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「おおお、すごーい!」
美月が持ってきてくれたクッキーは、想像していた以上に厚みがあり、中にチョコチップも入っていて見るからに美味しそうだった。
「アメリカンクッキーだよ。普通のクッキーよりしっとりした食感なんだけど」
家に入った時から香っていた食欲をそそる匂いが、こうして目の前に広げられるともうたまらなくなってくる。
「本当はそれ用のチョコチップが売ってるんだけど、あたしは市販の板チョコを細かくして入れてる。それでもちゃんとモノになってるだろ?」
嬉しそうに解説してくれる美月の顔を見ていると、私も幸せな気持ちになってくる。
お菓子作り、好きなんだろうな。私にとっての星が、美月にとってのクッキーなのかもしれない。私も星に触れている時は楽しくて楽しくて仕方がないから、聞かれてもいないのに語りたくなってしまう気持ちがよく分かる。
「元々あたし一人で食べるつもりだったから、あんまり量はないけど」
その言葉を聞いてはっとする。美月は私の訪問など予期していなかったのだ。時間と労力をかけて焼いて、さあ食べようというタイミングで現れた私は邪魔ではなかっただろうか?
「なんか、クッキーを食べに来たみたいになっちゃったね。大丈夫? 私、空気の読めない来客になってない?」
「今さらそんなこと心配しなくても、初めて会った時からお前一回も空気読めてないぞ」
自覚はあったが、やはりそう思われていたのか……。軽くショックを受ける私に、美月は笑いかける。
「冗談だよ! いいからいいから、はやく食べてくれ」
急かされるがまま、一つ摘まんで口に入れる。美月の顔が少し緊張しているように見える。
アメリカンクッキーは口に入れると見た目以上のボリュームを感じた。そして味は……。
「美味しい!」
美月の顔がパアッと晴れる。
「すごく美味しいよ、美月! ほんとに、クッキー専門店みたいなところで売っててもおかしくないぐらい!」
私はクッキー専門店など行ったことも聞いたこともないが、咄嗟にそんな言葉が出てくるぐらい美味しいと感じたのは事実だ。
「すごいよ美月! どうやって作ったの?」
「ど、どうって……。一言で言えるかよ。基本はレシピどおりだけど、ちょっとしたコツというか、勘みたいなところもあるし」
ニヤニヤしながら美月は答える。見るからに舞い上がっている。
「欲しいならべつに、全部あげるよ。あたしは食べるのより作るのが好きなだけだからな。同じ味にも何回も挑戦してるから、もう食べ飽きてるし」
「ほんとに!? これなら全部食べられそうだよ。あ、出来たら持って帰っても良いかな?」
「べつに良いけど……? 時間が経てば食感とか変わってくるけど、それはそれで美味しいから。食べ比べてみるのも良いかもな」
「ありがとう! お母さんたちにもあげたくって……」
途中で『しまった』と思い、語尾が尻すぼみに小声になっていった。親に関する話は、美月の前ではタブーかもしれない。
「……ん、そっか。だったらもっと作っとけば良かったな」
美月は一瞬微妙な反応をしかけたが、柔らかな語気でそう言ってくれた。美月の方も、私に配慮してくれているのかもしれない。
一つ目を食べ終わり、すぐに二つ目に手を伸ばす。美月はテーブルに片肘を突いて、ずっとニヤニヤしながら私が食べるのを見守っている。
本当に美味しい。どんどん手が伸びる。
三つ目も食べ終え、四つ目まで齧ったところで、美月のニヤニヤが苦笑に変わり、
「おいおい、持って帰るぶんがなくなりそうだぞ」
と言われたところで、私の手はようやく止まった。
しかし美月はやっぱり嬉しそうな顔をしていた。
「ラッピング袋、貰える?」
「え? そんなのない」
こんなに美味しいクッキーを焼けるのに、人にあげるための袋はないなんて……。
「今までずっと、自分で焼いて自分で食べるだけだったから」
「そうなんだ。まあ、趣味なんて自分のためのものだもんね」
「んん。そうだな」
美月はラッピング袋の代わりにタッパーを持ってきてくれた。
「ありがとう。食べ終わったら洗って返しに来るよ」
「べつにわざわざ……」
と言いかけた口をつぐんで、
「……じゃあ、その時は、お前のために焼くよ」
消えそうなほど小さくこぼしたその声を、私は聞き逃さなかった。美月の白い頬がほんのりと赤く染まっていた。室内でも髪の金色は鮮やかに輝いている。
ハーフゆえの美しさ。ハーフゆえの生きづらさ。
美月のことが、もっと知りたい。
「そう言えばさ、さっき家の前で私を呼び止めてくれた時にさ」
「ん?」
「下の名前で、呼んでくれたよね。『小夜子』って」
美月の顔がまた赤くなった。
「うるせぇな。お前が下の名前で呼んでくるからだろ」
「何も照れなくたって良いでしょ。普通だよ、友達なんだから」
美月ははっとしたようにこちらを向く。友達という言葉が聞き慣れないものであるかのように、私の顔をまじまじと見据えて固まってしまった。
今が攻め時だとばかりに、私はスマートフォンを取り出し、美月に尋ねる。
「連絡先、教えてくれない?」
すると美月は面白いぐらい動揺して、「あたしの?」と聞き返してきたので、私は微笑みながら頷く。
美月がラックに積まれた小箱の引き出しを開けて、しばらくごそごそしてからようやく取り出したスマートフォンは、ケースにも入っていないむき出しの状態だった。
たどたどしい手付きで操作しながら、
「あんま分かんないんだよな。普段使わないから」
と嘆くようにこぼした。あんなに取りづらそうなところに置いているぐらいだから、本当に持ち歩く習慣がないのだろう。今時珍しい。
連絡先自体は私の主導によりそつなく交わされたが、名前の入力に美月は手間取っている様子で、
「えーっと……あっ、違う……漢字が……」
などと小声でぶつぶつ呻きながら悪戦苦闘していた。
ようやく入力された文字をそっと覗き込むと、『小夜子』と登録されているのが見えた。『入宮』でもなく、『天体観測の人』でもなく、『やたら話しかけてくるうざい奴』でもなく、『小夜子』と登録してくれたことが、何だか無性に嬉しかった。
「携帯とかさ、たまにパパから連絡が来るぐらいでしか使わないから」
美月は真面目な顔で、これまで触れてこなかった家庭の話をし始めた。
それは端から見れば突然の告白だったかもしれないが、私にはそれは突然などではなく、長い沈黙の末に意を決して語りだしてくれた秘め事のように思えた。
美月はきっと、待っていたのだ。
何年間も、ずっと。
自分が抱えたものの重さを話せる相手との出会いを。自分を友達と呼んでくれる人との出会いを。




