27
「美月……?」
私が来るのを待ち構えていたのだろう。美月は静かに近付いてきて、目も合わせずに、
「……友達は、一緒じゃないのか」
風にさらわれてしまいそうなほど小さな声で聞いてきた。
「みんな先に帰ったよ」
美月と会話をするのは始業式の日以来だ。
「……あの、あたしも、今から帰る」
そんな当たり前のことを、さも重大な告白をするかのような重々しい口調で言う。
「美月。……私のこと、待ってたの?」
「……べつに」
別にって、なんだ。
明らかに私を待ち伏せしていたくせに。
まったく、美月らしいな……と普段なら微笑ましく思うところだが、今の私には、その無意味に意地を張ったような態度が妙に苛立たしく感じられてしまう。
これ以上会話すると余計に腹が立ちそうなので、黙って歩きだす。美月も何も言わずに付いてくる。
私たちは黙々と歩いた。
星見ヶ丘で初めて会った日、私が美月の後ろを付いて歩いたことを思い出す。あの時とは、何もかもが違う。私たちの関係も、周囲の目も、空の景色も。何もかもが、違って見える。
やがて私の家が見えてきた。美月の家はここからさらに北へ十分ほど歩いたところにある。ここで挨拶をして別れよう。
私は振り向いた。後ろをとぼとぼ歩いていた美月は、はっとしたように立ち止まる。
「じゃあね。バイバイ」
美月はなぜか強ばった表情で私のことを黙って見つめてくる。
私はまた、イラッとした。
挨拶ぐらいすれば良いのに。そういう普通のことが、どうして出来ないのだろう。
返事が来ないなら、仕方がない。
私は美月に背を向け、再び家へ向かって歩きだす。
「さ、小夜子」
今さら声が飛んでくる。
「何?」
私は振り向きもせず、わざとぶっきらぼうに返す。いつまでもこんな無駄なやり取りはしていられない。早く家に帰って勉強をしなくては。
「これ……」
鞄をごそごそして何かを取り出すような音が聞こえた。
「お前に、教えてほしくて……」
教えてほしい? 勉強の話だろうか。それなら……と、後ろを振り返った。
美月の手には、一冊の本。しかしそれは教科書や参考書の類いではなかった。
表情を隠すように顔の前に掲げた表紙には、紫色の背景に黄色い大文字で『星座の覚え方・見つけ方』と書かれていた。
星座の本……。美月が自分で買ったのだろうか。いつの間にか彼女も星に興味を持っていた? それは、嬉しい。嬉しいけれど、けれど。
私たちは今、受験を前にした中学三年生だ。とにかく勉強をしなければならない。とくに私は追い詰められている状況だから、あらゆる娯楽を諦めてでも勉強に集中するべき時期なのだ。私にとって最大の娯楽、それは星を見ること。美月と遊び回ったせいで、私はそれを諦めることになったのに、当の美月は勉強よりも『星座の見方を教えてほしい』だなんて……。
「いい加減にしてよ!」
閑静な住宅街に、突然耳をつんざくような叫び声が響いた。
これは、誰の声だろう。美月……ではない。
ああ、そうか。私の声だ。私が叫んだんだ。
「まともに勉強もしないで、遊んでばっかりで! 私がどれだけ苦労してると思ってんの!?」
私は、何を言っているのだろう。
美月が星に興味を持ってくれたのは嬉しい。それなのに、なぜこんなに大きな声で怒鳴り付けているのだろう。
頭の奥の方は落ち着きを保ったまま、自分の言動を冷ややかに見ている。
こんなことは言うべきではない。口を閉じなければ。
「大体、なんで他の子とも仲良くしないの!? みんな美月のこと怖がったり避けたりしてるの、分かってるでしょ!? 睨み付けるのだけでもやめればちょっとは印象も変わるはずなのに、なんでそれすらしないの!?」
どれだけ頭が制しても、口が動くのを止めない。暴力のような鋭い言葉が、とめどなくこの口から流れていく。これでは、私を怒鳴り付けてきたあの子と同じではないか。
おそらく、色々なストレスが積もり積もって、精神的に限界を迎えたのだろう。そして、星座の本を引き金として、心の底に堆積していた鬱憤をすべてこの場で晴らそうとしているのだ。
そこまで冷静に分析出来るのに、口だけはどうしても理性で抑えることが出来ない。
美月はただ呆然としたように私を見ている。
「美月が怖いからって理由で私だけ海に誘われなかったんだよ!? 竹田先生がどれだけ美月のこと心配してたか知らないでしょ!? せめて挨拶ぐらいしたら!?」
絶対に言うべきではないことが、それでも喉の奥の理性を乗り越えて、次々と口から流れ出てくる。話の順序もめちゃくちゃで、防波堤を越えた荒波のように、これまでに感じていた不満がすべて思い付くままに吐き出されていく。
「今日体育で美月と組んだ子、あの後私を呼び出してきて、私のせいで美月と組まされたって怒ってきたんだよ!? なんで私がそんなこと言われなきゃいけないの!?」
なんで私がそんなこと言われなきゃいけないの……きっと美月も今同じことを感じているだろうな。ほとんど八つ当たりでしかない。
分かっている。けれど、止まらない。もうどうしようもない。
「その本だって、学校に余計なもの持ってきちゃダメって何回言えば分かるの!?」
美月は手に持った本を静かに鞄に戻した。
秋の穏やかな陽射しの下で、その手が震えているのがはっきりと見えた。
「……あたしは」
ずっと黙りこくって俯いていた美月が、小さく口を開いた。
「お前とは、違うから」
声もまた、震えていた。
美月は最後にもう一度顔を上げて私を見た。
その表情は……私にははっきりとは読み取れなかった。
怒り、困惑、失望、恐怖。そのどれでもあるようで、どれでもないような表情。
泣いているようにも見えなかったが、泣いていないようにも見えなかった。笑っていないことだけは確かだった。
美月はそのまま黙って歩き去り、私も昂った鼓動をどうにか鎮めながら家に帰った。
帰ってから、自分の言動を心から悔やんだ。
何故、なぜ。あんなことを言ってしまったのか。涙が出てきそうなぐらい苦しかった。
美月。私の一番の親友。
私は本当に最低だ。いくらイライラしていたからといって、あんな言い方は有り得ない。
一晩頭を抱え続けて、勉強どころではなくなってしまった。あんなことを言っておいて、明日からどんな顔をして会えば良いのか、悩みに悩んだ。
しかし結局、その悩みは不要なものとなった。
翌日から、美月は学校に来なくなったから。




