第4話 再建の手、暮らしの火
――朝。
霧を割るように鐘が鳴り、谷間の小盆地に日の薄金が落ちる。
ログイン完了の光が収束し、机上の地図に新しい印が灯った。
《再建プロジェクト:白水路第二期――進捗32%》
《住民幸福度:+2(公共浴場の試験運用)》
《教育指数:+1(読み書き講座・農村巡回)》
「……うん、数字は嘘をつかないわね」
「本日も快晴です、カレンツ様。白水路の堰が完成すれば、黒土地帯の乾きが一気に解消します」
副官レリィが、涼しい顔で帳簿を置く。甲冑は、今日も当然着ていない。
「堰番の配置は?」
「村ごとに輪番制で“堰守”を置きました。水利の争いを避けるため、砂時計型の水量計を支給済みです」
「賢いわ。揉め事は“物差し”で減るものよ」
カレンツ辺境伯領は、いま“平和の忙しさ”の真っ只中にある。
宗務庁査察を無事に越え、黒麦酒の合法交易路も確立。
戦争は遠く、かわりに手の届く毎日を整える番が来た。
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◆ 第一節:白水路第二期――水を分ける知恵
午前。
現場に立つと、細い川を挟んで木製の足場が組まれていた。
水の音、槌の音、遠くで子どもが叫ぶ声。生きている音が重なる。
「ここに“分水枡”を据えます。上流の流速を一定に保つために渦止めの石を――」
土木頭のドゥアルが、手のひらサイズの模型で説明する。
「渦止めの石は、三角より鈍角の方がよいわ。流れが柔らかくなる」
「へい!」
《内政判定:土木(知識)+15/施工速度+5%》
レリィが耳元で囁く。
「カレンツ様、昔から土いじりがお得意でしたね」
「ええ。……以前“ジジイ臭い”と言われたのを、根に持ってはいませんが」
「(小声)持ってますね?」
「持っていません」
言葉は冷静に、しかし頬はわずかに熱い。こういうときに限って、現場の子どもと目が合い、手を振られる。
振り返すと、幸福度ゲージがほんの少しだけ上がった気がする。
堰の鍵を回すと、白水路に細い銀糸が走った。
土が静かに潤み、畔の苔が色を濃くする。
川の手前で待つ農夫たちが息を詰め、溢れ出た水が畑へ入る瞬間に小さな歓声を上げた。
《作付け安定率+7/収穫見込み+5%》
「レリィ。分水枡の鍵は“村の子ども達の持ち回り”にしましょう」
「子どもに、ですか?」
「責任の重さを知るのは早いほど良いの。……大人は見守る役。叱る役じゃないわ」
「承知しました。『水番ノート』を作り、日付と分量を記録させます」
「ありがとう」
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◆ 第二節:風の粉挽き――移動式製粉車の試作
昼。
工房通りは、木と鉄の匂いで満ちていた。
新設した〈公共工房〉には、木工、鍛冶、紡績、染色、そして奇妙な“車輪の部屋”。
「――回ります!」
技師シアンが歓声を上げる。
大きな風車を横倒しにしたような架台に車輪を組み込み、馬に引かせると、内部の歯車が回って石臼が唸る。
「移動式製粉車。村を巡って粉にしていけば、風のない日も挽けます」
「良い発想ね。粉の歩留まりは?」
「旧式比+12%。ただし振動でボルトが緩む課題が」
「座金を入れましょう。鉄が足りないなら、鍛冶屋の端材を活かして」
「了解!」
《産業補正:食料加工効率+10/馬匹疲労-5》
工房の隅では、若い女工が紡いだ糸を手に目を輝かせている。
「この糸、婦人会の共同購入で紡錘が増えたんですよ!」
「よくやったわ。……価格表は貼り出した?」
「はい、重さごとに“読み数字”と“絵数字”を並べました。字の読めない方も迷いません」
「完璧」
レリィが帳面をめくる。
「公共工房の“屋台枠”に、応募が殺到です。若者たちが小さな工房を持ちたがって」
「貸し卓制度を広げましょう。最初の三ヶ月は租借料半額、四ヶ月目から段階的に戻す。
――“始められる”ことが大事。続けるかどうかは、その次の話よ」
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◆ 第三節:浴場と診療室――衛生の火を灯す
午後。
白煙を吐く低い屋根。新設の〈共同浴場〉は、湯気と笑いに満ちていた。
