降嫁当日・夜
もらった火は部屋に付いてすぐ消してしまい、また猫の姿になる。
魔女だからだろう、シャリは夜目が利くのだ。
それに猫になれば、服を汚さなくて済む。
後はもう眠るだけのはずだから、問題はないはずだ。
いつもの習慣で今日の空はどうだろうかと、シャリは外を見た。
当たり前だが、王宮の部屋から見える景色とは違う。
同じなのは空が頭上にある事だ。
昼食を食べた後、物凄く心身が満ちていた。
今日はあとどれくらい変化していられるだろうか、という気持ちもあった。
たぶん眠っている間に解けてしまうだろうが、一人と一匹なら、一緒に寝るという言葉も抵抗がない……気がする。
夜空を見つめていたら、もう早くも今日は眠たくなって来た。
本当は人目があって緊張して自覚がなかっただけで、夕食の時間には既に眠かったのかも知れない。
ところが……。
「まぁっ。真っ暗ではありませんか……っ」
ユイナが驚いた調子で部屋に入って来て、シャリはハッと睡魔から引き戻された。
カジュ家の面々での話も終わったらしい。
「……それで。なぜ貴女はまた猫の姿なのです、シャリエゼーラ?」
二人で来たという事は、まだ何かあるのだろうかといぶかしんだシャリに、ゴトルーが悪巧みを考え付いた様な表情を向けていた。
シャリが故意に聞き流している言葉の数々よりも、そんな表情の方が似合っていて……何を言い出すのかが恐ろしい。
「その姿ならちょうどいい。風呂ですから、一緒に入りましょう」
「……?」
お風呂?
何だろうとシャリが首を傾げる一方、咎める様にユイナが。
「ゴトルー様っ」
「これくらい許せ、ユイナ。獣姦の趣味はない」
「ご、ご……っ」
狼狽し、声を失った。
そんなユイナを置き去りにし、
「さぁ、行きましょうか」
素早くシャリを抱き上げて、ゴトルーが歩き出した。
ゴトルーは黒を気安く持ち過ぎだとシャリは思う。
そうして連れて行かれた場所は湯気が籠った小さなタイル張りの小部屋だった。
「少し待っていて下さい」
「……」
ここがお風呂。
その床に一度下されて、ここは何だろうとシャリが戸惑っていると、ゴトルーが入って来た。
灯り一つの薄暗い中だったが、全裸になっているゴトルーをシャリはしっかり見てしまった。
「さて、お湯を掛けますよ」
「……?」
ゴトルーの楽しそうな声と同時に、足先へとお湯が掛った。
熱くもない、冷たくもない、温かい。
カジュ家ではお茶も料理も、温かかった。
動かずにいたら、体全体にお湯が掛けられる。
「目を閉じて」
そして言われるままにすると、一層そっと頭にも掛けられた。
「まだ開けないで」
始め耳と頭の上、それから額に、眉毛と瞼。
小さくシャカシャカという音と共に、頬や口の周りをゴトルーが触れていく。
「はい。もう一度、顔にお湯。……もうちょっと」
何をされているのだろうとは思ったが、それが嫌な事だとは思わなかった。
「今、拭きます。……大丈夫ですか? 顔はお終いで、次は体」
優しくお湯を拭き取ってもらい、恐る恐る目を開くと、床に白い泡とお湯とが一緒に流れている。
そして良い花の香りがして、シャリは思い出した。
お風呂という名前は知らなかったし、こんな小部屋ではなかったが、裸の人間とお湯と泡と香りの光景を見た事がある。
細やかな泡で足や背中にお腹、……え? え?? と抵抗する間もなく、あっちやこっちやも洗われてしまった。
そしてお湯。
「……」
……何もなかった事にしよう。
シャリは体を震わせて、お湯を飛ばした。
それを見て、ゴトルーが笑いながら言う。
「もう少しだけ待って下さい。他家ではどうか知らないが、我が家ではまずこうして体を洗ってから、湯船に入るのです。
王都も水は豊かですが、残念ながらターブと違って温泉がない。一人一人お湯を沸かして、溜め直すのも面倒なので」
温泉?
また知らない言葉が出て来た。
湯船はシャリの目には小さな低い壁に見える。
それにしてもこんな小部屋に、裸の男と魔女という構図はマズイのではなかろうか?
だからユイナはあんな調子だったのかと、今更思った。
やはり自分の事は一人ではなく、一匹に換算しておこう。
「さて、お待たせしました。入りましょう。溺れないで下さいね……?」
掬い上げられたシャリはゴトルーの胸にしっかりと抱かれて、小さな低い壁の中へ一緒に入った。
中にもお湯が入っており、温かかった。
気持ち良くて、思わず吐息が漏れる。
温かくて、それからその中でゴトルーに撫でられて、そういえばお風呂の前から眠かったんだと思い出した。
いつしかシャリは大きな肩口に頭を預け、瞼を落としていた。
前話で「留まってくれるだけでいい」と言っていたゴトルーですが、早くも前言撤回です。