1-10 訓練所授業記録 帰還計画演習
数か月後
朝の鐘は、いつもより低く響いた。
まだ空気の冷たい時間帯。
訓練生たちは装備を整え、屋外演習場に集められていた。
今日の担当教官は、ガルドだった。
軽複合型鎧に、最低限の装備。
剣は腰にあるが、抜く気配はない。
「整列」
短い号令で、全員が黙る。
「今日の授業は、“帰還計画演習”だ」
その言葉に、何人かが顔を上げた。
帰還。
またその言葉だ。
「戦闘訓練ではない」
「魔法訓練でもない」
そう前置きしてから、ガルドは続ける。
「だが、これを失敗すれば――全員、死ぬ」
空気が、一段冷えた。
「今から、お前たちは仮想の未到達地域に入る」
教官が地面に地図を広げる。
簡素な地図だった。
山、谷、川、森。
そして、いくつかの赤い印。
「赤は危険想定地点だ」
「魔物、地形崩落、天候悪化、理由は問わない」
指でなぞる。
「任務は調査」
「目的地は、この地点」
地図の奥。
帰り道を考えなければ、迷う位置だ。
「制限時間は六時間」
「魔法使用は、移動補助と防御のみ」
「三人一組」
ライズ、フロック、バルト。
いつもの組だ。
「だが――」
ガルドは、ここで一拍置いた。
「今日の評価対象は、到達ではない」
ざわめきが起きる。
「評価するのは、“帰る判断”だ」
「途中で引き返してもいい」
「目的地に着かなくてもいい」
「だが、条件がある」
ガルドの視線が、全員を射抜く。
「引き返す理由を、地図と記録で説明できなければならない」
フロックが小さく息を呑んだ。
「感覚で戻るな」
「怖かった、は理由にならない」
「判断を、証明しろ」
配られたのは、
地図、炭筆、簡易コンパス、記録紙。
武器は、最低限。
「開始」
合図と同時に、訓練生たちは散った。
森に入ると、空気が変わる。
昨日までの演習場とは違う。
意図的に手入れを抑えた区域。
「……静かすぎるな」
フロックが言う。
「風向きが変だ」
バルトが空を見上げる。
ライズは、足元を見ていた。
土が、柔らかすぎる。
「ここ、最近水が流れた跡がある」
「川は近くないはずだぞ?」
「地図が古いんだ」
ライズは、地図の端を指す。
「この谷、崩れてる」
三人で迂回を決める。
進むにつれ、
気温が下がり、湿度が上がる。
「バルト、魔法使えるか?」
「うん、軽い防護なら」
「まだ温存しよう」
二時間経過。
目的地までは、あと半分。
だが――
「足跡が、戻ってる」
フロックが言った。
確かに、
人の足跡が途中で引き返している。
「他の組か?」
「違う」
ライズは首を振る。
「間隔が不揃いだ」
「焦ってる」
記録紙に書き込む。
・足跡乱れ
・方向転換が急
・戻り道不明瞭
さらに進むと、
風が強くなった。
木々が不自然に揺れる。
「……嫌な感じだな」
フロックが剣に手をかける。
「戦う場所じゃない」
ライズは止める。
「戻ろう」
バルトが驚いた顔をする。
「え?まだ半分だよ?」
「だからだ」
ライズは地図を広げる。
「風向きが変わってる」
「湿度が急に上がった」
「この先、霧が出る可能性が高い」
「霧が出たら、戻れない」
沈黙。
フロックが歯を噛みしめる。
「……引き返す理由は?」
ライズは即答した。
「帰れなくなる可能性が、五割を超えた」
それで、決まった。
戻る途中、
霧が出始めた。
「……正解だったな」
バルトが小さく言う。
集合地点に戻ると、
すでに何組かが集まっていた。
全員が戻ったわけではない。
ガルドは、静かに待っていた。
一組ずつ、報告。
「目的地到達。だが帰路で迷い、評価減」
「途中撤退。理由不十分」
そして、ライズたちの番。
地図を広げ、
記録を示す。
「この地点で撤退を判断しました」
理由を説明する。
風、湿度、足跡。
ガルドは、黙って聞いていた。
最後に、言う。
「到達できたか?」
「いいえ」
「だが、全員無傷で戻ったな」
「はい」
教官は、地図を指で叩いた。
「この判断は――」
一拍。
「正しい」
空気が、少し緩む。
「冒険者は、前に進む仕事だと思われがちだ」
「だが実際は違う」
「“ここまでだ”と決める仕事だ」
ガルドは、全員を見回した。
「覚えておけ」
「英雄は、死んで評価される」
「冒険者は、生きて記録を残す」
その言葉は、
ライズの胸に、深く沈んだ。
授業終了の鐘が鳴る。
疲労はあった。
達成感は、薄い。
それでも、
確かなものが残っていた。
――帰る判断ができた。
それは、
剣を振るよりも難しく、
魔法を使うよりも重い選択だった。
そしてライズは、思う。
この訓練所は、
命を賭ける場所ではない。
命を持ち帰る方法を、
教える場所なのだと。
この次は
・失敗した組の処分
・初めての減点評価
・「撤退を嫌う訓練生」との対立
どれを続けますか?




