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 地図に従いたどり着いた美月の家は、裏道に面した小さな一軒家で、美月のイメージにそぐわないこじんまりとした地味な佇まいだった。

 はめ殺し窓の外側に据え付けられたおしゃれなクローバー模様の窓飾りが、少し場違いに感じられた。

 小さく深呼吸してから、インターホンを押す。

 ……しばらく待つが、反応がない。

 もう一度押す。

 ……やはり反応はない。

 だんだん不安になってくる。

 美月は、私に家まで来られることをどのように感じるだろうか。私が「お母さん」という言葉を出した時の美月の反応は、明らかな拒絶の意思を表していた。

 美月は家庭事情に触れられたくないのではないか。それなのに、突然ずけずけと家まで来て、私はとんでもなく迷惑なことをしているのではないか。

 インターホンを押しても何の反応もないのは、居留守を使っているのか、本当に留守なのか。親が不在という情報に誤りがなければここには美月しかいないことになるが、日中ふらふら出歩く癖がありそうな彼女が今いるとも限らない。

 もう一度押してみようかと伸ばした手を、黙って下ろす。

 いなければ何度押しても仕方がないし、いるのに出てこないのだとしたら、そういうことなのだろう。

 綺麗に二つ折りにしたプリントをドアポストに入れてから、少し悩んで、野外活動の日程などを書いたメモも一緒に入れた。

 そして私はとぼとぼと来た道を帰っていく。

 本来の目的はこれで果たしたのだ。何も問題はない。何も問題はないけれど。

 ……何だか、馬鹿みたいだな、私。

 たった一日遊んだだけで、美月のことを何でも分かってあげられたつもりでいた。よく考えると、何にも分かっていなかったのに。

 自分でも不思議なくらいに落ち込んでしまう。自分が何に傷付いているのかがはっきりと理解出来ない。

「おい」

 うなだれた首筋に、晩春の陽射しがじりじりと襲いかかる。

「おいってば」

 また、あの長い道を歩いて帰るのか。嫌だな。

「小夜子!」

 え?

 どこからか私を呼ぶ声が聞こえた。幻聴?

「おい、何ぼけっとしてんだよお前」

 ずいぶん口の悪い幻聴だこと。

 後ろから肩を掴まれて、私は振り返った。

「あ、美月……いたんだ」

「いたんだって……」

 美月は呆れたような顔をしている。

「何回呼んでもこっち見ないから、幻覚かと思ったよ」

 向こうも同じようなことを考えていた。

 美月の手には、先ほど私が届けた二枚の紙が握られていた。

「どうせ教師だと思ったから居留守決め込んだのに。名乗ってくれよ」

 私からのメモを見て、わざわざ追いかけてきてくれたんだ。

 よくよく見ると美月の服装は、髪に合わせたような黄色いチェック柄のだぶついた上下……これは明らかにパジャマだ。足元はサンダル。いかにも慌てて出てきたという出で立ちだった。

「ねえ、美月」

「なんだ?」

「かわいいパジャマだね」

 見る見るうちに茹でダコみたいに顔を真っ赤にさせた美月は、

「お前のせいでこんな格好で出てきたんだろ!」

 と声を抑えて叫んだ。美月でも、近所の目は気になるらしい。

「早く帰るぞ!」

 私のブラウスの袖口を控えめな手付きでつまんで引き、家へ招いてくれた。

 こんなに慌てて出てきたというのに鍵はしっかりとかけていたようで、そんなところにも、これまでの美月のイメージとは異なる意外性を感じ取って、新しい一面を知ったようで嬉しくなる。

「おじゃましまーす」

「誰もいないから、かしこまらなくて良いよ」

 玄関扉を開くとすぐに、何やら香ばしい匂いが漂ってくる。

 家の中は奥に細長い造りになっていて、玄関からまっすぐに伸びた廊下がすべての部屋に通じているようだった。

 廊下の左手にはお風呂場とトイレ。右手にも扉が二つ並んでいたが、外から見た建物の形状に当てはめて推察すると、あまり奥行きのある部屋ではないだろう。あるいは物置きかもしれない。そして突き当たりにはリビングキッチンがあり、これがこの家の軸となる部屋のようだった。私はそこに通された。

「あんまり人来ないから、散らかってるけど」

 部屋を遠慮がちに見回してみたが、散らかっていると言うほど散らかってもいない。そもそも物が少ない。テレビも電話もパソコンもない。本棚もないしクローゼットもない。生活感というものがあまり見えない。

「それでお前、なんでここが分かったんだ?」

 グラスに麦茶を入れて持ってきてくれた美月が、真っ先に投げてきた質問はそれだった。

「あ、お茶、ありがとう。……先生に教えてもらったんだよ。進路調査のプリント渡すからーって言って」

 美月に促されて、まだこたつ布団をかけたままのテーブルを二人で囲むように座る。

「進路調査?」

 きょとんとした顔で聞き返される。

「え、入ってたでしょ?」

 美月はもう一度二枚の紙を広げて読む。

「ああ、ほんとだ。部活勧誘の方しか見てなかった」

 と言いながらも、とくにプリントを読もうという気もなさそうで、部屋の隅のラックの上にぽいと投げてしまった。

 というか、『部活勧誘』って。あなたすでに天文部の一員なんですが。

「そう言えば美月って、どうして天文部に入ったの?」

「一番真面目に活動してないだろうと思ったから、楽そうだなって」

 まさかの答えにあんぐりする。

「いや、お前に会って、意外としっかり活動してるんだなって、ちょっと見直したよ」

 すぐにフォローしてくれた。

 実際、天文部の日頃の活動と言えば部室でごろごろしているだけのことが多いので、あまり言い返せない。

 話題を変えようと思い、先ほどから気になっていた匂いについて触れてみる。

「すごく良い匂いがするけど、これって、クッキー? そういう感じの匂いだよね」

 美月はニヤリと笑う。

「お、さすが食い意地張ってんなぁ。大当たりだよ」

 わ、私のどこが食い意地……! と言い返したい気持ち以上に、純粋な好奇心が勝る。

 市販のクッキーの袋を開けても、ここまで香ばしい匂いは漂わない。そしてキッチンの方に目をやると、ボウルと泡立て器が置かれている。

「美月が、作ったの?」

「んん、まぁね……」

 照れたように髪をかき上げながら、しぶしぶといった感じで答える。恥ずかしいから、あまり触れられたくないのかな?

「さっき焼き終わって、今冷ましてるから。あと三十分ぐらいで食べれるけど……」

 あ、違う。これ、触れてほしかったんだ。

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