約束
攫われた女の辿る道として……。
攫った相手に犯された。
いや、犯される前に。
いやいや、やはり状況を利用して、存分に肉欲を満たした後で相手を呪い殺した。
とにかくシャリを攫った架空の誘拐犯は、生きたまま使い魔に食われた、激痛苦痛を伴いながら塵にされた等々と実しやかに囁かれている。
それは予想通りだったのだが、結果的にシャリを助けた事になっているゴトルーの話題も上がってしまっていた。
王都から見て北西に位置する国境にターブ地方があり、隣国との小競り合いに勝利し、一代限りの爵位を与えられた。
家名はカジュ。
一代限りの男爵なので、あくまでも領地ではないが、元々ショウプという地区の名士であるらしい。
つい最近、国王への謁見に訪れ、その実戦経験を見習い騎士に伝え指導する為、王都に残っている大男。
まるで見えないが、三十一歳独身。
だが、一代限りの爵位というせいで女性達の口は厳しく、ゴトルーは生粋の貴族ではない田舎者。
だから魔女など助ける気になったのだ、と悪く言われている。
本物の姫君を救い出していたなら、きっと誉め称えられているだろうに、シャリは申し訳ない気分でいっぱいだった。
王宮内に流れている今回の件の噂話は粗方聞けた。
シャリはお気に入りの場所に出向いてみる事にした。
ゴトルーも来ているだろうか?
もし来ているなら、謝りたいと思う。
だから足はあの場所を目指していたが、実際にゴトルーの姿を目にした途端、ウッと立ち止まってしまった。
今後の事を考えるなら、例え猫の姿だろうが、接触はしない方がいいに決まっているからだ。
シャリが回れ右をしなかったのは、瞬間ゴトルーが逃げたら捕まえるまで追い掛け回してやる的な気配を発したからだ。
逃げるだけならシャリの方が断然有利なのだが、その光景を誰かに見られるのは絶対にマズイ。
何より、その気配。
ゴトルーが怖いと思ったのは始めてだった。
だが会うのは二回目で、時間も短い。
だからきっとシャリは、ゴトルーのほんの一面しか知らないのだろう。
「余計な体力を使わずに済みました」
横に座ったシャリに、ゴトルーがそう言うのを聞いて、先程の気配が自分の気のせいなんかではなかったと知る。
残念ながら動物に変化している時、それに見合った声しか出せないが、シャリは謝罪を込めて一言鳴いた。
それはちゃんとゴトルーに伝わったらしい。
「大丈夫です。貴女の噂に比べれば、事実ですから」
それでもやっぱり……と思っていると、ゴトルーが続けて言う。
「聖水漬けにされたり、聖言攻めにされたりという事もありません。ちょっとした有名人気分です」
全くそうは見えないが、もしかしたらゴトルーにすると、軽口か冗談のつもりだったのだろうか。
「きっと別れ際の態度も良かったのでしょう。だから私の事で貴女が気に病む必要はありませんよ」
ゴトルーの言葉は優しくて、きっと元の姿であってもシャリは何も言えなかったに違いない。
ゴトルーが悪し様に言われるのは絶対に間違っている。
これ以上はもう。
ここに長居は無用だと改めて思い、シャリが立ち上がろうとした途端、ゴトルーにまさかの先手を打たれてしまう。
「そんなに人目に付きたくないのでしたら、横ではなく……ここに」
「……っ?」
そして軽々と抱え上げられたかと思ったら、胡坐の上にシャリは乗せられていた。
確かにゴトルーの大きな背で陰になっている分、いい場所なのかも知れないが。
だからってどうなのだろう、ここは……。
しかし飛び下り様にもゴトルーの手の内でもがくだけという結果に終わる。
シャリは抗議の声を上げた。
「大丈夫ですよ。ここへ人が来ないのは貴女もよくご存知のはずだ。もちろんちゃんと警戒はしておきます。これ以上暴れるなら、抱き締めてしまいましょうか」
それもいいですね……とゴトルーが言いながら、片手でシャリの動きを封じつつ、もう一方の空いた手で毛を撫で始める。
シャリの元の姿は人とほぼ変わらないのだが、もしかするとゴトルーの目には猫としか映っていないのかも知れない。
いや、きっとそうだ。
そうでなければ、元の姿で今の状態を想像すると非常に恥ずかしい。
今は撫でられるままにしてゴトルーを安心させておいて、鳥か、もしくは小さい鼠にでもなって手から逃れれば……。
そう考えつつもゴトルーの手は心地好く……駄目これじゃこの前と同じ……だと抗おうにも襲って来る睡魔には勝てず、シャリの瞼はいつしか落ちた。
……
…………
………………声が聞こえる。
頬を撫でられて、くすぐったい。
なぜ?
ようやく深く眠れそうなところなのに。
「……下さい。起きて」
「ッ!」
今、耳に。
息が、掛った。
低い声が直に鼓膜を刺激し、シャリは一気に覚醒した。
既にゴトルーの顔は間近になかったが、まじまじと見つめる。
「休憩時間が終わりそうです。……あぁ、随分アッサリ退かれてしまったな」
そんな残念そうな声を出されても、終わりなら仕方がないだろう。
「そうですね。ついこの前サボったばかりなのに、立て続けというのはさすがによろしくない。では、また」
「……」
「また、ですからね」
念を押されてしまった。
去って行くゴトルーの後ろ姿を見つつ、元の姿以外の時でも意思を伝えられたらいいのにとシャリは始めて思った。
ゴトルーの脳内でシャリは元の姿かも。