薪は森の間伐材、湯釜は再鍛造した銅。湯殿の隅に“手洗い桶”と灰石鹸を置く。
「灰に油を混ぜただけで、こんなに泡立つんですねぇ」
「手の洗い方を“歌”にしましょう。子どもが覚えやすいように」
「歌、ですか」
「♪ 指のあいだを、忘れずに――」
歌い出してしまって、レリィに視線で笑われる。
「……レリィ、私は冷静で厳格な領主です」
「ええ、存じています。音程が少しだけ、厳格から外れただけで」
「厳格から外れた音程……新しい屈辱の表現ね」
浴場の奥には、小さな診療スペース。
老医師と見習いが、子どもの擦り傷に油を塗り、布を巻く。
「消毒は、煮沸した湯と酒で。包帯は晒して干して」
《衛生指数+8/疫病イベント発生率-6%》
出入口に掲げた板には、絵で描かれた“予防の十か条”。
文字が読めない者にも伝わるよう、咳の仕方、寝具の日干し、井戸の蓋の閉め方まで。
「これで、冬の咳が少しは減るわ」
「はい。……カレンツ様」
「なに?」
「湯あがりの牛乳は、ほどほどに」
「……どうして私が飲む前提なのかしら」
「目が輝いておられます」
「輝いていません」
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◆ 第四節:道を繋ぎ、郵便を走らせる
その日の夕刻、北の小橋が流木で破損したという報が入った。
現地に赴くと、板橋が一部落ち、村人が木を組んで応急処置を試みている。
「三角で“場”を作って。……いえ、こう。**鎧梁**の概念よ」
私は枝で地面に図を描き、梁を交差させる。
「荷重がかかったとき、力が三方向に逃げる。板を数枚重ねて縄で締結、柱に桟を噛ませる」
「へい!」
《土木即応+10/通行再開(軽荷)――残工期:2日》
橋の脇では、若者が革袋に手紙を詰めていた。
新設の〈燕脚郵便〉だ。軽騎兵上がりの青年が、定時に村々を回る。
「配達の印は“燕の焼印”。偽造を防ぐため、季節ごとに図柄を替えるわ」
「了解!」
《通信速度向上:外交応答時間-20%/市場価格反映速度+15%》
レリィが馬の鼻先を撫でる。
「道と郵便は、戦より強いですね」
「ええ。『知る』ことは最強の武器よ。……噂話も、ね」
「そこは否定なさらないのですね」
「否定したいけれど、日々の主力兵器ですから」
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◆ 第五節:暮らしの灯――夜光灯と学びの間
夜。
領都の路地に、小さな灯が並び始めた。
油を節約するため、反射板を磨き、灯芯を細く撚り、風除けのガラスを薄く吹く。
「“夜光灯”の設置は、まず市場通りから。夜の治安と商いの両立を」
「はい。衛兵の見回りルートも灯に合わせて再設計します」
《治安+6/夜間売上+9%》
鎮守小屋を改装した〈学びの間〉では、旅の職人が子どもに“道具の使い方”を教えていた。
刃物の向き、釘の打ち方、紐の結び方。
読み書きだけでなく、“手”で覚える学び。
「読み書き講座の教材、図版を増やして。物の名前と使い方を絵で」
「承知しました。明日から“市場の看板描き”も課題に入れます」
《教育指数+3/事故率-4%》
学びの間の壁には、私が作らせた“暮らしの指標板”が掛かる。
「今日のパンの値段」「明日の天気(巡回観測)」「水門の開閉予定」「郵便の到着時刻」。
日々が“わかる”ようにするだけで、人は落ち着く。数字は、人を守る。
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◆ 第六節:市場と価格――暮らしの背骨を真っ直ぐに
翌朝。
市場に“標準分銅”と“度量衡の棒”を持ち込む。
真鍮の輝きに、商人たちがざわついた。
「新しい“公定重”です。これで秤の誤差をなくしましょう。
――別に、あなた達を疑っているわけではありません。疑っていないと証明するために置くのです」
商人ギルド長グランが、口の端で笑う。
「辺境伯殿の言い回しは、いつも上等だ」
「誉め言葉として受け取っておきます」
《物価安定度+12/ぼったくり判定-80%》
さらに、価格黒板を設置。
主要品目の“昨日/今日/週平均”を書き出させ、
高騰時には原因(十字港の嵐、北路の馬疫など)も併記する。
「値上がりの理由がわかれば、怒りが半分減るの。残り半分は――値下がりで忘れてもらいましょう」
