1-1 まだ、地図に載らない場所
世界は、まだ描ききれていない。
僕がそれを初めて意識したのは、転生した時でも剣を握った時でも、魔物を見た時でもなかった。
畑の端で、父と母が荷車を整えている背中を見ていた、あの朝だった。
荷車には木箱がいくつも積まれている。
干し肉、乾パン、簡易治療薬、水袋、予備のマッチ。
どれも地味で、目立たず、しかし確実に「生きるために必要なもの」だった。
父は荷締めの紐を引いた。
腰には剣も斧もない。代わりにあるのは、冒険者協会の隊員証と、くたびれた地図袋だけだった…
「帰りは少し遅くなるわ。調査隊が戻る予定だから」
「確か今日は第27部隊の第6小隊が立ち寄るのでしょ?もう少し干し肉持ってった方がいいわ。
彼らがこれから行く場所は確か準未開拓地域に行くのでしょ?」
母が父にいつものように話す。
「ああ、だがその地域に行くのにここ以外にも飛行艇とかも乗るらしいからそこで最終調整もするだろうし大丈夫だろう」
「なら、安心ね!私も持ってくわ!」
母もまた、鎧を着ていない。
だがその足取りは軽く、無駄がなかった。
後方支援物資補給隊――階級E。
前線に立たずとも、冒険者が帰るために不可欠な役割。
主人公は、その二人を誇りに思っていた。
都市の外れにあるこの村には、冒険者がよく立ち寄る。
数は小隊から部隊まで様々だ。
傷だらけで戻る者、傷を負いながらも地図を抱えて笑う者、時には戻らない者。
そのたびに父と母は言った。
「冒険は、派手な話じゃない」
「帰ってくるまでが、仕事なのよ」
幼い僕には、完全には理解できなかった。
それでも、冒険者たちが水を飲み、息を整え、再び歩き出す姿を見るたびに、胸の奥が熱くなった。
――あの人たちは、どこへ行ってきたのだろう。
地図に描かれていない場所。
名前のない森。
数字だけで呼ばれる谷。
誰かが行かなければ、そこはずっと「空白」のままだ。
そして数か月後その場所の地図を新しい地図と見比べる。
そこにはそこに向かった人のおかげで新たに広がった世界がそこにはあった。
新しい地図は、まだインクの匂いが残っていた。
古い地図の上に重ねると、空白だった場所に線が引かれ、記号が増えている。
森には名前が与えられ、
谷には番号ではなく地形の注記が書き込まれていた。
「……増えてる」
思わず、声が漏れた。
ほんの数本の線と文字。
けれどそれは、誰かが歩き、測り、戻ってきた証だった。
そこには宝の絵も、英雄の名前もない。
ただ、「行ける」と記された場所が増えただけ。
それが、たまらなく胸に刺さった。
その日の夕方、父と母は予定より少し遅れて帰ってきた。
荷車は軽くなり、代わりに泥と埃がついている。
「どうだった?」
僕が聞くと、父は肩をすくめた。
「第27部隊第6小隊、無事に出発した」
「地図も、いくつか更新できそうだよ」
「ええ、次の公開地図で更新されるらしいわ」
母が父に自分の活躍の様に誇らしそうに話している。
「聞いた?あの未到達地域先遣隊長であるクロムさんが新たに新大陸見つけたそうよ」
「まじで!?やっぱSクラスの人は違うなぁ…で、どのBクラス未到達地域部隊が行くんだ?」
「まだ確定では無いけれど結構なBクラスが動くわね…飛行艇も何隻かは動くらしいし、新型の6式探索艦も向かうらしいから、結構なベテラン達がうごくわね…」
「いやー俺たちも行ってみたいねー!!」
「ねー」
母は水袋を片付けながら言う。
「彼らが帰ってくる頃には、また少し…いや大きく世界が広がってるわね」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥で何かが、はっきりと形になった。
――ああ、これだ。
剣じゃない。
魔法でもない。
世界が広がる、その瞬間に立ち会うこと。
その夜、僕は机の上に地図を広げた。
何度も見たはずの線を、指でなぞる。
ここからここまで、誰かが行った。
なら、この先は?
想像すると、怖さよりも先に、
足が勝手に前へ出る感覚がした。
僕は一歩、前へ出た。
地図の端へ向かう、
最初の一歩だった。




