第8話 暮らしと交渉と春の風
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――春の匂いは、土の奥からやってくる。
昨夜の雨が白水路にうっすらと泥を混ぜ、
道路に残る小さな水溜りが、空の薄青を映していた。
ログイン完了。
今日もまた、静かに世界が動き出す。
《春期市場:安定》
《層衣需要:横ばい》
《三谷郷統合:順調》
《水利調整:効率+8》
《外交通知:レドール侯国より親書》
「……親書?」
「ええ。珍しいですね」
副官レリィが淡く微笑む。
「レドール侯国は、以前ユーリス卿と揉めた“交易封鎖事件”のあった国です」
「覚えているわ。あのときは大変だった」
「今度は“相談に乗ってほしい”とのことです」
――相談。
外交の裏には常に思惑がある。
だが、辺境の領主である私に対し、
他国が“相談”を持ちかけるのは悪い話ではない。
「内政の合間に、少しだけ会ってみるわ」
「了解しました。……外交モードのカレンツ様、楽しみです」
「楽しむものじゃないのだけど」
「いえ、いつもの倍くらい冷静で素敵です」
「……褒めてる?」
「もちろんです」
朝の会話一つだけで、今日が良い日になる気がした。
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◆ 第一節:春の外交 ― “困っている国の相談”
午後。
領都の迎賓館にレドール侯国の使者がやってきた。
灰色の羽織、肩には細い剣。
礼儀正しいが、明らかに疲れている顔つき。
「辺境伯カレンツ殿にご挨拶申し上げます」
「遠路をありがとう。話を聞くわ」
使者は深く頭を下げ、巻物を広げた。
「実は……我が国の“南方交易路”が大雨で崩落しまして、
新しいルートを確保したいのです。
そこで――貴領の白水路を、貨物運搬の一部に使わせていただけないかと」
私は少し考える。
白水路は、今年整備したばかりの水路。
水量は安定しているが、外国の貨物が流れれば水質問題、
あるいは盗難や価格崩壊のリスクもある。
「条件を教えて」
使者は頷いた。
「1. 交易量の月別報告
2. 水路使用料の分配
3. 重大な事故の際は共同対応
……以上の三つを守ると」
レリィが耳元で囁く。
「カレンツ様、これ……悪くない条件に見えますが」
「ええ。でも、“悪くない”だけでは受けられないの」
私は机の上に小さな計算板を開く。
数字をざっと並べ、仮想の水量と貨物量を入力。
「使者殿。
もし貨物量が突然倍増したら、白水路の水門操作はどうします?」
「……いえ、その……」
「水門はひとつ間違えると、農地が水没する。
つまり、“あなた方の都合”で領民が被害を受ける可能性がある」
使者が困ったように頭を垂れる。
「ごもっともです」
我ながら、口調が静かに鋭かった。
私は続けた。
「条件を一つ追加します。
“貨物の量が予定を超える場合、三日前に通達すること”。
これが守られないなら、即時に水路使用は禁止」
使者は深く深く頭を下げた。
「……必ず守ります!」
《外交成功:小同盟成立/水路協定+15》
レリィが小声で。
「……さすがですね。強く出ても嫌われない」
「嫌われても構わないわ。“守るべきもの”があるのだから」
「……はい」
交渉は無事に終わった。
だが今日の仕事はここからだ。
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◆ 第二節:外交の余波 ― 内政の数字が揺れる
迎賓館を出ると、レリィが帳簿を広げた。
「カレンツ様、今の外交協定で……
水路の使用料が年間で“少し”増えます」
「少しとは?」
「農業予算+3%分ほどです」
――良い数字。
しかし、その後ろに“問題”が付く。
「その分、生水の使用量が増える可能性が。
浄化費が上がるかもしれません」
私は歩きながら返した。
「浄化の仕組みを再編しましょう」
レリィが目を瞬く。
「再編……ですか?」
「水路の下流に“砂利層”を追加するの。
微生物が増えれば、自然に水がきれいになる。
これならコストはほぼゼロ」
「また……地味で強いアイデアですね」
「地味の積み重ねで国は守られるのよ」
《内政:浄水技術改善/衛生+10/維持費-8%》
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◆ 第三節:外交がもたらす“噂” ― 市場がざわつく
翌日、春市の市場が少しざわついた。
「カレンツ様!