「なかなか都合の良い理屈です」
「理屈は“都合のいいもの”のために磨くのよ」
レリィが肩を震わせて笑う。
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◆ 第七節:小さな融資――芽を摘まず、芽に水を
午後遅く。
公共工房の片隅で、小さな会合。
パン屋の娘、染物屋の夫婦、若い車大工――三人の目には、熱がある。
「“小口融資組(ミナト組)”です。返済計画は週払い、利率は市場金利の半分。
――失敗しても、道具は残るように。担保は“道具”に限定します」
「辺境伯様、もし売れなかったら……」
「失敗の仕方を教えるのも、領主の仕事よ」
「え?」
「倒れる方向を選ばせるの。人と評判を守り、もう一度立てるように」
沈黙のあと、三人は深く頭を下げた。
《商業活力+10/若年移住+3》
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◆ 第八節:収穫祭――地味な歓声は強い
数週後。
白水路第二期が完工し、黒土地帯が黒金色に波打つ。
その日、領都の広場に屋台が並んだ。
パンと黒麦酒、甘い焼き根菜、子ども達の描いた看板。
「カレンツ様、乾杯のご挨拶を!」
「……ええ、短く」
私は壇に上がり、声を張る。
「水は巡り、道は繋がり、灯はともりました。
この地は“出来るだけ長く、退屈であること”を、私が約束します」
笑いが起き、拍手が続く。
「退屈は――暮らしの最高の贅沢ですから」
木製のコップを掲げ、黒麦酒を一口。
香りの底に、夜影草のほのかな甘苦さ。
セオドール査察官に教えたら、眉間に皺を寄せて複雑に頷きそうだ。
レリィが横で囁く。
「本日の出店、売上は記録係が即時に回収。夜の“価格黒板”更新に反映します」
「ありがとう。……それと、踊りの輪にあなたも入りなさい」
「え、私は踊りが――」
「私も踊れません。一緒に下手なら怖くないわ」
レリィは珍しく目を丸くし、次の瞬間、笑って頷いた。
輪の中、子どもが手を引き、大人が肩を揺らし、老いた者が手拍子を取る。
夜光灯が路地に連なり、辺境の星空は静かに近い。
――地味な歓声は、風より遠くへ届く。
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◆ 第九節:帳簿の夜――数字は眠らない
祭りのあと。
執務室で、私は帳を開く。
数字は踊らない。踊らない代わりに、嘘をつかない。
《食料在庫指数:来季安全域へ(+10)》
《税収:安定上昇(市場透明化効果/12日遅延で波及)》
《疾病:季節性咳風邪発生率-18%(浴場・手洗い歌・寝具日干し)》
《教育:識字率+4%(学びの間)》
《治安:軽犯罪-9%(夜光灯・見回り)》
《移住:若年技能者+8世帯(公共工房)》
「……よし」
レリィが湯気の立つカップを置く。
「お疲れさまでした、カレンツ様。退屈を積む作業は、骨が折れますね」
「ええ。だから、退屈を誇るの」
「あなたらしいです」
ふと、封蝋の匂いが鼻をかすめる。
郵便袋に、新しい封書が一通。
王都議会から――参考人招致。
議題は「辺境における公共工事の資金配分と効果測定」。
「……中央にも、退屈の価値が届いたようね」
「ご出立の支度を?」
「いえ、急がないわ。明日の午前は、畑の見回りが先」
「了解しました」
窓の外、白水路の水音が、規則正しい。
灯が一つ、また一つと消え、夜の谷が深くなる。
平和は、静かに重たい。抱えられる重さだ。
私はペン先を拭い、ロウを吹き消す。
「今日も、地味に勝った」
「はい。記録にも、記憶にも」
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◆ 終章:小さな約束
ログアウト前、私は“水番ノート”を開いた。
拙い字、丁寧な絵。日付と、砂時計の目盛り。
『六つぶん。今日は、西の畑が先』
『七つぶん。牛がよろこぶ』
明日も、明後日も、この小さな約束が続くかぎり、
戦の足音は遠いままでいてくれる。
“穏やかな支配者”は、画面の向こうで小さく笑い、
静かな世界を、静かなまま進めるために、
またひとつ、退屈を積み上げる。
――退屈は、贅沢だ。
――そして、強い。




