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「何?」

 めいっぱい手を伸ばせば届きそうな距離まで近付いてきて、倉元美月が刺の付いた声で言った。

 近くで見るとなお美人だ。そしてなお恐ろしい。明らかに怒っている。この世のすべてを憎むような、怒りに満ちた目。

「や、いや、あの……」

 言葉が出ない。

 どうしよう、どうしよう。

「あ、あの、私、入宮……入宮小夜子。小さい夜に、子供の子って書いて、小夜子。中学三年生」

 恐怖に貫かれて体じゅうが痺れたようになりながら、どうにかこうにか開いた口からようやく飛び出た言葉は、自分でも呆れるほど事務的な自己紹介だった。

 倉元美月は刺すような目で私を睨んだまま、何の反応も示さない。怒っているのだろうか。あるいは(いぶか)しんでいるのだろうか。ただ困惑しているだけかもしれない。

 繋ぐ言葉を探しあぐねて私の方も黙ってしまったので、非常に気まずい沈黙が二人の間に流れた。

「……学校なら、行かねぇよ」

 この妙な状況から早く抜け出したかったのか、倉元美月は黙ったままの私の心を強引に推し量り、質問より先に回答してきた。

 そのまま(きびす)を返して帰っていきそうになるのを、もう一度呼び止めた。

「待って、倉元さん!」

 今度ははっきりと舌打ちが聞こえた。立ち止まったが、こちらに背を向けたまま振り返りはしない。

 長い金髪を真後ろから見つめる格好となった。離れて見るとギラギラと光る濃い金色にしか見えなかったが、こうして近くで見てみると、淡いクリーム色のように見える。彼女のイメージにそぐわないほど優しい色合い。少しウェーブがかっているが、これは天然だろうか? 春風に揺られて波打つさまは、シャンプーのテレビCMみたいでとても画になるな、なんて呑気に思った。しかしこの髪は、校則違反だ。

 恐怖の感情はまだあったが、体を縛っていた痺れはいつの間にか解けていた。

 彼女の方から『学校』という言葉が出たために、私は自身の存在意義を取り戻せたのかもしれない。

 同じクラスの学級委員として、天文部の部長として、この問題児にきっぱりと言ってやらなければ。

「学校、来なきゃダメだよ。みんな心配してるから」

 風は止んだが、長い金髪はわずかに震えて鮮やかな色を散らした。

「部活だってそうだよ。倉元さん、天文部なんでしょ? まだ籍は置かれたままなんだよ。知ってた? 私は天文部の部長だから、倉元さんのことずっと気にかけてたんだよ。部員のみんなも倉元さんが来るのを待ってるし、顧問の竹田先生も心配してたんだよ?」

 破れかぶれみたいに説教を始めてしまったことに、誰よりも自分が驚く。

 倉元美月の背中は黙ったままだ。金髪だけが今も静かに揺れている。

「みんな待ってるんだよ、倉元さんが来てくれるのを」

 私は、卑怯だな。つい数日前の竹田先生との会話の際に、彼女だけを省いた『みんな』という語を安っぽく連発して、今は彼女を説き下そうとしている。

「ねえ、倉元さん……」

 何度も呼びかけるが、私は本当の意味で彼女を心配しているわけでも何でもない。ただ、『私が倉元美月を登校させた』という実績を作りたいだけなのだろう。そうすれば、私はもっと理想に近付ける。真面目で、優しくて、人のためになる行いを繰り返す、誰よりも良い子……。

 私はそういう人間になりたい。いや、ならなければいけないんだ。あの人のために。私の大好きな、祖父のために。

「おじいちゃん……」

「は!?」

 ついこぼれてしまった言葉に反応して、倉元美月がものすごい速さで振り向いた。

「えっ」

「いや……えっ!?」

 彼女の顔からは、今は怒りではなくただただ困惑の感情だけが見いだせた。

「い、今まで色んな悪口を言われてきたけど、『おじいちゃん』って言われたのはさすがに初めてだよ……」

「ち、違うの! 倉元さんに言ったんじゃないの!」

「二人しかいないのに、じゃあ誰に言ったんだよ……」

 そう言って、倉元美月は整った顔を綻ばせて――笑った。

 その直後に、ハッとしたように笑顔を収めて、また顔を背け、「もういいよ」と小さく呟いて去ろうとする。私に笑顔を見られたことが、まずいことででもあるかのような態度だった。

 私は直感した。

 彼女も、演じているんだ。私と同じように、()()()()()()()()()()()()()()。理想像は、正反対のようだけど。

「待って、倉元さん!」

 何度目かの呼びかけ。

 でも、今回は違う。先ほどまでの義務感に囚われた形式的な呼びかけではない。

 本当に、私は彼女のことが知りたいと思った。これだけタイプが正反対だから、仲良くなることは無理だろうけど、でも、それでも。

「どうして、学校に来ないの?」

 あまりにも直球すぎる、不躾な質問だと分かっている。それでも、知りたかった。

「倉元さんって、美人だし、すごく目立つから、群がってくる周りの人たちのことを見下してるんじゃないかなって気がするの。でも、みんなそれぞれ良いところがあって――」

「うるせぇな!」

 彼女の声の鋭さに、背筋が急激に冷えた。

 ああ、やってしまった。明らかに失敗した。

 不意に見えた笑顔のせいで、距離を詰められるんじゃないかと勘違いして、踏み込みすぎてしまったんだ。今度こそ、本当に怒らせてしまった。

「逆だよ。あたしが見下してるんじゃない。周りの連中があたしのことを見下してるんだよ」

 少し強い風が吹いた。髪がはらはらとほどけたように舞う。束になると綺麗な金色も、一本一本に分かれてしまえば、もう色なんて分からない。

「あたしは、お前たちとは……違うから」

 倉元さんの声は震えていた。

 か細く揺れて、今にも散ってしまいそうな声。

 彼女が演じてきたはずの鮮やかな色が、今はもう見えない。

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