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それから三日後の土曜日のお昼過ぎ、私は家から自転車を漕いで町外れの小高い丘へとやって来ていた。
『星見ヶ丘』という名称が正式な地名なのか、地域の者たちに慣例的に呼ばれているだけの愛称のようなものなのかは知らないが、ともかくその名のとおり、星を見るには町で最善のスポットであることは間違いなかった。
天体観測の邪魔になる電柱や木立などもなく、視界は綺麗に開けている。町の中心部に面した北側は、夜になると街灯や町明かりが騒々しく輝くが、翻って南向きに立てばたちまち余計な光は視界から遠退き、星だけが煌めく深奥なる世界を地上の私たちに届けてくれるのだ。
私はこの丘が好きだ。この丘から見る星空が好きだ。けれど私にとってこの丘は、ただ天体観測をする上で便利なだけの場所などではなかった。私にとってこの丘は……。
いや、ダメだ。余計なことは考えないようにしよう。
つい思考が後ろの方へと引きずられそうになってしまうのを、大きく頭を振って強引に前へと戻す。
今日私がここへ来たのは、来月天文部で予定されている天体観測の下見のためだ。
この丘はやや変わった地形をしており、北側は緩やかな坂道を経て町中へと続いているが、南側は切り立った崖になっている。天体観測の際には町明かりが障害となるので、星見ヶ丘の中でもとくに『星見』に適したスポットは、その崖に近い南側の方ということになる。
必然、安全面の考慮が必須事項となるわけで、わざわざ下見に来たのはそのためだ。
と言っても私にとっては昔から何度も来ている場所なので、実状は知っていた。
崖際には鉄製のポールが打ち付けられており、その間をロープが上下二重に張られている上に、その手前には柵代わりの小さな木枠が組まれているので、意図的に乗り越えていかない限り誤って落ちるなどということはまずない。実際、ここから落ちた人がいるなどという話も聞いたことがない。今回の下見は形式的なものでしかないのだ。
それにしても……と、あたりを見回す。
土曜日のお昼時だと言うのに、人っ子一人見当たらない。
ここには公園と違って遊具のようなものはないし、景観が良いわけでもないのでピクニックをするにも不向きなのだろうか。
なにせ目に入るものと言えば古びた公衆便所の小屋だけだから、これではロマンチックさの欠片もない。天体観測は夜の冷え込む時間帯に屋外で行うものだから、近くにトイレがあるのもその際には有り難いのだが。
つくづくこの丘は、他の何にも向いていないが星を見ることだけには最適な場所、と言えるわけで、なるほど星見ヶ丘という名が付けられたのも納得だ。などと考えていると、その公衆便所の方からこちらを見ている人影に気付いた。
誰もいないと思ったのに、そんなところに人がいたのか。
気まずくなってすぐに視線を逸らそうとしたが、その人の髪が太陽を浴びてあまりに綺麗に光ったので、つい見とれてしまった。
金髪。
腰まで届く、長い金髪。
目の焦点がその人影に結ばれて、私の瞳の中で次第に鮮明な容姿が形作られていく。
力強い瞳。そのすぐ上を鋭く走る眉。高く通った鼻筋。シャープな顎のライン。白く透き通る肌。長い手足。
すべてが映画の女優さんのように美しくて、すべてが見覚えのある美しさだった。
「……く、倉元さん…………」
間違いなく、倉元美月だった。どうして、こんなところに。
彼女も明らかに私を見ている。その射抜くような瞳で、私の正体を暴き立てでもするかのように、じっとこちらを見ている。
怖い。逃げ出したい。絶対に、私が関わるべきではない相手だ。学年きっての問題児。手が付けられないほどの不良。
なぜ、私を見ているのだろう。怖い……。
数分……と感じたのは私の感覚の迷いで、実際には数秒だけだったのかもしれないが、こちらを睨み付けていた倉元美月は、突然興味をなくしたようにぷいっと顔を背けて、丘の北側、町へ続く坂の方へと帰っていった。
ああ、やっと去ってくれた。ほっと胸を撫で下ろす。
私は『優等生』として、あんな不良とは関わり合いになるべきではないのだ。『優等生』として……。
そこまで考えた時、自分でも信じられないことに、ほとんど無意識のうちに私は声をあげていた。
「待って、倉元さん!」
自分で出した声に、自分で驚いた。何をしているんだ、私は。
去りかけていた倉元美月は振り返ってこちらをギロリと睨み付けてくる。
なぜ今自分が彼女を呼び止めたのか、自分でも分からない。パニック寸前の頭で必死に考えて、ようやく思い出した。私は彼女と話さなければならないのだ。竹田先生にそう頼まれたのだった。
私が『優等生』であるためには、あの約束を反古にするわけにはいかない。そんな潜在的な意識が、頭より先に口を動かしたのだろうか。
呼ぶだけ呼んで固まったままの私の方へ、倉元美月は怒りに満ちたような目をギラギラさせて、ゆっくりと近付いてくる。
ああ、どうしよう。泣きそう。




