第106話 三人目の姫
獣人国の港の方角から、こちらへ向かってきている。
フランからの事前連絡はなかったが、その速度と大きさからして、ダーナたちの帆船であることは間違いなかった。
「来たな。ケリー、配置につけ。帆船を迎えるぞ」
「了解!」
俺の言葉に、ケリーたちが素早くそれぞれの持ち場につく。
やがて、水平線の向こうに白い帆が見え始めた。
彼らは出港にあたり、総帆展帆でやってきた。
全ての帆を一杯に広げ、風を受けて進む姿は、遠目から見ても壮観の一言に尽きる。
友好の証として、あるいは自国の威容を示すための、一種の儀礼なのだろう。
その堂々たる姿は、今回の訪問が成功裏に終わったことを何よりも雄弁に物語っていた。
帆船は、俺達の巡視艇を視認できる距離まで近づくと、すぐさま帆を畳む作業、縮帆を始めた。
マストによじ登った船乗りたちが、慣れた手つきで次々と帆を絞り、畳んでいく。
その光景を見て、俺は感心するよりも先に、ケリーたちの動きに目を見張った。
俺がまだ何も指示を出していないというのに、ケリーは巡視艇を巧みに操り、帆船が曳航ロープを受け取りやすい位置へと静かに船体を寄せていく。
他の者たちも連携し、すでに甲板で曳航用の太いロープを投げる準備を整えていた。
一連の動きに一切の無駄がなく、まるで熟練のタグボート乗りのようだ。
全ての準備が整い、後は俺の合図一つでロープが渡せるという状態になって、初めてケリーがブリッジの俺を振り返った。
「守様、準備完了しました。いつでもいけます」
その自信に満ちた表情に、俺は満足げに頷く。
「よし、やれ」
「はい!」
短い命令で、全てが動く。
投げられたロープは正確に帆船の甲板に届き、向こうの船乗りたちが素早くそれを船体に固定する。
これまた見事な連携だった。
「曳航索、固定完了しました!」
「よし。二ノ浜に向け、ゆっくりと前進。帆船に衝撃を与えないように、慎重に頼むぞ」
「お任せください!」
ケリーの頼もしい返事を聞きながら、俺は再び自分の席に腰を下ろした。
もう、俺が口を出す幕はほとんどない。
彼女たちは、俺が思っている以上の速さで成長している。
船がゆっくりと拠点へと戻り始める中、俺はフランに無線を入れた。
労いの言葉をかけると同時に、いくつかの疑問を解消しておくためだ。
「フラン、お疲れ様。首尾は上々だったようだな」
『守様! おかげさまで、望外の成果です。友好条約の締結と、定期的な交易の約束を取り付けることができました』
「それは何よりだ。ところで、ずいぶんと早いお帰りだが、何かあったのか?」
『いえ、それが……実は、この帆船には我々だけでなく、獣人国からの使節団も乗船しているのです』
「……なんだって?」
予想外の言葉に、俺は思わず眉をひそめる。
使節団を連れてくるなど、全く聞いていない。
『ダーナ様のご判断です。交渉が非常にスムーズに進み、友好の証として、先方から是非にと申し出がありまして……。ダーナ様も、我々の拠点を直接見ていただくのが一番の信頼に繋がるとお考えになったようです』
相変わらず、あのダークエルフの姫は行動が早い。
いや、早すぎる。
俺に一言の相談もなしに、他国の、それも政府の使節団を拠点に招き入れるなど、普通に考えれば暴挙だ。
だが、ダーナがそれを決めたのなら、きっと何か考えがあるのだろう。
俺が今更何を言っても覆る話ではない。
俺はため息をつきながら、頭を抱えた。
「……はあ。わかった。受け入れ準備を進めないといけないな。それで、使節団の構成は? どんな連中が来ているんだ?」
俺の問いに、フランは一瞬、言葉を詰まらせた。
その様子に、俺は嫌な予感を覚える。
『はい、使節団の団長は、獣人国の宰相を務めるライオンの獣人の方です。そして、その補佐が数名と……』
「……と?」
『……獣人国の姫君が、お一人』
「姫……」
面倒なことになりそうな気配が、急激に濃厚になってきた。
一国の姫が、公式の使節団としてやってくる。その意味するところは、単なる表敬訪問では済まないということだ。
俺の懸念を察したかのように、フランはさらに決定的な情報を付け加えた。
その声は、どこか申し訳なさそうでありながら、同時に抑えきれない興奮も含まれているように聞こえた。
『その……守様もご存知の、プレアデスの伝説。今回いらした姫君は、その伝説に連なる七人の姫君のうちのお一人だそうで……』
「……本気で言っているのか?」
プレアデスの伝説。
この世界に古くから伝わる、七人の女神に連なる姫たちの物語。
彼女たちは、それぞれが国を興し、世界に繁栄をもたらす運命を背負っているという。
そして、何を隠そう、我が拠点にいるダーナとフランも、その伝説の姫の従者で二ノ浜には二人の姫もいるのだ。
そこに、三人目の姫がやってくる。しかも、獣人国の姫だという。
『はい。ダーナ様も私も、運命的なものを感じております。是非とも彼女をお迎えし、お話を伺いたいと……』
フランの声からは、もはや俺に拒否権がないことがひしひしと伝わってきた。
ダーナもフランも、すっかりその獣人国の姫君とやらを迎えることで頭がいっぱいのようだ。
俺の気持ちや、拠点の防衛機密など、彼女たちの壮大な伝説の前では些細な問題として扱われているらしい。
「……わかった。もう、何も言うまい」
俺は無線機のスイッチを切り、大きく天を仰いだ。
穏やかだったはずの俺の異世界スローライフは、どうやら新たな局面を迎えようとしている。
しかも、とてつもなく面倒なことに、俺は否応なく巻き込まれようとしていた。
曳航される帆船に目をやると、甲板の上で風に髪をなびかせているダーナとフランの姿が見えた。
その隣には、おそらく獣人国の使節団であろう人々の影も見える。
俺はただ、これから始まるであろう怒涛の日々に思いを馳せ、もう一度、深いため息をつくしかなかった。




