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幼いころ、私は根っからのおじいちゃん子だった。
同居していたわけではないが、すぐ近所に家があったので、交流はとても盛んだった。頻繁に祖父が晩ご飯を食べにきたり、反対に私たち一家が祖父の家に遊びに行ったり、あるいは休日に祖父が私を遊びに連れていってくれたり。
奥さんに先立たれて一人暮らしをしていた祖父にとって、娘夫婦と孫の存在こそが生きがいのようなものだったのかもしれない。
ちなみにこの奥さんというのは私から見ると祖母に当たる人だが、私の生前に亡くなったので、残念ながら一切覚えがない。
しかし祖父はそんな寂しさを露ほども見せずに、いつも優しく穏やかに私に接してくれた。
色々な遊びをした。ある時は人生ゲームを一緒にしてくれたし、またある時はかくれんぼをしてくれた。じゃんけんとにらめっこを交ぜたような私のオリジナルゲームに付き合ってくれたりもした。
色々なところにも行った。動物園や水族館にも行ったし、お花畑に行くこともあれば、近所の公園でのんびり過ごした日もあった。
ある日曜日には、父に急な仕事の用事が入り、約束していた遊園地に行けなくなってしまった。私は父の都合など一切考えずに泣きわめき、「おとーさんのうそつき! だいっきらい!」と騒ぎ立てたものだった。見かねた母から連絡を受けた祖父が、代わりに連れていってくれることになったが、まだ私の気持ちは晴れていなかった。車で迎えに来てくれた祖父に対して、父が「本当にすみません、お義父さん。無理言っちゃって」と頭を下げていたのが、私が悪者であるかのように感じられて余計に嫌な気持ちになったからだ。しかし結局、私と祖父と母と三人で行った遊園地はとても楽しくて、帰るころには、父には悪いけれど、「おじいちゃんと一緒に行けて良かった」と心から思ったのを覚えている。
それぐらい私は祖父が大好きだった。
当時の私はとにかくわんぱくで、どこへ行っても大はしゃぎして暴れ回るので、両親をずいぶん困らせたものだった。その度に両親は私に「良い子になりなさい」と説教したものだが、私は聞く耳を持たなかった。
祖父は常に私の味方だったが、あまりにも味方をしすぎるものだから、母が「甘やかしすぎるとあの子のためにならないでしょ」と苦言を呈していた場面も何度か見かけた。
そんな祖父との様々な想い出の中で、最も私の幼心をときめかせたものこそ、星見ヶ丘での天体観測だった。
「小夜子ちゃんは、名前に夜という字が入っているね」
初めて星を見に行ったある春の夜、祖父はいつものように優しい声でそう言った。
「知ってるかい? 小夜子ちゃんも、お星さまみたいに輝いているんだよ。小夜子ちゃんがいてくれるだけで、周りのみんなは幸せな気持ちになれるんだよ」
そんなことを語ってくれたような記憶があるが、今はもう朧気にしか思い出せない。
その日から、私は星が好きになった。正確に言うと、普段はもう布団に入っているような時間帯に外出する非日常感とか、昼間は見ることの出来ない景色に出会える特別感とか、そういったものにワクワクしていたような気がするので、当時から本当の意味での星の魅力に気付けていたかは疑問だが、ともかく天体観測は私にとって二ヶ月に一度の大イベントとなっていた。
二ヶ月に一度……というのは両親が課した制約で、子供があまり夜間の外出に慣れてしまわないようにという配慮からだったが、結果的には、この制約が悲劇を生んでしまうこととなった。
それは凍てつく晩冬の日のことだった。
何よりも楽しみにしていた天体観測の日が、雨に襲われてしまった。
「今日は仕方ないよ。また今度ね」
その日の昼に両親は簡単にそう言ったが、私にはそうやすやすと諦められるものではなかった。この『今度』というのがいつになるのかが分からなかった。明日晴れればすぐに来る機会なのか、また二ヶ月待たなければならないのか……。
幼い子供にとっての二ヶ月は長い。この日を楽しみに二ヶ月間毎日ウキウキしながら過ごしてきたのに、また二ヶ月待たされるなんて耐えられない。私は絶望した。大人にとってはこんなことで絶望なんて馬鹿らしく感じるかもしれない。その感性のすれ違いもまた、悲劇の一因となってしまったのだろう。




