12
「ねえ美月」
「ん?」
「美月はさ、将来何になりたいとか、ある?」
「ない」
あまりの即答に思わず笑ってしまう。
私の星座講義も一段落して、今は二人でのんびりと星を眺めているところだった。
「お前は?」
「私? 私は……やっぱり星にまつわることをしたいなーって思ってるの。天文学科のある大学に入って、そこでいっぱい勉強したいなって」
美月は細い腕を頭の後ろに組んで、ゆっくりと息を吐いた。会話しながらも目線だけは星空を見据え続けている。
「お前ってほんとに星が好きなんだな」
私は「えへへ」と照れ笑いだけして、それ以上は何も言わなかった。
今ここで私の過去のことを……祖父のことを話してしまおうかという思考が一瞬頭をよぎったが、落ち着いてその衝動を胸の奥に抑え込む。
私はこれまで、誰にも祖父の件を話していない。あれから十年が経った今でもまだ、心の底に沈殿したままのあの記憶は、人に簡単に話せるほど掬いやすい感情には変わっていなかった。
「でも」
ぼそっとした低い声を、見上げた先の空へと投げかけるように美月が言う。
「夢があるっていうのは、良いよな……」
大した意味もなく呟いてみただけの一般論のようにも聞こえたし、もっと切実な嘆きのようにも聞こえた。
「そうだね」
当たり障りのない返事をしながら、何となく手持ち無沙汰になった私は、リュックから飲み物を取り出してこれ見よがしに美月に見せびらかす。
グレープフルーツジュースだ。
「なんだ、お前も好きだったのか、それ」
別に好きじゃない。というか飲んだこともない。ここへ来る途中、あの自販機で買ってきたのだ。
「百五十円したの」
「知ってるよ」
ちょっとした意趣返しのつもりで言ってみたが、美月には何の効果もなかったようだ。
しかし、美味しいのだろうか、これ。
キャップを開けて、期待しながら一口飲んでみる。
一口飲んで……吐き出しそうになる。
「に、苦っ!」
私の反応を見て、美月はぶふっと噴き出す。
「え、何これ……こんなに苦いの……?」
美月はまた「あははっ」と高笑いを始めた。
「なんだお前、背伸びしてただけかよ。お子ちゃまだな!」
何か言い返そうとしたが、口の中を襲う強烈な苦味に耐えることに必死でそれどころではなかった。笑いながら手を差しのべてきた美月に無言でジュースのボトルを渡す。美月は平然とごくごく口に流し込み、一気に飲み干してしまった。
「すごい……」
私の純粋な感嘆の声に、また噴き出しそうになりながら、
「べつにすごくねーよ」
と返した美月の口元がほんのりと濡れていることに気付いて、すぐにリュックからハンカチを取り出す。
「飲み跡、付いてるよ。拭いてあげる」
お母さんか私は。
美月は恥ずかしそうにしながら、言われるがまま口を閉じている。意外と素直に感情が顔に出る人だ。口は素直じゃないけれど。
拭き終えたハンカチをリュックに戻して、代わりに小型の懐中電灯と時計を取り出す。
「なんでも出てくるな」
私のリュックを不思議そうに見ている美月の横で、私は時間を確認して、今夜の天体観測がもう終わってしまうという虚しさに打ちのめされていた。
「美月、そろそろ帰ろうか」
「えっ、なんで」
「もう十一時過ぎてるよ。楽しいと、時間が経つのってあっという間だね」
「星なんて、まだまだ見れるだろ?」
心底分からないという感情が、美月の顔にまたしても素直に浮かび上がる。
「いや、星は見れるけど……早く帰らなきゃお母さんが心配するでしょ? 私も十二時までには帰るって約束してるから」
美月の顔が、雨雲を被せたようにすうっと陰った。
数拍遅れて私は気付く。そう言えば、美月の親が不在だとかいう話を竹田先生がしていた。
竹田先生の話は妙に曖昧だったけれど、実際のところはどうなのだろう。本人に尋ねてみても良いのだろうか?
……少し悩んだが、やっぱり聞くのはやめた。
いくら仲良くなれたとは言っても、今日初めて会話した相手だ。いくらなんでも踏み込みすぎだろう。第一、私だって祖父にまつわる話を美月に聞かせなかったじゃないか。美月にだけ家庭環境に関するデリケートな話をさせるのは、なんというか、フェアじゃない。そう思った。
そう思って、初めて心付いたことがある。
私は美月と対等な関係になりたいんだ。
これまで人との関係を築き上げる時、私は常に自分を相手の上か下かのどちらかに置いてきた。
上というのは傲慢な言い方だが、つまり『学級委員』や『部長』といった役割に付いて、他の人たちをまとめる立場のことだ。
そして下というのは、親から見た『子供』、教師から見た『生徒』のように、相手の指示に従う立場だ。
人から信頼されるためには、そのどちらかになるしかないと私は信じていた。どちらにも属さず好き勝手に振る舞えばどんな結果が待っているか、私は幼くして知ってしまったから、上か下にいないと不安になってしまうのだ。
先日、竹田先生に呼ばれた昼休みに、注目の視線を浴びるのを苦しく感じたのもそのためだ。クラス替え直後で私のことをあまり知らないクラスメイトも多いはずなので、彼らにとって私はまだ信頼の出来ない謎の存在でしかなかっただろう。それが、恐ろしいのだ。何らかの立場を得なければ、私は何者にもなれない。必ず、人の上か下に立たなければならない。
そんな私が、初めて対等になりたいと思える人と出会えた。
「ねえ、美月」
だから。対等だから、学級委員とか部長とか、そういう立場を武器にして無理強いするのはやめた。
「来月の部活での天体観測、どうする? もし美月が来ても良いって言うなら、もちろん大歓迎だし。もし来たくないって言うなら、無理にとは言わないから」
対等だから、本心を伝えよう。一切着飾らずに、素のままの私の本心を。
「美月が来てくれたら、私は嬉しい。他のみんながどう思うかは知らないけど、とにかく、私は嬉しいよ」
美月はしばらく目を閉じて考えてから、ゆっくりと口を開いた。
「ちょっとまだ、決められない」
「……そっか。まあ、まだ一ヶ月ぐらい先の話だから。今すぐじゃなくても全然大丈夫だから」
美月の表情から、真剣に考えて悩んでいるのが伝わってきたことが、少し嬉しかった。




