来る。


 どこまでもエゴイスティックだ……。




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