家
それから数ヵ月後、シャリは王都を離れる事になった。
年に数回行われているターブ地方の見回り時期が迫っている為。
そして生まれ育ったショウプの方がゴトルーの魔女を封じる力が安定するだろうという事で、シャリも一緒に行けたのだ。
ターブ地方には集落が点在しており、いくつかの集落をまとめて何々地区と呼ばれ、その地区ごとの代表者が見回りに参加している。
見回りは言葉通りに見て回るのだが、時にターブ以外の者が建てた小屋を発見する事があれば、それを燃やし。
歯向かって来る山賊や不審者がいればそれを殺し。
そして各所各所にターブ地方の旗を立てる。
今回からは国から正式に騎士が随行する様になり、国旗をも立てる事となった。
ゴトルーが国に献上した地図及びそのルート検証を任されたのは、ビスである。
結局ニコとビスは元の姿のシャリに会った後も、鍛錬場での言葉通りに希望を出し続けたのだ。
元の姿で顔を合わせた後のニコは一層喜々としていた気がする。
魔女付き騎士の決定打にニコが出して来たのは、魔女と使い魔に対して友好的に接し、人間との間に波風を立て難くする。
そしてゴトルーが居ない時にいざ魔女が完全な魔と化した時には、その身を持って封じるという事だった。
鍛錬場で使い魔がニコに抱き付かれて悲鳴を上げた、もしくは触れられ様とするたびに逃げていたという見習い騎士達の証言があり。
つまりニコは魔女が苦手とする身体を持っていると、結論付けられたのだ。
少し遡って、ニコとビスが魔女付き騎士へと本決定した日。
「魔が苦手とするのって、やっぱ聖だよね~っ。アタシってばもしかして聖女様?」
「貴様のどこがだ」
笑みで形相を崩したニコが言った言葉に、ビスは冷たく言い返していたけれど。
黒なんかへ、これほど呆気らかんと抱き付こうとして来るニコにこそ、聖女という言葉は相応しいとシャリは思ったものだ。
なのでその時、その場が鍛錬場だった為に、猫の姿で下からニコを見上げてしまい。
「ま。待って待って、シャリちゃん。今のはただの冗談だからっ! ビスの反応の方がまだ正しいからっ! そんなキラキラした目で見つめられると……アタシ……っっ」
と、飛び付いて来たニコを咄嗟に避けなくてはならないという事もあった。
ニコが他意なく、ただの可愛さからこうしてくれているのは分かっているのだが、相変わらずどうしても体が逃げてしまう。
勢いよく追われ、その条件反射として逃げる、そんな感じだ。
喧嘩を売られれば受けて立つというのに、きっとシャリは天邪鬼なのだろう。
「くっ。諦めないわよ。これでず~っと一緒だもんね、シャリちゃんっっ」
ニコがいらない闘志を燃やした。
「お前も大変だろうが……いや、別に心配はしてないぞ……だが何だ? え~っとだな? 俺共々よろしく頼む。そういう事だ」
「ちょっ。何、綺麗にまとめてんのよ、ビスの癖にっ!」
「貴様こそ聞き捨てならんぞ、ニコ。ビスの癖にとは何だ、癖に、とはっ!」
という一幕も越えて……。
賑やかになると思われた、ターブ地方への道のりは意外と静かだった。
ニコとビス、そして特にシャリが王都から出た事がなかったせいだ。
基本的にシャリは鳥の姿をとっている為、魔女を乗せているとされる馬車の中身はカラだった。
ついに王都から飛び立ったのだと、シャリは大空を翔けるのに夢中になってしまい、途中何度も離れ過ぎだと呼び戻されながら、ショウプの家に辿り着いた。
基本的にユイナ・ホルマ・サッドが世話を焼いてくれるのは一緒なのだが、ターブの見回りの件以外にも家族や知人やらがやって来たりと、王都の屋敷に比べて人の出入りが多い。
ニコとビスはカジュ家の面々に付いて回り、それらの人々と顔合わせをしたり、日々の雑務を覚えているらしい。
ショウプに来た当初はシャリも大人しく、こっそりとその様子を眺めているだけだったが、結局新たな縄張りを見聞しついでに、本物の犬猫とやり合い、ターブの空を飛んで回った。
王都とは違う、ターブの大自然はシャリの魔力と上手く調和しており、変化時間が更に伸びている。
そして気が付けば飛び過ぎて、うっかり夕暮れになる事があり、そうすると一同の怖い顔がシャリを待ち構えている羽目になった。
そうして外へ出ているうちに、シャリはターブでは黒以外にも怖れられているものがある事を知った。
山や川、大自然への畏怖。
それに付随する木霊や濃霧、岩陰に隠れ、目に見えなくても昔から存在すると信じられているモノ達。
そんな言い伝えの中に魔女も含まれていたのだが、それより何より、自分達の居場所を荒す輩共という明確な敵がいた。
ターブの人々が黒に対してどんな反応をするのか、魔女を連れ帰ったゴトルーが何か言われてしまうのではないかと、当初シャリは気懸かりだった。
それと同様にターブの人々も魔女という響きが不吉なものに思えて、不安だったらしい。
しかし実際目にして見れば……輩共に比べ、魔女は全く害がない。
王都からやって来た、二人の騎士は何ら魔女に対して警戒していない。
何より黒への怖れよりも、これまで率先してターブを守って来たゴトルーへの信頼の方が大きく上回っている様で。
シャリは確かに黒いものではあるが、あのゴトルーがついに迎えた花嫁として、まずショウプの人々に、最終的にはターブ一帯で落ち着いてしまった。
それを肌で感じ、シャリも大っぴらに……といっても大概において猫の姿でだが……ニコやビスの真似をして、カジュ家の面々に付いて回った。
しかも今回は、ゴトルーの見回り仕事にも連れて来てもらう事が出来た。
シャリとしてはそんなつもりはないのだが、放って置くといつか本当にそのまま帰って来ないのではないかと、相変わらずゴトルーに思われているらしく、それで見回り同行に許可が出たのだ。
「……ところで、シャリ」
夢にまで見たとは大袈裟かも知れないが、ゴトルーの肩口に後頭部を預けながら、猫の姿でシャリは温泉にぷかぷかと浮かんでいた。
確かに観光案内書に出ていた様に、普通のお湯よりも温泉の方が滑らかで優しく思える。
「ここは王都の屋敷とは違って充分余裕がありますから、元の姿で入った方が気持ちがいいですよ?」
「っっ!?!?!?」
その言葉を聞いて、シャリは危うく温泉で溺れ掛けた。
たぶん咄嗟にゴトルーが引き上げてくれていなければ、確実にそうなっていただろう。
王都で一緒に入っている時から、猫の姿なのだから深くは考えない、そしてゴトルーも考えていないと自己暗示を掛け、すっかりくつろいでいたのだが、それを一気に解かれた気分だった。
元の姿という事は、ゴトルーは端からそうではあるが、二人で全裸になるわけであり。
その状態であちこちキスをされたり触られたりすると、シャリは変になってしまうのだ。
それはつまり、ベットの上でしている様な事をお風呂でも……?
無理、絶対に無理っ!
ここはお風呂で、安らぐべき場所のはずだっ!
シャリは断固拒否を示すべく、首を何度も大きく横に振った。
けれど一旦は残念そうな表情をしたゴトルーが、段々獰猛そうな顔付へと変わる様をシャリは見たのだった。