30
星見ヶ丘にはいつものように人影一つ見当たらず、快晴の空から降る陽射しが荒れた地面をキラキラと彩るさまが、かえってこの場所の寂しさを誇張させているようだったが、今の私にはそれがどこか心地よく感じられた。
木枠を乗り越え、ロープの先の崖を見下ろす。
本当に高い。町からここへはだらだらと長い上り坂が続くだけなのに、ここまでたどり着くと一気に垂直に真下まで落ちる地形は、私の人生そのものじゃないかと気付いて、口から乾いた笑いが漏れた。
何度も星を見るためにやって来たこの場所に、今は死ぬために来たのだ。私が祖父を殺したのもある意味ではこの場所だったから、私の死に場所には相応しいのかもしれない。
私のことを大切に想ってくれる人など、もうこの世に誰一人いない。生きている意味が何一つない。
しかしいざロープを跨いで崖際まで行こうとすると、心臓が破裂しそうなぐらい激しく騒ぎだして、どうしても足が進まない。
臆病者。生きる意味などないのに、死ぬのも怖いのか。自分は祖父を殺したくせに。
そうだ、遺書を書こう。
ふとそう思い立って、鞄からノートと筆記具を取り出し、まだ飛び降りないことの言い訳をするように、じっくりと時間をかけて文面を考えた。
『お母さん、お父さん、ごめんなさい。私は生まれてくるべきではありませんでした。邪魔な私が死んだ後、二人が仲直りしてくれることを祈っています。それから、私と仲良くしてくれた友達に、私を慕ってくれた後輩たちに、私を信頼してくれた先生方に、心から謝りたいです。私は、あなたたちが信じてくれたような人ではありません。私は、』
視界が滲んで見えなくなってくる。ノートが雨粒を受けたように濡れた。だけど空は悲しいほど晴れわたっている。
これだけ晴れていたら、夜は星が綺麗だろうな。今日は満月だから小さな星は見えづらいかもしれないけれど、それなら月見をすれば良い。そうだ、せっかく星見ヶ丘に来たんだ。どうせなら夜までここにいて、星を見て、それから死のう。
それから死のう。
陽はゆっくりと沈んでいき、町がオレンジ色の夕焼けに染められて、それから夜が近付いて、家々の明かりが灯りはじめたころには、美しい満月が空の中ほどまで上っていた。
私の人生も、あと少し。まさか十五年で終わるとは思わなかったな。
この広い空の下で、何もかもを失って、本当に一人きり。私は静かに月を眺めて、心が完全に落ち着くのを待っていた。
もうじき死ねる、もうじき死ねる。さあ、今行くんだ! ロープを跨いで、もう一歩進むんだ!
自分に対して号令をかけるように、心の中で叫ぶ。
足が震えている。やっぱり怖い。怖くて仕方がない。でも、やらなきゃ。生きるわけにはいかないんだから。
目を閉じて、大きく息を吸い込んで、気を落ち着かせる。そして――。
「小夜子……?」
後ろから声がした。
振り向かなくても分かる。
この声。私の人生の中で最も美しく輝くひと夏に、毎日聞いたあの声。
「何してんだよ」
なんで今来るの。どうしてこんなところに。どうして、あなたはいつも……。
「ねえ、美月。私、もう、ダメみたい」
振り向いてはいけない。決心が鈍るから。
分かっているのに、私は振り向いてしまった。
美月。いつもどおりの美月だ。私の、一番の親友。
「美月!」
その姿を見た途端、懸命に抑え続けてきた感情が決壊して、涙がボロボロと流れてきた。
「助けて……助けて美月!」
もつれる足を必死に動かして彼女の元まで走った。そして抱き付いて、わんわんと泣いた。
「美月、美月! 私の、一番の親友! 美月だけだよ、私のことを見捨てないでいてくれるのは……!」
泣きながら、私は叫んだ。
なぜ今まで忘れていたんだろう。世間での評価がどうであれ、美月には関係ないことじゃないか。私がカンニングしようが、それがバレて評判を落とそうが、そんなことで美月は私を嫌いになったりしない。そもそもカンニングの件を知りもしないだろう。何があっても美月だけは、私の味方に違いない。
「美月!」
強く、強く、抱き付いた。この手が振りほどかれることはないと信じた。なぜなら私たちは、親友だから。
そして私の思う『友情』がどれほど身勝手で独りよがりのものだったか、次の瞬間に知った。
「さわるな!」
叫ぶと同時に、美月は私の両肩を叩き付けるように押してきた。
私はそのまま後ろに倒れ込む。
「……え?」
呆然として、尻もちをついたまま美月を見上げる。
金色の髪が、月明かりに照らされて輝いている。
「美月……? な、なんで、こんなことするの……?」
美月は……泣いていた。