レドール侯国の貨物が流れてくるって本当ですか?」
「白水路を使うって聞いたぞ」
「危険なものは来ねえだろうな?」
人は“知らないこと”に不安を抱く。
私は市場の中心に立ち、板を掲げた。
《白水路協定について
・運ばれるのは主に穀物・布・薬草
・流す量は管理される
・危険物の搬送は禁止
・水門操作は領主管理
安心して暮らしてください》
レリィが私に囁いた。
「……この公示、ものすごく丁寧ですね」
「人は“見えること”で不安が半分消えるのよ」
市場の空気が安定していくのがわかる。
《治安+4/民心+6》
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◆ 第四節:外交を生かす技術発展 ― “春の港計画”
外交が成立した以上、
こちらも改善しなければならない。
私は工房に技師シアンを呼んだ。
「白水路の荷揚げ場を拡張したいの。
――簡易港を作るわ」
シアンの目が輝く。
「水路港……!」
「貨物を一度に扱うと混雑する。
だから、水路の途中に“仕分け桟橋”を作りたい」
レリィが驚いたように言う。
「……貨物の渋滞解消ですね」
「ええ。交通だけじゃない。
“物流の渋滞”は、国の成長速度を落とす」
シアンが図面を描き始める。
「桟橋は三つ。
A:農産物
B:布・衣類
C:薬草・木材
流し込む場所を分けると効率が三倍に上がります!」
「素晴らしいわ。
三谷郷の雇用にもなるしね」
《技術:簡易水路港/物流効率+20/雇用+8%/市場活性+12》
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◆ 第五節:外交から内政へ ― “税の再配分”
夕方、執務室。
レドール侯国の水路使用料について、私は税の再配分を決定した。
「三谷郷に三割、領都の市場整備に三割、
工房の新水門技術に一割。
残り三割は“予備費”へ」
レリィが目を丸くする。
「……予備費にそんなに?」
「外交は“想定外”も連れてくる。
備えがなきゃ倒れるわ」
《内政:税配分の最適化/安定度+12》
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◆ 第六節:外交の影 ― 密やかな訪問者
夜。
執務室の灯が静かに揺れる頃、
扉がノックされた。
「――辺境伯殿。レドール侯国使者とは別に、もう一名、来客が」
レリィが小声で告げる。
「誰?」
「……ユーリス卿です」
私は少しだけ肩をすくめた。
「あの好戦的な人、また来たの?」
「いえ、今回は“相談”だそうで」
外交は時に、妙な連鎖を生む。
それもまた、政治の一部だった。
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◆ 第七節:夜の外交席 ― “噂を聞いた”
個室に入ると、ユーリス卿が笑っていた。
「相変わらず、静かな城だな。
……白水路の話、聞いたぞ」
「噂が早いわね」
「商人が嬉しそうに話していた。
“カレンツ辺境伯の領地は安泰だ”ってな」
彼はワインを置いて言った。
「俺からの頼みは一つ。
――レドール侯国が増長しすぎたら、教えてほしい」
「あなた、まだ彼と張り合っているの?」
ユーリスは肩をすくめた。
「戦わねぇよ。けど油断もしねえ。
あんたの領地は、俺にとって“世界の温度計”みたいなもんだ」
……やれやれ。
「わかった。
ただし、こちらに被害が出るようなことがあれば教える。
それ以外は自分で確かめて」
ユーリスが笑う。
「やっぱ頼りになるな。
あんたは“静かな中心”だ」
《外交:友好維持/緊張抑制+10》
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◆ 終章:外交が終わり、暮らしが始まる
ユーリスが帰り、深夜。
私は窓を開けた。
白水路の水音。
春衣の布を干す音。
工房の風炉の煙。
三谷郷の灯。
そして遠くの桟橋で、荷物を仕分ける音。
外交は波を起こす。
内政はその波の形を整える。
その二つの間を歩くのが――領主の仕事だ。
レリィがそっと紅茶を置く。
「……今日も、地味に勝ちましたね」
「ええ。外交でも、暮らしでも」
「では、穏やかな勝利の一日ですね」
「そうね。最高の一日よ」
新しい通知が現れる。
《称号更新:暮らしの守り手 → “穏和の調停者”》
《外交効果:相手国信頼+20》
私は静かに笑った。
――今日も、静かに。
――そして確かに。
また一歩、領地が豊かになった。
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