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私がいつまでも帰ってこないことを両親が心配して警察に捜索願いまで出す大騒ぎになっていたと知ったのは、夜の十一時を過ぎて帰宅した時だった。
その時家にいたのは母だけだった。警察には『あなた方は家にいてください』と言われたが、父は我慢出来ずに車を走らせて私を探しに行った……ということらしいが、一体どこへ行ったのだろうか。
母はとくに事情を聞かなかった。「早くお風呂入りなさい」とだけ言った。秋の夜寒に冷えた体を温めてから居間に戻ると、父が帰ってきていた。
父は私を見るなり、「小夜子ぉ!」と叫んで泣きだしてしまった。
父が泣くのを見るのは初めてなので驚いたが、その瞬間に私もつられて泣いてしまって、「お父さぁん!」と言いながら抱き付いた。「大丈夫か? 怪我はないか?」と尋ねてくる父の顔は涙でびしょびしょになっていて、お父さんの方こそ大丈夫? と聞きたくなったが、それを抑えて「うん、うん」とだけ言った。
座椅子に座って静かに私たちのやり取りを見ていた母も、いつの間にか目に涙を浮かべていた。
そしてようやく、あの時の喧嘩が私への愛情ゆえのものであったことに気付いた。
結局、両親からの追及を受けることはなく、その日は眠りに付いたが、問題は翌日の学校だった。
朝起きてまずスマートフォンを開き、美月にメッセージを送る。
『おはよう』
『おはよう』
あっという間に返事が来る。意外と早起きだな。そして以前は『うん』としか返してこなかったのに、『おはよう』と返してくれたことにジーンとする。子供が初めて喋った時、親はこんな感覚なんだろうか。
それから両親にも挨拶して、朝食を取る。母も父も普段と変わらない様子に戻っていたことが、何だかとても安心出来て、有り難かった。
家を出る十分前にインターホンが鳴らされて、母が応対した。こんな時間に来客とは珍しい。
少しして私の部屋に来た母が、「小夜子、お友達」と言った。
わけも分からぬまま出てみると、そこには美月の姿があった。
「おはよ……」
しっかり制服を来て鞄も持った美月が、照れくさそうに挨拶してくれた。
「おはよう美月。迎えに来てくれたの? ありがと!」
「べつに……道、途中だし」
相変わらず素直じゃないな。
「ごめん、もうちょっとだけ待っててくれる? 五分で用意する」
「ん」
急いで支度していると、母が声をかけてきた。
「さっきの子……」
そう言えば両親に美月のことはほとんど話していなかった。やっぱりあの髪はインパクトがあるから、何か誤解されるだろうか。
「あの、最近友達になった子で、見た目は派手だけど、すごく良い子で……」
「クッキーの子?」
「え? ああ、そうだよ。よく分かったね」
「じゃ、あんたの親友だ」
母は事もなげに言いきった。
「……なんで、知ってるの?」
「そりゃ分かるわよ。あの時から夏休みの間まで、あんたすっごく楽しそうにしてたから。お父さんでさえ気付いてたよ。最近良い友達が出来たのかって」
私は何だか恥ずかしくなって、「もう遅刻しちゃう。早く出なきゃ。行ってきます!」と言って、逃げるように家を出た。
しかし家の外で待っているはずの美月が見当たらない。まさか先に行ってしまった……? と思ったら、電信柱の陰に隠れていた。
「……何してんの?」
「いや、なんか……人、いたから」
「そりゃいるよ。朝は人通りが多いからね」
まったく、こんなことで学校生活が営めるのだろうか。
なんて、人の心配をしている場合ではない。私こそ、学校に着けば嫌でも遥香ちゃんや寺嶋さんと会わなければならない。二人だけじゃなく、全員に冷ややかな目で見られることは覚悟している。それだけのことを、私はしたのだから。
学校へと近付くにつれて緊張してきたが、隣に美月がいてくれるというだけで、ちょっとした勇気のようなものが湧いてきた。
教室の前まで来て、少し立ち止まる。深呼吸する。美月の方を見ると、黙って頷いてくれた。
うん、ありがとう。もう大丈夫。
意を決して、扉を開ける。
クラスメイトたちの視線が私に集まる。真っ先に声をかけてきたのは、遥香ちゃんだった。
「小夜子ちゃん! 大丈夫!? もうしんどくない?」
……え?
「う、うん。……もう、大丈夫」
「良かった! ほんとに、無理しちゃダメだよ?」
「うん……」
どうやら、私はとんだ勘違いをしていたらしい。
後から本人にも直接聞いたのだが、遥香ちゃんがあの時先生を呼んだのは、私のカンニングを告発するためなどではなく、私が例の症状を発症して肩で息をしているのを見て、体調不良だと思ったかららしい。私が寺嶋さんの答案を盗み見ようとして前のめりになっていたのも、ただ倒れ込んでいるように見えたそうだ。
おそらく他の人たちにもカンニングはバレておらず、母に伝えられた連絡というのも、体調不良で倒れたということだったのだろう。喧嘩の際の『小夜子は限界だった~』という言葉も、そういう意味だったのか。
もちろん、私がカンニングをしようとしたことは事実だから、バレていなくても罪は罪だ。せめてものケジメとして、寺嶋さんにはそれを伝えようと思った。
「え、ええ……? そうなんだ……」
寺嶋さんは明らかに困惑していた。そんなことを直接伝えられても……という感じだろうか。
「本当に、ごめんなさい!」
それでも私は、深々と頭を下げた。ある意味ではこれも自分本位な行為なのかもしれないが、私の中でこの件に何かしらのけりを付けなければ、前を向いて生きられないと思った。
「プレッシャーとかもあるし、追い詰められると自分を見失っちゃいそうになるよね。私もちょっと、その気持ち分かるかも」
寺嶋さんは穏やかに寄り添ってくれたが、それは単なる同情というだけでなく、やはり彼女にもそういった苦しみが少なからずあるのだろう。
私たちは、皆それぞれの孤独や苦難を抱えている。
私も美月も、寺嶋さんも、遥香ちゃんも、私を怒鳴り付けてきたあの子だって。
そういった苦しみと戦いながら、もがきながら、生きているのだろう。
一度はこの世界のすべてを憎んで、死んでしまおうとまで思ったからこそ、私は、人の不安や悲しみに気付ける人間になりたい。今度こそ、偽りではなく、本当の優しさを手に入れたい。どれだけ時間がかかるか分からないけれど、いつかは、きっと。
それはそうと、私の目前には大変な困難が迫っていた。中間テストは二日間日程なので、今日もまだ続くのである。その上昨日のテストは中止扱いとなったので、再テストの日程が組まれており、今度こそ自力であの難問を解かなければならない。
絶望的な状況だったが、いざ受けてみると思ったよりは答えられた。あのストレスによる靄がなくなり、頭がスッキリしたおかげだろうか。そこまで高い点数は望めそうもないが、一問も分からなかった昨日に比べると大した前進である。ここから改めて勉強を頑張れば、元々の志望校にも挑めるかもしれない。
「美月はどうだった? テスト、解けた?」
一緒に帰ろうと誘ってくれた遥香ちゃんたちに断りを入れて、美月と二人で帰った道の途中、自然とそんな話題になった。
「んん、まぁ、あんなもんだろ」
……人のことは言えないけど、大丈夫かな?
「そんなことよりさ」
そんなこと?
「あたし、中学卒業したら、引っ越すんだよね」
「えっ」




