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『学校て何時』
野外活動から一週間ほど過ぎたある日、美月から届いたメッセージにはそんな短い文面だけが記されていた。
私と美月の電波越しのやり取りはいつも、私が一方的に話しかけて、向こうから返事があるとすれば「うん」とか「知らん」とかたった一言の素っ気ないものが返ってくるだけだったので、初めて美月の方から連絡してきたこの一文にはただならぬ意思が込められているような気がして、私は真剣にこの短文の解読に乗り出した。
学校という単語が現れたことは注目に値する。ついに美月が学校に関心を持ったのか。しかし、何時……とは、何がだろう。何を聞いてきているのだろうか。そもそもこれは質問なのだろうか。分からない。
私は探偵業を一分足らずで放棄して、本人に直接問うてみることに決めた。
『何時って、何が?』
すぐに返信が来る。
『朝』
さっきよりも短くなった……。
が、そこで私はピンときた。これは始業時間を聞いてきているのではないか?
毎日学校に通っている者からするとそんなことは常識だが、一年以上も来ていない美月はそれを忘れてしまったのではないだろうか。
『朝の始業時間のこと? 予鈴が8:25に鳴って、8:30から朝礼、8:45から一時間目の授業だよ』
既読マークはあっという間に付いたが、待てど暮らせど返信はなかった。
はたしてあの回答で合っていたのだろうか……という不安は、翌朝八時二十分過ぎに扉を開けて教室へ入ってきた生徒の目映いばかりの金髪を見て、瞬く間に吹き飛んだ。
「美月……!」
教室内の空気がはっきりと変わった。明らかな困惑の声が聞こえる。ちらちらと忍び見る人。目を逸らす人。なぜかニヤニヤと笑いだす人。反応は様々だが、手を上げて歓迎する人は一人もいなかった。
そして私は……固まってしまっていた。今自分がどういった態度を取るべきか、図りかねている。
美月を笑顔で迎えたい。来てくれて嬉しいと、はっきりと伝えたい。けれど……。
もしここで美月の元へと走り寄っていけば、私が築き上げてきた『優等生』のイメージが崩れてしまうのではないか。その懸念が私を硬直させた。
実際はどうあれ、美月は世間的には『不良』の札を付けられている。『不良』と仲良くしているのを知られると、私への心象も大きく変わってしまうのではないか?
このクラスには、ほとんど話したことのない人や、見るからに私とは性格の合わない人もいる。仲の良い子たちばかりの天文部とはわけが違う。
世間体だけを気にして生きてきた私にとって、それを覆される可能性のある一歩は、あまりに遠かった。
美月は入口のところでじっと立ち止まっている。
自分を迎える空気の異様なざわめきに困惑しているのか。ただ単に自分の席がどこか分からないだけか。あるいは……私が来るのを、待っているのか。
あのよそ行きの鋭い目をギラギラと飛ばして教室内を見回している美月と、今ようやく目が合った。
その瞬間、頭で考えるよりも早く、私は立ち上がっていた。
星空よりも遠い一歩を踏み出して、彼女の方へと歩いていく。
皆の視線が私の心身を容赦なく突き刺してくる。
それがどうした。
何を迷うことがあるのか。
世間体がなんだ。優等生のイメージも、不良の札も、私たちには関係ない。
私たちは、友達だから。
扉を開けて入ってきた彼女を笑顔で迎えることに、それ以外の理由が必要なのか。
「おはよう美月! 来てくれたんだね、嬉しいよ!」
わざと周りに聞こえるような大きな声で言う。
美月はよそ行きの顔は崩さずに、恥ずかしそうに目線を逸らして、
「ん」
と小さく返事した。
「ん」って。私がこれだけ勇気を出して、自分の生き方を変えるぐらいの決意で行動したのに、その返事が「ん」って。
でも、そんな仕草にももう慣れた。美月らしさにむしろ安心する。
朝ご飯食べてきた? 教科書持ってきた? と、いつものようにお母さん代わりのおせっかいを焼こうとしたところで、二十五分の予鈴が鳴った。
私は美月の手を引いて、席へと案内する。美月の席は私の斜め後ろだった。
クラス替え直後恒例の出席番号順のまま、席替えはまだ行われていない。『入宮』と『倉元』では自然とこうなる。自分の苗字が恨めしい。なぜ入宮なんだ。私が栗宮だったら美月の真後ろで好きなだけ世話を焼けたのに。
そんなことを考えているうちに担任の先生が教室に入ってきた。美月の姿を見てギョッとしたような反応をする。その様子を見て、教室の後ろの方で誰かがくすくすと笑う。
担任が美月の出席にそれ以上触れなかったことに、私は安堵した。
美月が語ってくれた過去の出来事――教師が彼女を皆の前に立たせて『かわいそうな倉元さん』と呼んだあの一件――が脳裏をよぎったからだ。その教師が悪だとまでは言わないが、やはり配慮に欠けた言動だと思う。もしまた同じことが今この場で行われたら、きっと美月は二度と学校に来なかっただろう。
朝礼が終わると、私はすぐに美月の元へ行く。やはりクラス中の視線がこちらに集まっているのが分かる。
案の定、美月は教科書を持ってきていなかった。ノートもなかった。ビニール製の安っぽいペンケースだけ持ってきていたが、中には黒と赤のマジックが一本ずつあるだけで、鉛筆や消しゴムは一つもなかった。
鞄の中も見せてもらったが、目薬と、箱のティッシュと、料理のレシピ本が入っていた。学校を何だと思っているのだろうか。そして底の方には、スマートフォン。ケースにも入っていない丸裸の状態の。
スマートフォンを学校に持ってきてはいけない決まりだ。レシピ本は前代未聞だと思われるのでルール上どのような位置付けになっているのか知らないが、これも多分ダメだろう。見つかったら没収されるはずだ。
絶対に出しちゃダメだよ、と耳打ちすると、「ん」と返事した。私の言っていることが伝わったかどうか甚だ怪しいが、とりあえず信じることにする。
自分の鉛筆と消しゴムとノートを美月に貸して、チャイムが鳴ると同時に慌ただしく席へ戻る。普段から予備の文房具を持っていて良かった……と胸を撫で下ろしたが、しかし次の休み時間に見に行くと、ノートは真っ白のままである。授業中、一体何をしていたのか。
そんなこんなで、美月の登校初日は、私の精神を著しく疲労困憊させたこと以外には大きなトラブルもなく、無事に放課後を迎えた。




