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冒険者協会 冒険録 初期版  作者: 青識
幼少期と訓練生時代

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8/10

1-8

講義室を出ると、空気が少し冷たく感じた。


高い位置にあった窓から見えなかった空が、廊下の先には広がっている。


誰も、すぐには話さなかった。


さっきまでざわついていたはずの訓練生たちは、

それぞれ手にしたコンパスや地図を見つめ、

言葉を探しているようだった。


「……思ってたのと違うな」


ぽつりと、誰かが言った。


否定でも、不満でもない。

ただの実感だった。


「剣、振らせてくれると思ってた」


「魔法の訓練もないのかよ」


小さな声が続く。

けれど、どこか軽口めいていて、

本気で不満を言っているわけではなかった。


僕は黙ったまま、

配られた地図を広げた。


本当に簡素なものだった。

主要な街道と、川、山。

そして、端の方に――何も描かれていない空白。


教官の言葉が、頭の中で繰り返される。


――帰れない冒険者は、評価されない。


それは、父の言葉とよく似ていた。


「疲れた時に進むな」

「迷った時は、必ず戻れ」


胸の奥で、点と点が静かにつながっていく。


廊下の先で、

先ほどの教官が足を止めた。


振り返らずに言う。


「……そういえば、名乗っていなかったな」


一瞬、全員の視線が集まる。


教官はようやくこちらを向いた。


「俺はガルド」

「階級はB。未到達地域先遣隊に所属していた」


ざわり、と空気が揺れた。


B

まだ訓練生である僕たちからすれば、

はっきりと“上”の階級だ。


冒険者のほとんどが階級Fで引退する。


僕の父や母も階級がEだった。


「今は、育成場の実地講義担当だ」


誰かが恐る恐る聞く。


「……どうして、さっき名乗らなかったんですか?」


ガルド教官は、少しだけ目を細めた。


「普通に忘れてた」


その一言で、誰も何も言えなくなった。


「午後は、外に出る」


再び歩き出しながら、教官は言う。


一瞬、空気が動いた。


「訓練ですか?」


誰かが尋ねる。


「違う」


ガルド教官は即答した。


「観察だ」


育成場の外は、

囲われた森だった。


整備はされているが、

あえて自然に近い状態が保たれている。


「今日は戦わない」


教官はそう前置きしてから言った。


「三人一組になれ」


僕は、近くにいた二人と目が合った。


一人は、体格のいい少年。

剣を腰に差している。


もう一人は、細身で、

魔法書を大事そうに抱えている。


体格のいい少年が、にっと笑って話しかけてきた。


「俺の名前はフロックだ!君たちは?」


「僕はバルト!」

魔法書を抱えた少年も、負けじと名乗る。

「よろしくね!」


「僕はライズ。よろしく!」


名乗った瞬間、

少しだけ緊張が解けた気がした。


僕たちはぎこちなく、三人で並んだ。


「お前たちの仕事は簡単だ」


ガルド教官は、地面に棒で円を描いた。


「この範囲を一時間歩け」

「戦うな」

「魔法を使うな」


ざわめきが起きる。


「やることは三つ!」


教官の声が森に響く。


「今いる場所の地形を書く」


「危険性を知り、地図に記す」


「そして――」


一拍置いて、


「確実に、安全に戻れる道を書け!」


「では以上だ」

「各組の“帰還”を期待する」


森に入ると、

思ったより音が多かった。


風。

葉の擦れる音。

遠くの鳥。


フロックが、落ち着かない様子で周囲を見回す。


「……何も起きないな」


「あっ」


バルトが、地面を指さした。


「ここ、踏み固められてる」


確かに、

人が通った痕跡がある。


僕は、地図に小さく印をつけた。


進むにつれて、

足元の感覚が変わる場所があった。


湿った土。

滑りやすい根。


「ここ、危ない」


そう言うと、

二人は素直に足を止めた。


大したことじゃない。

でも、無視すれば転ぶ。


それだけの違和感。


一時間後、

集合場所に戻った。


誰も怪我はしていない。

魔物にも会っていない。


それなのに、

なぜか疲れていた。


ガルド教官は、

無言で各組の地図を見て回る。


「ここ」


僕たちの地図の、

戻り道に引いた太い線を指した。


「なぜ、二重に描いた」


「一つは来た道です」

「もう一つは、遠回りでも安全な道です」


教官は、ほんの一瞬だけ口角を上げた。


「いい」


それだけだった。


夕方、寮に戻る途中。

僕は、今日の地図を握りしめていた。


派手な成果はない。

誰にも大きく褒められていない。


それでも、

確かに一歩、進んだ気がした。


――帰れる線を引いた。


それだけで、

胸の奥が、少し誇らしかった。


そして思う。


あの教官は、

“行く人”ではなく、

“帰らせる人”なのだと。


それはきっと、

冒険者にとって、一番信頼できる存在だ。

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