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 美月と星を見た夜から一週間あまり経った五月の上旬、学校では進路希望調査が行われた。

 私は地元のそれなりの偏差値の高校に挑むことに早くから決めていたので、とくに悩むようなことはなかった。親や先生が勧めてくれた進学先だったから、私にとっては安心して書ける高校名だった。

 周りの子たちは大半が悩んでいたようで、「何も考えていない」と言っている生徒も多かった。

 クラスで一番の秀才の寺嶋(てらしま)さんは、地域で名高い名門校を目標としているらしい。本人は「私の学力で行けるかどうか怪しいけど」と笑っていたが、これは単なる謙遜ではなくて、本当に寺嶋さんでさえここから一年間追い込んで勉強しなければ追い付けないレベルだそうだ。

 世の中にはすごい人が沢山いるんだな、と改めて思う。私は、実はそんなに勉強が得意な方ではない。学校でも家でも真面目に勉強して努力を重ねてきたわりに、成績はせいぜい『クラスで上位』という程度で、一番には決してなれない。天才みたいな人たちが集まる場に乗り込んでいけるような学力は残念ながらなかった。

 でも、それで良かった。私の目指す『優等生』というのは、親や教師に褒められる程度のレベルであれば十分なので、国内屈指の名門大学を目指すとか、年収数千万のエリートになるとか、そんな夢のような話は元々望んでいない。本気で高いレベルの世界に挑もうとしている寺嶋さんのような人には笑われてしまいそうなほど、ちっぽけな望みなのだ。

 良い子でありたい。悪い子になりたくない。十年前から変わらず、私の望みはそれだけだ。

 美月と出会ったあの日、私の人生観に何らかの転機が訪れたような気がしたが、その後も結局家や学校における私の立ち居振る舞いに変化がもたらされることは一切なかった。

 美月の方は、どうだろうか。相変わらず学校には来ていないが、毎日何をしているのだろうか。私との出会いが美月の人生にとって吉となる出来事であったなら良いのだが……。

 あれから美月とは会っていない。連絡先を聞いていないことに気付いたのは、あの晩別れた後だった。家も知らないので、こちらから狙って会いに行くことは難しい。どうにかもう一度会える機会はないだろうか。

 そんなことを考えながら、手元の進路希望調査プリントに目を落として、はっと閃いた。

 あるじゃないか、絶好の口実が。

 終礼後すぐに担任の先生に、「倉元さんにプリントを届けに行きたいです」と掛け合った。担任は竹田先生よりもしっかりしているので、なかなか生徒任せにはしない人だったが、ここでは学級委員という武器が正当に役に立った。

「倉元さんが一度も登校してきていないことを、私も学級委員として心配していますし、自責の念もあって……」

 嘘とも本音とも付かない理由をべたべたと貼り付けて、美月の家を示した地図を貰うに至った。

 それを見て驚いたのは、美月の家は町の北側にあるということだった。星見ヶ丘は町のほぼ南端に位置しているので、ほとんど町一つぶんの距離がある。あの日、ブラブラしていたらあそこにたどり着いたと美月は言っていたが、一体どれだけ歩いたんだろう。どれだけ暇だったんだろう。

 そして、それだけの距離を往復して、時間ぴったりに天体観測に来てくれたことを改めて嬉しく感じた。

 ちなみに美月と二人で会ったことは、先生にも他の友達にも言わなかった。何となく、二人きりの秘密にしておきたかった。


「お母さん。今日ね、進路希望調査があったの。これ、書いてほしいんだけど」

 放課後、家に帰った私は早速母に報告する。

 プリントには保護者記入欄もあった。私の場合は親から勧められた進路だったので何の問題もないが、人によっては親と意見が対立することもあるようだ。

「わたしは良いけどね。今晩お父さんが帰ってきたら一応聞いてみて。どうせ何にも言わないだろうけど」

 母は気だるそうに愚痴っぽく言った。

 その言葉のとおり、父は娘の教育には全く口を出さない主義だった。父は『教育は母親の役割』と決め付けているようで、母はそれが気に入らないらしい。

 私が母の言うことを素直に聞いて、父にも懐いてみせているから、今のところ大事(おおごと)にはなっていないが、夫婦仲は良いとも悪いとも言えない微妙なものだった。

「それでね。前にちょっと話したと思うけど、うちのクラスに不登校の子がいてさ」

「ああ、なんか言ってたわね」

「今からその子にプリント届けに行きたいんだけど、良い? 家が遠いから、ちょっと時間かかるかもしれないけど、なるべく早く帰るようにする」

 中学三年にもなって、外出一つでここまで親の機嫌を窺う子も滅多にいないだろう。他人が見れば不思議な光景かもしれない、という自覚はある。しかし私が自分の心にかけた枷は、私の一挙手一投足すべてを縛り、ほんの些細な反抗の芽も生まれる前に片っ端から摘んでいった。不自由と言えばそうに違いないが、そうしなければ私は生きていけなかった。

「それは良いけど、なんであんたが?」

「学級委員だから、頼まれたの」

 正確には私の方から頼んだわけだが、このぐらいの誇張は許されるだろう。

「行ってきます!」

 語尾まではっきりした大きな声で挨拶して、私は家を出た。

 手に提げたバッグの中には、(くだん)のプリントと、美月の家が書かれた地図と、天文部の野外活動の具体的な日取りなどを記したメモ。

 美月の家へと向かう私の背が、五月の涼しい風にそっと押された。

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